免許更新前の高齢者講習を受けた ― 2024年11月04日 15時30分

晩秋、霜月。今月はやることがいろいろ待ち構えている。
先日、夜来の雨のなか、車で10分ほどの自動車教習所に行って、70歳から74歳を対象にした高齢者講習を受けた。内容は運転の指導、いくつかの視力検査、安全運転の講義の3本立て。その講習の終了証明書がないと運転免許証の更新もできない決まりである。
体験した知人によれば、運転の実技でいつものように片手運転して怒られた人がいたそうだ。不慣れなS字カーブで脱輪したり、バックしながらの車庫入れに何度も失敗した人もいたという。
それでもこの場は「指導」であって、「試験」ではないので、ちゃんと終了証明書をもらえる仕組みになっている。
集まったのは男性7人、女性1人の計8人。なかには80歳ぐらいに見える人もいた。実技がはじまったのは午後3時40分ごろ。ひとり10分間ほどコースを走る。
いよいよ順番がきた。助手席の指導員はぼくたちと同年代の男性で、受講者が親しみやすく、リラックスできるように人選したのだろう。
降りしきる雨のなかのコースは路面が水びたしで、遠くの標識は暗くかすんでよく見えない。用意されたのは、一度も乗ったことのない車種。それでもドキドキしなかった。
こっちはいろんな状況の道路を何十万キロも走っているのだ。しかも、これから走るのは初心者が練習する教習所の平坦で見通しのよいコースである。
ただ、一抹の不安は、いまの安全運転のテキストに書いてあるルールに従った運転が実際にできるかどうかで、正直、その点は自信がなかった。
「あれれ、なんで。ちゃんとやったんだけどなぁ……」
不安が的中したのは、スタートしてまもなくだった。
隣にいる指導員から、ポンポン注意の言葉が飛んでくる。たとえばこんな具合である。
ちゃんと停止線の手前で車を止めたはずなのに、「少し前に出過ぎですね」。
「一時停止の時間が短いですよ。ゆっくり、イチ、ニイ、サンと数えてから、車を出しましょう」
「右折するときは、もっと首をおおきくまわして遠くの方まで確認してください。車が近づいているかもしれませんよ」
前方の左側に障害物が置かれている場所では、前後左右のどこにも車が走っていないので、十分にすき間をあけて通り越したら、「進路を変更するときには、ちゃんとウィンカーをつけてください」。
先行車が数珠つなぎになって、ゆっくり走っていたので、最後尾の車の10数メートルほど後ろにつけて、車の流れに合わせて運転していたら、「もっと車間距離を開けて。あおり運転とおもわれますよ」。
こっちは状況に合わせて、臨機応変に運転しているというのに。
もう、これ以上は数え上げたくない。またこころがズタズタになりそうだ。
やってみてわかったことは、注意された数々は多くの高齢者がふつうにやっていることだった。
定刻の5時半前にすべて終了。めでたく「運転免許取得者(高齢者講習同等)終了証明書」をいただくことができた。
ひとり当たりの客単価(手数料)は6,450円。
年金暮らしのぼくは、ふと、おもった。これも時代が求めている高齢者ビジネスのひとつかな。新たな投資も営業経費もかからないし、割のいい仕事かもしれないな。
終わりの挨拶の締めくくりに、指導員は言外に含みのあることを言った。
「今日はどこにも立ち寄らずに、このままご自宅までお帰りください。よろしいですか」
子どもじゃあるまいし。
帰り道、真っ暗な道を慎重運転しながら、スーパーに立ち寄って、缶チューハイ2本と安い赤ワインを買った。
■写真は、ウラナミシジミ。よく見かける蝶でも、こうして近づいて観ると、まるで「生きている宝石」のように美しい。
先日、夜来の雨のなか、車で10分ほどの自動車教習所に行って、70歳から74歳を対象にした高齢者講習を受けた。内容は運転の指導、いくつかの視力検査、安全運転の講義の3本立て。その講習の終了証明書がないと運転免許証の更新もできない決まりである。
体験した知人によれば、運転の実技でいつものように片手運転して怒られた人がいたそうだ。不慣れなS字カーブで脱輪したり、バックしながらの車庫入れに何度も失敗した人もいたという。
それでもこの場は「指導」であって、「試験」ではないので、ちゃんと終了証明書をもらえる仕組みになっている。
集まったのは男性7人、女性1人の計8人。なかには80歳ぐらいに見える人もいた。実技がはじまったのは午後3時40分ごろ。ひとり10分間ほどコースを走る。
いよいよ順番がきた。助手席の指導員はぼくたちと同年代の男性で、受講者が親しみやすく、リラックスできるように人選したのだろう。
降りしきる雨のなかのコースは路面が水びたしで、遠くの標識は暗くかすんでよく見えない。用意されたのは、一度も乗ったことのない車種。それでもドキドキしなかった。
こっちはいろんな状況の道路を何十万キロも走っているのだ。しかも、これから走るのは初心者が練習する教習所の平坦で見通しのよいコースである。
ただ、一抹の不安は、いまの安全運転のテキストに書いてあるルールに従った運転が実際にできるかどうかで、正直、その点は自信がなかった。
「あれれ、なんで。ちゃんとやったんだけどなぁ……」
不安が的中したのは、スタートしてまもなくだった。
隣にいる指導員から、ポンポン注意の言葉が飛んでくる。たとえばこんな具合である。
ちゃんと停止線の手前で車を止めたはずなのに、「少し前に出過ぎですね」。
「一時停止の時間が短いですよ。ゆっくり、イチ、ニイ、サンと数えてから、車を出しましょう」
「右折するときは、もっと首をおおきくまわして遠くの方まで確認してください。車が近づいているかもしれませんよ」
前方の左側に障害物が置かれている場所では、前後左右のどこにも車が走っていないので、十分にすき間をあけて通り越したら、「進路を変更するときには、ちゃんとウィンカーをつけてください」。
先行車が数珠つなぎになって、ゆっくり走っていたので、最後尾の車の10数メートルほど後ろにつけて、車の流れに合わせて運転していたら、「もっと車間距離を開けて。あおり運転とおもわれますよ」。
こっちは状況に合わせて、臨機応変に運転しているというのに。
もう、これ以上は数え上げたくない。またこころがズタズタになりそうだ。
やってみてわかったことは、注意された数々は多くの高齢者がふつうにやっていることだった。
定刻の5時半前にすべて終了。めでたく「運転免許取得者(高齢者講習同等)終了証明書」をいただくことができた。
ひとり当たりの客単価(手数料)は6,450円。
年金暮らしのぼくは、ふと、おもった。これも時代が求めている高齢者ビジネスのひとつかな。新たな投資も営業経費もかからないし、割のいい仕事かもしれないな。
終わりの挨拶の締めくくりに、指導員は言外に含みのあることを言った。
「今日はどこにも立ち寄らずに、このままご自宅までお帰りください。よろしいですか」
子どもじゃあるまいし。
帰り道、真っ暗な道を慎重運転しながら、スーパーに立ち寄って、缶チューハイ2本と安い赤ワインを買った。
■写真は、ウラナミシジミ。よく見かける蝶でも、こうして近づいて観ると、まるで「生きている宝石」のように美しい。
花を植えた日の「波瀾」 ― 2024年11月06日 18時00分

午前中のうちに団地の花壇を整地して、いまの時期から春ごろまでに咲く花を植えた。今朝、ホームセンターの花売り場で、カミさんが選んだキンギョソウ3株、パンジー6株、ノースポール2株、アリッサム3株。
色は、赤、エンジ、青、黄色、オレンジ、紫、茶色。本当の色彩はとてもこんな単純な言葉では言い表せない。その花だけにしかない精妙な色あいとたたずまいがある。
ひと目惚れする花をみつけたときのカミさんはうれしそうな顔になる。きょうもできるだけそういう花を選んでいた。
山芋堀りの道具を使って、30センチほどの深さまで土を掘り起こしていたら、通りがかりのおばあさんから声をかけられた。
「花壇の手入れは、お宅たちがご自分でなさっているのね。きれいなお花をありがとうございます。写真に撮ったりして、ここを通るときはいつも楽しみに見させてもらっています」
別のおばあさんからも話しかけられた。この人からも頭を下げて感謝された。
見知らぬ人たちがよろこんでいるとわかって、こちらも励みになる。この花たちの成長を見守ってくれている人たちがあちこちにいるのだ。
しばらくして、買い物をすませて戻ってきたおばあさんがまた近づいてきた。
「わたしは80歳になって、もう、お花づくりもできなくなったので、こうして見させてもらうばっかりで。本当にありがとうございます。これ、お口直しに、どうぞ」
そっと手渡された白い紙袋のなかに、おおきなシュークリームが2個入っていた。このシュークリームはすぐ近くにある昔ながらのお菓子屋さんの「隠れた名菓」である。一度も話したこともない人からこんなご褒美をもらえるとはおもわなかった。
ひと仕事終えて、さっそく熱いお茶と一緒にシュークリームをいただいた。
「ありがたいね。また盗られるのは嫌だから、もう止めようかともおもったけど、やっぱり花を植えてよかったな」
「そうね。ああやって、よろこんでくれる人はたくさんいるのよね」
それから買い物に出かけるまでのおよそ3時間のあいだに、花壇でなにが起きていたのか、ぼくたち夫婦は知る由もなかった。
いちばん目立っていたキンギョソウのきれいなオレンジの花が消えていた。手で引きちぎったらしく、苗のぜんたいが傾いて、根元の半分が土の表面に出ている。
つい先ほど植えたばかりである。まだ土が濡れているのに、それも人が行き交う真っ昼間に、こんなことをやる人間はそういない。だいたいの見当はついている。こうなることは覚悟していた。だが、いくらなんでもこんなに早く、大っぴらにやられるとはおもってもみなかった。
いろんな人間がいるものだ。これから先も、何度でも盗りに来るだろうな。
それでもあの花の色が気に入っているし、たのしみにしてくれる人もいるから、気を取り直して、新しい花芽が出てくるのを気長に待つことにしよう。
自分に言い聞かす。
ネバー・ギブ・アップ!
テレビでアメリカ大統領選の開票状況をやっている。トランプの返り咲きが決定した様子。人を人ともおもわない、自分の都合を最優先して、平気で事実を捻じ曲げる最高権力者たちの専横ぶりは目にあまるが、またひとり似たタイプが復活した。
もちろん、それぞれの歴史も文化も国の事情も違うので、同一線上では論じられないが。
ともあれロシア、中国、そしてアメリカの三つの超大国に、他人の意見に耳を貸そうとしない権力志向のリーダーがそろい踏みすることになった。類は友を呼ぶのか。波瀾のはじまりを感じる。
色は、赤、エンジ、青、黄色、オレンジ、紫、茶色。本当の色彩はとてもこんな単純な言葉では言い表せない。その花だけにしかない精妙な色あいとたたずまいがある。
ひと目惚れする花をみつけたときのカミさんはうれしそうな顔になる。きょうもできるだけそういう花を選んでいた。
山芋堀りの道具を使って、30センチほどの深さまで土を掘り起こしていたら、通りがかりのおばあさんから声をかけられた。
「花壇の手入れは、お宅たちがご自分でなさっているのね。きれいなお花をありがとうございます。写真に撮ったりして、ここを通るときはいつも楽しみに見させてもらっています」
別のおばあさんからも話しかけられた。この人からも頭を下げて感謝された。
見知らぬ人たちがよろこんでいるとわかって、こちらも励みになる。この花たちの成長を見守ってくれている人たちがあちこちにいるのだ。
しばらくして、買い物をすませて戻ってきたおばあさんがまた近づいてきた。
「わたしは80歳になって、もう、お花づくりもできなくなったので、こうして見させてもらうばっかりで。本当にありがとうございます。これ、お口直しに、どうぞ」
そっと手渡された白い紙袋のなかに、おおきなシュークリームが2個入っていた。このシュークリームはすぐ近くにある昔ながらのお菓子屋さんの「隠れた名菓」である。一度も話したこともない人からこんなご褒美をもらえるとはおもわなかった。
ひと仕事終えて、さっそく熱いお茶と一緒にシュークリームをいただいた。
「ありがたいね。また盗られるのは嫌だから、もう止めようかともおもったけど、やっぱり花を植えてよかったな」
「そうね。ああやって、よろこんでくれる人はたくさんいるのよね」
それから買い物に出かけるまでのおよそ3時間のあいだに、花壇でなにが起きていたのか、ぼくたち夫婦は知る由もなかった。
いちばん目立っていたキンギョソウのきれいなオレンジの花が消えていた。手で引きちぎったらしく、苗のぜんたいが傾いて、根元の半分が土の表面に出ている。
つい先ほど植えたばかりである。まだ土が濡れているのに、それも人が行き交う真っ昼間に、こんなことをやる人間はそういない。だいたいの見当はついている。こうなることは覚悟していた。だが、いくらなんでもこんなに早く、大っぴらにやられるとはおもってもみなかった。
いろんな人間がいるものだ。これから先も、何度でも盗りに来るだろうな。
それでもあの花の色が気に入っているし、たのしみにしてくれる人もいるから、気を取り直して、新しい花芽が出てくるのを気長に待つことにしよう。
自分に言い聞かす。
ネバー・ギブ・アップ!
テレビでアメリカ大統領選の開票状況をやっている。トランプの返り咲きが決定した様子。人を人ともおもわない、自分の都合を最優先して、平気で事実を捻じ曲げる最高権力者たちの専横ぶりは目にあまるが、またひとり似たタイプが復活した。
もちろん、それぞれの歴史も文化も国の事情も違うので、同一線上では論じられないが。
ともあれロシア、中国、そしてアメリカの三つの超大国に、他人の意見に耳を貸そうとしない権力志向のリーダーがそろい踏みすることになった。類は友を呼ぶのか。波瀾のはじまりを感じる。
団地に百日紅を植えた人 ― 2024年11月08日 18時07分

今日は「幸福の日」。2年前の11月8日、自宅から歩いて30分の総合病院ですい臓がんが見つかった日である。手遅れにならずに、いまもこうして生きていられるので、「幸福の日」と名付けた。
昼食後にひとつ、いいことをした。
前の町内会長のUさんから電話があって、「いま百日紅(サルスベリ)の木のところにいるので、脚立を貸してくれんね」という。
団地の入り口のシンボルマークにもなっている百日紅は2本並んでいて、ことしも夏から秋口まで赤と白の花を盛大に咲かせていた。この木はUさんが自ら植樹した。独り暮らしの彼にとってはわが子のようなものだ。
その木がどんどん大きくなって、いちばん高いところは5メートルの先まで花をつけた。見た目は豪華なものだが、さすがに伸び過ぎで、以前からUさんは枝の剪定が気になっていたのである。
アルミ製の脚立をカミさんがぐらつかないように押さえて、ぼくは少し離れたところから、どの枝をどこから切り落とすかの指示役にまわった。
Uさんは元大工の職人である。高いところに登るのも、ノコギリで枝を切るのも朝飯前だ。ところが、その雄姿は昔話で、からだを悪くしてから現役を引退し、65歳になった彼の身のこなしは見ていてハラハラものだった。
「ほらほら、右の足が乗っている枝が折れそうだよ。ああ、もうそのへんでいいよ。それ以上は登らない方がいいから。手の届くところで切っていいよ」
「ここでいいと? もっと上の方で切ろうか」
「いいから、いいから。やめとけ。危ないよ」
そのときのUさんの足先の位置は、ぼくの頭のあたり。
カミさんからも声が飛ぶ。彼女は花を育てるのが好きで、伸び過ぎた茎を惜しげもなく切って、新しく出てくる芽にまた花をいっぱい咲かせるのを得意にしている。目の前で繰り広げられている光景がまさにそうで、黙っていられるはずがない。
「もっと手前で切っていいよ。その右の枝も切り落とした方がいいとおもうなぁ」
「ここかいな。ここでいいとね」
「いや、もっと短くしていいよ」
見上げる高さで、枝先を四方八方に広げていた2本のサルスベリはみるみる身軽になった。
「もういいよ。サルスベリだからね。すべらないでね」
2本の百日紅は、当初の見立てよりも何割増しで刈り取られてしまった。高さも枝の数もざっと3分の2ほどになった。
実はこの2本をこの場所に植えることにした人は別にいる。昨年、引っ越して行った80歳すぎのおばあさんで、気のいいUさんを顎で使って植えさせた。
このおばあさん、自分の部屋の正面には十月桜の苗木を、そのほかにもあちこちにアメリカフヨウなどを植えている。ぜんぶUさんが大汗をかいてやらされたという。なぜ、公団住宅でそんなことができたのかといえば、彼が町内会長だったからである。
こうしてUさんは、いまもあのおばあさんが残した木々の世話をしている。百日紅の次には、大きくなり過ぎたアメリカフヨウが2本ある。
「あのばあさん、引っ越して出て行ったけど、ときどき自分が植えた木を見に来るんよ」
「ええっ。わざわざチェックしに来ると」
「気になるっちゃろうね。たまらんばい」
出て行く人、住み続ける人。そして、新しく入ってくる人。こんな団地にもいろんな人間ドラマが渦巻いている。
昼食後にひとつ、いいことをした。
前の町内会長のUさんから電話があって、「いま百日紅(サルスベリ)の木のところにいるので、脚立を貸してくれんね」という。
団地の入り口のシンボルマークにもなっている百日紅は2本並んでいて、ことしも夏から秋口まで赤と白の花を盛大に咲かせていた。この木はUさんが自ら植樹した。独り暮らしの彼にとってはわが子のようなものだ。
その木がどんどん大きくなって、いちばん高いところは5メートルの先まで花をつけた。見た目は豪華なものだが、さすがに伸び過ぎで、以前からUさんは枝の剪定が気になっていたのである。
アルミ製の脚立をカミさんがぐらつかないように押さえて、ぼくは少し離れたところから、どの枝をどこから切り落とすかの指示役にまわった。
Uさんは元大工の職人である。高いところに登るのも、ノコギリで枝を切るのも朝飯前だ。ところが、その雄姿は昔話で、からだを悪くしてから現役を引退し、65歳になった彼の身のこなしは見ていてハラハラものだった。
「ほらほら、右の足が乗っている枝が折れそうだよ。ああ、もうそのへんでいいよ。それ以上は登らない方がいいから。手の届くところで切っていいよ」
「ここでいいと? もっと上の方で切ろうか」
「いいから、いいから。やめとけ。危ないよ」
そのときのUさんの足先の位置は、ぼくの頭のあたり。
カミさんからも声が飛ぶ。彼女は花を育てるのが好きで、伸び過ぎた茎を惜しげもなく切って、新しく出てくる芽にまた花をいっぱい咲かせるのを得意にしている。目の前で繰り広げられている光景がまさにそうで、黙っていられるはずがない。
「もっと手前で切っていいよ。その右の枝も切り落とした方がいいとおもうなぁ」
「ここかいな。ここでいいとね」
「いや、もっと短くしていいよ」
見上げる高さで、枝先を四方八方に広げていた2本のサルスベリはみるみる身軽になった。
「もういいよ。サルスベリだからね。すべらないでね」
2本の百日紅は、当初の見立てよりも何割増しで刈り取られてしまった。高さも枝の数もざっと3分の2ほどになった。
実はこの2本をこの場所に植えることにした人は別にいる。昨年、引っ越して行った80歳すぎのおばあさんで、気のいいUさんを顎で使って植えさせた。
このおばあさん、自分の部屋の正面には十月桜の苗木を、そのほかにもあちこちにアメリカフヨウなどを植えている。ぜんぶUさんが大汗をかいてやらされたという。なぜ、公団住宅でそんなことができたのかといえば、彼が町内会長だったからである。
こうしてUさんは、いまもあのおばあさんが残した木々の世話をしている。百日紅の次には、大きくなり過ぎたアメリカフヨウが2本ある。
「あのばあさん、引っ越して出て行ったけど、ときどき自分が植えた木を見に来るんよ」
「ええっ。わざわざチェックしに来ると」
「気になるっちゃろうね。たまらんばい」
出て行く人、住み続ける人。そして、新しく入ってくる人。こんな団地にもいろんな人間ドラマが渦巻いている。
カワセミを食っていたころ ― 2024年11月11日 11時01分

朝、目を覚ましたとき、チュン、チュン、チュン、とうるさいほどだったスズメたちのさえずりが聞かれなくなった。
このブログでもスズメを見なくなったと何度も書いたが、事態はもっと深刻だった。先ごろ絶滅危惧種の基準に相当するペースで減少しているとの発表があった。ツグミ、アオサギ、オナガ、セグロセキレイ、バンなどもそうだという。このままでは身近な野鳥たちがいよいよ縁遠い生き物になってしまう。
たまたま朝食後に室見川の河畔を散歩していたら、カワセミ(川蝉、翡翠とも書く)を見かけた。ふと、思い出したことがあって、本棚から一冊の本を取り出して、久しぶりに読み返した。
以下は、黒岩重吾(1924-2003)の随筆、『カワセミの精』の書き出しの部分である。野鳥たちとどんな付き合いをしていたか、作家の文章をそのままたどってみる。
子供の時から、無軌道だったせいか、振り返ってみると、吾れながら呆れるほど、色々なものを食ってきた。
親父にねだり、空気銃を買ってもらったのが、中学一年のときである。それ以来、的になるものはなんでも打ち、食えるものはなんでも食った。野鳥類はもとより、鳩、烏、ごいさぎ、かいつぶり、などから、蛙、蛇、など、みな面白半分に食ったようだ。
それらの、少年時代の獲物のなかで、もう一度食べてみたい、と思うのは川蝉(かわせみ)である。
川蝉は、背が翡翠色に輝き、飛ぶ時は実に美しい。僕はその色に魅せられ、どうしても射ちたい、と思った。が、川蝉ほど用心深く、そして素早い鳥はいない。また長く一箇所にとまっている、ということがない。絶えず川辺をあっちこっちと飛び廻っている。夏休み、僕は川水に半分つかりながら、川岸の灌木に上半身をかくし、一日がかりで、ついに、一羽の川蝉をしとめることができた。
喜び勇んで家に持って帰り、早速、火で焼いて食べることにした。
川蝉は羽毛も美しいが、毛をむしった後の肌の色が、今でも覚えているが薄紅色で、どの鳥にもないほど美しかった。…(略)…
その味が、またなんとも言えないほど旨かった。焼鳥といえば、それ専門の店で、雀とかうずらを食わせるが、川蝉の味の前には、そんなものは、問題にならない。
大体、小鳥というのは、脂が足らないので大きな鳥に較べ味が落ちるのだが、川蝉は肉の中にしみ込んでいるようで、炭火で焼くと脂がにじみ出た。肉は柔らかく実に微妙な味わいがあった。今でも、最高の美味の一つ、だと思っている。
残酷なことをして、かわいそうに……と反感を持つ人もいるだろうが、そのころ中学生だった作家は塾に通うことも、家のなかでゲームにはまることもなく、自然を相手に知恵をしぼり、工夫をこらして、成功するまで何回も失敗することも楽しくて、毎日がおもしろかっただろうなぁ、とおもってしまう。
わが家でも父親がカワセミをつかまえてきたことがあった。空を飛ぶムササビもいっとき籠のなかにいた。雨のなかで拾ってきたトンビの子どもは、ぼくが「タロウ」と名前をつけた。鳥小屋から出してやると大空におおきな円を描きながら、まるで自分のいる場所を教えるように、「ピィー、ヒョロロォー」と声高く鳴いていた。いまでもその姿も鳴き声もはっきり覚えている。
父から空気銃を借りて、電線にとまっているスズメを狙ったこともある。溜め池で泳いでいるカイツブリの子どもをつかまえたこともあった。みんな小学生のころの憶い出である。
ときは流れて、野鳥は法律で保護されるようになって、捕って食べる人はいなくなったのに、スズメまでもが絶滅危惧種になろうとしている。
黒岩重吾が生きていたら、「おもしろくない世の中になっちまったなぁ」とでも言うだろうか。
■写真は、団地の名物女性、「草取りばあさん」の奮闘努力の形跡。「草が生えていると木がかわいそう」と言って、立木の根元に生えている草を丹念に引き抜くのだ。3日も4日もかけてきれいにするのだが、すぐに草ぼうぼうの元の景色に戻ってしまう。彼女は身近な自然の営みと楽しそうに向き合って暮らしている。
このブログでもスズメを見なくなったと何度も書いたが、事態はもっと深刻だった。先ごろ絶滅危惧種の基準に相当するペースで減少しているとの発表があった。ツグミ、アオサギ、オナガ、セグロセキレイ、バンなどもそうだという。このままでは身近な野鳥たちがいよいよ縁遠い生き物になってしまう。
たまたま朝食後に室見川の河畔を散歩していたら、カワセミ(川蝉、翡翠とも書く)を見かけた。ふと、思い出したことがあって、本棚から一冊の本を取り出して、久しぶりに読み返した。
以下は、黒岩重吾(1924-2003)の随筆、『カワセミの精』の書き出しの部分である。野鳥たちとどんな付き合いをしていたか、作家の文章をそのままたどってみる。
子供の時から、無軌道だったせいか、振り返ってみると、吾れながら呆れるほど、色々なものを食ってきた。
親父にねだり、空気銃を買ってもらったのが、中学一年のときである。それ以来、的になるものはなんでも打ち、食えるものはなんでも食った。野鳥類はもとより、鳩、烏、ごいさぎ、かいつぶり、などから、蛙、蛇、など、みな面白半分に食ったようだ。
それらの、少年時代の獲物のなかで、もう一度食べてみたい、と思うのは川蝉(かわせみ)である。
川蝉は、背が翡翠色に輝き、飛ぶ時は実に美しい。僕はその色に魅せられ、どうしても射ちたい、と思った。が、川蝉ほど用心深く、そして素早い鳥はいない。また長く一箇所にとまっている、ということがない。絶えず川辺をあっちこっちと飛び廻っている。夏休み、僕は川水に半分つかりながら、川岸の灌木に上半身をかくし、一日がかりで、ついに、一羽の川蝉をしとめることができた。
喜び勇んで家に持って帰り、早速、火で焼いて食べることにした。
川蝉は羽毛も美しいが、毛をむしった後の肌の色が、今でも覚えているが薄紅色で、どの鳥にもないほど美しかった。…(略)…
その味が、またなんとも言えないほど旨かった。焼鳥といえば、それ専門の店で、雀とかうずらを食わせるが、川蝉の味の前には、そんなものは、問題にならない。
大体、小鳥というのは、脂が足らないので大きな鳥に較べ味が落ちるのだが、川蝉は肉の中にしみ込んでいるようで、炭火で焼くと脂がにじみ出た。肉は柔らかく実に微妙な味わいがあった。今でも、最高の美味の一つ、だと思っている。
残酷なことをして、かわいそうに……と反感を持つ人もいるだろうが、そのころ中学生だった作家は塾に通うことも、家のなかでゲームにはまることもなく、自然を相手に知恵をしぼり、工夫をこらして、成功するまで何回も失敗することも楽しくて、毎日がおもしろかっただろうなぁ、とおもってしまう。
わが家でも父親がカワセミをつかまえてきたことがあった。空を飛ぶムササビもいっとき籠のなかにいた。雨のなかで拾ってきたトンビの子どもは、ぼくが「タロウ」と名前をつけた。鳥小屋から出してやると大空におおきな円を描きながら、まるで自分のいる場所を教えるように、「ピィー、ヒョロロォー」と声高く鳴いていた。いまでもその姿も鳴き声もはっきり覚えている。
父から空気銃を借りて、電線にとまっているスズメを狙ったこともある。溜め池で泳いでいるカイツブリの子どもをつかまえたこともあった。みんな小学生のころの憶い出である。
ときは流れて、野鳥は法律で保護されるようになって、捕って食べる人はいなくなったのに、スズメまでもが絶滅危惧種になろうとしている。
黒岩重吾が生きていたら、「おもしろくない世の中になっちまったなぁ」とでも言うだろうか。
■写真は、団地の名物女性、「草取りばあさん」の奮闘努力の形跡。「草が生えていると木がかわいそう」と言って、立木の根元に生えている草を丹念に引き抜くのだ。3日も4日もかけてきれいにするのだが、すぐに草ぼうぼうの元の景色に戻ってしまう。彼女は身近な自然の営みと楽しそうに向き合って暮らしている。
カミさんの職探しを応援する ― 2024年11月14日 15時19分

長年、家族(夫と息子ふたり)の料理を作ってきた経験が生かせるチャンスを探していました。そのことがお役に立って、私の新しい生きがいになればうれしいです。
これまで正社員や契約社員として約40年間、こつこつと会社勤めをしてきました。どこの職場でもまわりの人たちと仲良くなれて、最高齢者になっても若い人との会話が弾み、気さくに声を掛け合ういい関係ができていました。
デイサービスは私自身にも無関心ではいられない分野です。調理を通じて、そのお仕事に少しでも参加できればと願っています。
上の文章は、カミさんが職探しをはじめて、履歴書の「志望動機、特技、好きな学科、アピールポイントなど」の欄にぼくが代筆したもの。デイサービスの調理補助のパート募集に応募するから、とのことだった。
一度も足を踏み入れたこともない職場だから、キーパンチャーの職歴しかないカミさんは適当な自己PRの表現が思い浮かばない。こんなときは「お任せします」とお鉢がまわってくる。
高齢者の女性のパート先の相場は決まっているようで、まず挙がるのは掃除のおばさんか、調理の手伝いといったところ。
「一億総活躍社会」という絵空事が看板倒れのまま消滅したように、シニアのみなさんが長年積み上げてきたキャリアやスキルを活かせる仕組みはできていない。それにパートにもはっきり年齢の壁がある。
カミさんも仕方なく、掃除のおばさんか、調理の手伝いのふたつの方向で職探しをしていた。
調理補助は一日体験が面接になっていた。検討の結果、一日分の給与だけで、ここはパス。
掃除のおばさんの働き口は公的な斡旋所からひとつだけ紹介を受けた。
そこは葬儀社で、まったく想像もしていなかった業種である。場所は、ぼくがすい臓がんの手術をした総合病院のすぐ近く。手術を受ける前に、こんなところに葬儀屋かと複雑なおもいで眺めていた記憶がある。
「おいおい、手まわしが良すぎるんじゃないか」
「でも、面接だけは受けてみようかな」
この葬儀社の件は話だけで終わった。どうやら採用を取りやめたらしい。
それからしばらくのあいだ、職探しの動きはぱったり止まっていたが、昨日、急展開した。
カミさんの元同僚だった友だちが「以前、勤めていた会社から、いい人がいたら紹介してと頼まれた」という短期のパートの話で、そこならキーパンチャーのキャリアがそのまま活かせる。
本人は、「あの仕事はもうたくさん。歳だし、指が若いころのように動かないもの」と言っていたが、いい風が吹いてきた。もちろん、気持ちを切り替えてありがたく応募することにした。
そこでまた彼女の自己PRを書くことになった。その書き出しはこうである。
前職を会社都合で退職して4か月あまり。やはり社会に出て働きたい、できればこれまで身につけた経験やスキルを活かしたいという気持ちが日増しに強くなっています。このたび元同僚の親しいお友だちから、希望していたお話をご紹介いただき、迷わずに手を挙げることにいたしました。
ま、これぐらいはやる気をみせておかないと。まだ結果はわからないが、こんな文章を作っているうちに、社長さんたちから手紙や挨拶文、社内報に載せる原稿の代筆をよく頼まれたことをおもいだした。時給に換算すればかなり割のいい仕事だった。
ぼくも稼ぎ口をみつけなくては。
■買い物の帰り道、白いニャンコが砂をまかれた路面に背中をこすりつけて、ごろん、ごろん、ごろんと右に左に寝ころがっていた。これ以上近づくと、たちまち逃げ足になる。
これまで正社員や契約社員として約40年間、こつこつと会社勤めをしてきました。どこの職場でもまわりの人たちと仲良くなれて、最高齢者になっても若い人との会話が弾み、気さくに声を掛け合ういい関係ができていました。
デイサービスは私自身にも無関心ではいられない分野です。調理を通じて、そのお仕事に少しでも参加できればと願っています。
上の文章は、カミさんが職探しをはじめて、履歴書の「志望動機、特技、好きな学科、アピールポイントなど」の欄にぼくが代筆したもの。デイサービスの調理補助のパート募集に応募するから、とのことだった。
一度も足を踏み入れたこともない職場だから、キーパンチャーの職歴しかないカミさんは適当な自己PRの表現が思い浮かばない。こんなときは「お任せします」とお鉢がまわってくる。
高齢者の女性のパート先の相場は決まっているようで、まず挙がるのは掃除のおばさんか、調理の手伝いといったところ。
「一億総活躍社会」という絵空事が看板倒れのまま消滅したように、シニアのみなさんが長年積み上げてきたキャリアやスキルを活かせる仕組みはできていない。それにパートにもはっきり年齢の壁がある。
カミさんも仕方なく、掃除のおばさんか、調理の手伝いのふたつの方向で職探しをしていた。
調理補助は一日体験が面接になっていた。検討の結果、一日分の給与だけで、ここはパス。
掃除のおばさんの働き口は公的な斡旋所からひとつだけ紹介を受けた。
そこは葬儀社で、まったく想像もしていなかった業種である。場所は、ぼくがすい臓がんの手術をした総合病院のすぐ近く。手術を受ける前に、こんなところに葬儀屋かと複雑なおもいで眺めていた記憶がある。
「おいおい、手まわしが良すぎるんじゃないか」
「でも、面接だけは受けてみようかな」
この葬儀社の件は話だけで終わった。どうやら採用を取りやめたらしい。
それからしばらくのあいだ、職探しの動きはぱったり止まっていたが、昨日、急展開した。
カミさんの元同僚だった友だちが「以前、勤めていた会社から、いい人がいたら紹介してと頼まれた」という短期のパートの話で、そこならキーパンチャーのキャリアがそのまま活かせる。
本人は、「あの仕事はもうたくさん。歳だし、指が若いころのように動かないもの」と言っていたが、いい風が吹いてきた。もちろん、気持ちを切り替えてありがたく応募することにした。
そこでまた彼女の自己PRを書くことになった。その書き出しはこうである。
前職を会社都合で退職して4か月あまり。やはり社会に出て働きたい、できればこれまで身につけた経験やスキルを活かしたいという気持ちが日増しに強くなっています。このたび元同僚の親しいお友だちから、希望していたお話をご紹介いただき、迷わずに手を挙げることにいたしました。
ま、これぐらいはやる気をみせておかないと。まだ結果はわからないが、こんな文章を作っているうちに、社長さんたちから手紙や挨拶文、社内報に載せる原稿の代筆をよく頼まれたことをおもいだした。時給に換算すればかなり割のいい仕事だった。
ぼくも稼ぎ口をみつけなくては。
■買い物の帰り道、白いニャンコが砂をまかれた路面に背中をこすりつけて、ごろん、ごろん、ごろんと右に左に寝ころがっていた。これ以上近づくと、たちまち逃げ足になる。
兵庫知事選で見えた「SNSの顔」 ― 2024年11月19日 17時27分

兵庫県の知事選で前知事の斉藤元彦氏が苦戦の予想をくつがえして返り咲いた。勝因はSNSだという。つまり、スマホがなかったら、彼は当選しなかった。
子どもから大人までほとんどの人が持ち歩いている情報ネットワークの道具をフルに活用した人と、古い選挙戦のやり方から脱皮できなかった人の差がこれだった。
SNSは便利だが、デマや詐欺、闇バイトなどの情報もほぼ野放しだから、作り話をでっちあげようが、名前を隠して個人を攻撃しようが、実像とは大違いのヒーローに仕立て上げようが、何でもあり、である。
ひとりの人間が頭のなかで作り出した「空想のできごと」を「現実のできごと」みたいにすることだって簡単だ。わざとパニックを起こしておもしろがる人種もいる。AIでつくった本物のそっくりさんに、ニセ情報をしゃべらせるやり方も出まわっている。選挙妨害なんてチョロイもので、今度の知事選でもあったし、世論を意のままにあやつるのはトランプがおおっぴらにやってみせた。
恐ろしいことだ。だが、選挙に負けた本命の陣営は、「あなたたち遅れているね。SNSの使い道がわかっていないなぁ」と言われても仕方ないだろう。いつの世にもテクノロジーの発達に置いてきぼりを食う人がいるものだ。
今回もそこで明暗が分かれた。
ただし、人の信用は別物である。
ひとりの人間にはいろんな顔がある。威張り散らしたり、やさしくなったりする。暴君にもなれば、謙虚な人にもなる。そして、どの顔もその人に変わりはない。SNSでおおぜいの選挙民のこころをつかんだ斉藤氏が知事職でも人望を集めるかどうかは、選挙の結果とはまったく別の話だ。
忘れてはいけない。斉藤知事のパワハラを告発して、法律で守られている公益通報扱いされず、逆に彼から非難されて亡くなった幹部職員がいる。
知事に再選された斉藤氏は、たぶん彼を身近で知っている部下たちにとって、心からの歓迎の拍手、とはならないだろう。今度またパワハラをやったら一巻の終わりだから、最初の一歩からこつこつと信頼関係をつくっていくしかない。
そうでなくては、ものごとの帳尻が合わないのである。
■写真の黒っぽい塊は、室見川の浅瀬に群がるアユの群れ。100匹ほどもいるだろうか。この川のアユはみな小さいのだが、投網を打つ人もいる。ことしは「落ちアユ」の季節が例年よりも遅いようだ。
子どもから大人までほとんどの人が持ち歩いている情報ネットワークの道具をフルに活用した人と、古い選挙戦のやり方から脱皮できなかった人の差がこれだった。
SNSは便利だが、デマや詐欺、闇バイトなどの情報もほぼ野放しだから、作り話をでっちあげようが、名前を隠して個人を攻撃しようが、実像とは大違いのヒーローに仕立て上げようが、何でもあり、である。
ひとりの人間が頭のなかで作り出した「空想のできごと」を「現実のできごと」みたいにすることだって簡単だ。わざとパニックを起こしておもしろがる人種もいる。AIでつくった本物のそっくりさんに、ニセ情報をしゃべらせるやり方も出まわっている。選挙妨害なんてチョロイもので、今度の知事選でもあったし、世論を意のままにあやつるのはトランプがおおっぴらにやってみせた。
恐ろしいことだ。だが、選挙に負けた本命の陣営は、「あなたたち遅れているね。SNSの使い道がわかっていないなぁ」と言われても仕方ないだろう。いつの世にもテクノロジーの発達に置いてきぼりを食う人がいるものだ。
今回もそこで明暗が分かれた。
ただし、人の信用は別物である。
ひとりの人間にはいろんな顔がある。威張り散らしたり、やさしくなったりする。暴君にもなれば、謙虚な人にもなる。そして、どの顔もその人に変わりはない。SNSでおおぜいの選挙民のこころをつかんだ斉藤氏が知事職でも人望を集めるかどうかは、選挙の結果とはまったく別の話だ。
忘れてはいけない。斉藤知事のパワハラを告発して、法律で守られている公益通報扱いされず、逆に彼から非難されて亡くなった幹部職員がいる。
知事に再選された斉藤氏は、たぶん彼を身近で知っている部下たちにとって、心からの歓迎の拍手、とはならないだろう。今度またパワハラをやったら一巻の終わりだから、最初の一歩からこつこつと信頼関係をつくっていくしかない。
そうでなくては、ものごとの帳尻が合わないのである。
■写真の黒っぽい塊は、室見川の浅瀬に群がるアユの群れ。100匹ほどもいるだろうか。この川のアユはみな小さいのだが、投網を打つ人もいる。ことしは「落ちアユ」の季節が例年よりも遅いようだ。
マンガ化の波についていけない ― 2024年11月21日 11時12分

良書がマンガに乗っ取られた。
近くの本屋で、あるコーナーが目に入ったとたん、そうおもった。そして、「なんじゃ? これは」と声を殺してつぶやいた。
とにかく目立つ。まるで秋祭りの夜の路地をおびただしい光の粒子で照らしだす露店の店先のようである。いろとりどりのクジや飴玉、菓子、おもちゃが、ここでは文庫の本だった。
そのときの衝撃をぼくらの世代がよく口にする言葉でいえば、「価値観の相違」を見せつけられたのである。
そこは角川文庫のコーナーで、よく見たら、ほとんどが「名著」と言われる本であった。
福沢諭吉の『学問のすすめ』、森鴎外の『舞姫』、谷崎潤一郎の『痴人の愛』、芥川龍之介の『羅生門』、太宰治の『斜陽』、与謝野晶子の『みだれ髪』、中島敦の『李陵・山月記』も置いてある。
それらの表紙がぜんぶ若い男と女のカラフルなマンガ絵なのだ。エンターテインメントが売り物の会社と言えばそれまでだが、こんな派手な装飾がいまどきの流行(はや)りなのだろう。しかも、透明のビニールできつくパッケージされている本まであった。
しばらく目をはなしているうちに時代は変わっていた。
だが、人一倍、繊細で美意識が高かったであろう亡き文豪たちはこれでいいのだろうか。明治生まれの耽美派の代表格・谷崎潤一郎あたりは草葉の陰で怒り狂っているのではあるまいか。
名著『文章読本』のなかで、谷崎はこう書き残している。
「品格ある文書を作りますには先づ何よりもそれにふさわしい精神を涵養することが第一でありますが、その精神とは何かと申しますと、優雅の心を会得することに帰着するのであります」
ああ、それなのに。表紙の若い男は茶髪なのだ。(この際、どうでもいいようなことだけど、『痴人の愛』の主人公の男は、「模範的なサラリー・マン」と書いてある)
ことしの本屋大賞を受賞した『成瀬は天下を取りにいく』の表紙もマンガの絵だった。新刊本のコーナーでも、同様の表紙は一大勢力になっていた。出版界は「二匹目のドジョウ」が大好きな業界だから、「三匹目」、「四匹目」を狙う動きは続くだろう。
ぼくの本立てには文豪たちの廃版になった全(選)集の古本が数冊並んでいる。
『現代文学大系 志賀直哉集』(筑摩書房)は昭和38年に発行されたもの。『昭和文学全集 井伏鱒二 太宰治集』(角川書店)はもっと古い昭和29年の発行である。
どちらの本も薄茶色に紙焼けしていて、いちばん最後の空白のページには、持ち主の名前、購入した年月日、読後の感想文が書き込んである。万年筆で書かれた黒いインクの筆づかいが若々しい。
旧仮名遣いの小さな文字がぎっしり詰まっているページを開くたびに、この本を手にしていた見ず知らずの人たちのことをあれこれ想像する。そして、「あなたたちの思いはちゃんと受け継いでいますからね」と言いたくなる。
やっぱり、価値観が違うのかな。
大病して長らくストップしていたが、下手は承知の上で、性懲りもなくまた習作にチャレンジするか。
近くの本屋で、あるコーナーが目に入ったとたん、そうおもった。そして、「なんじゃ? これは」と声を殺してつぶやいた。
とにかく目立つ。まるで秋祭りの夜の路地をおびただしい光の粒子で照らしだす露店の店先のようである。いろとりどりのクジや飴玉、菓子、おもちゃが、ここでは文庫の本だった。
そのときの衝撃をぼくらの世代がよく口にする言葉でいえば、「価値観の相違」を見せつけられたのである。
そこは角川文庫のコーナーで、よく見たら、ほとんどが「名著」と言われる本であった。
福沢諭吉の『学問のすすめ』、森鴎外の『舞姫』、谷崎潤一郎の『痴人の愛』、芥川龍之介の『羅生門』、太宰治の『斜陽』、与謝野晶子の『みだれ髪』、中島敦の『李陵・山月記』も置いてある。
それらの表紙がぜんぶ若い男と女のカラフルなマンガ絵なのだ。エンターテインメントが売り物の会社と言えばそれまでだが、こんな派手な装飾がいまどきの流行(はや)りなのだろう。しかも、透明のビニールできつくパッケージされている本まであった。
しばらく目をはなしているうちに時代は変わっていた。
だが、人一倍、繊細で美意識が高かったであろう亡き文豪たちはこれでいいのだろうか。明治生まれの耽美派の代表格・谷崎潤一郎あたりは草葉の陰で怒り狂っているのではあるまいか。
名著『文章読本』のなかで、谷崎はこう書き残している。
「品格ある文書を作りますには先づ何よりもそれにふさわしい精神を涵養することが第一でありますが、その精神とは何かと申しますと、優雅の心を会得することに帰着するのであります」
ああ、それなのに。表紙の若い男は茶髪なのだ。(この際、どうでもいいようなことだけど、『痴人の愛』の主人公の男は、「模範的なサラリー・マン」と書いてある)
ことしの本屋大賞を受賞した『成瀬は天下を取りにいく』の表紙もマンガの絵だった。新刊本のコーナーでも、同様の表紙は一大勢力になっていた。出版界は「二匹目のドジョウ」が大好きな業界だから、「三匹目」、「四匹目」を狙う動きは続くだろう。
ぼくの本立てには文豪たちの廃版になった全(選)集の古本が数冊並んでいる。
『現代文学大系 志賀直哉集』(筑摩書房)は昭和38年に発行されたもの。『昭和文学全集 井伏鱒二 太宰治集』(角川書店)はもっと古い昭和29年の発行である。
どちらの本も薄茶色に紙焼けしていて、いちばん最後の空白のページには、持ち主の名前、購入した年月日、読後の感想文が書き込んである。万年筆で書かれた黒いインクの筆づかいが若々しい。
旧仮名遣いの小さな文字がぎっしり詰まっているページを開くたびに、この本を手にしていた見ず知らずの人たちのことをあれこれ想像する。そして、「あなたたちの思いはちゃんと受け継いでいますからね」と言いたくなる。
やっぱり、価値観が違うのかな。
大病して長らくストップしていたが、下手は承知の上で、性懲りもなくまた習作にチャレンジするか。
亡き友のセーターを着る ― 2024年11月22日 15時38分

正午前に東京の町田市から宅配便が届いた。ことしはじめに病死した友人O君の夫人からで、段ボール箱のなかには新品のカジュアルシャツとクリーニングされた新品同様の冬物のセーター、ジャケット、魚のホッケそっくりのペンケースが入っていた。
これらは亡きO君のものである。
「△△さんに着ていただきたいです。順ちゃんもよろこぶとおもいます」
「はい。よろこんで」
そんなメールのやりとりをしたのは2日前のこと。すぐさま送っていただいた。
サイズはぴったり。デザイン、柄とも好みのものだった。小学校のころから特別仲がよかったアイツが戻ってきたようだった。
さっそく暖かそうなセーターとジャケットに袖を通す。
カミさんも「よく似合うわ。よかったね」と言ってくれた。
アイツと一緒にいる気がする。声も聞こえる。そして、俺が着るよりも、お前の方がずっと似合うよ、この服を着ているお前に会いたかったと痛切におもった。
実物大の魚の写真をデザインしたペンケースには見覚えがある。
小田急線の町田駅前の喫茶店で、彼が好きなエスプレッソを飲みながら、にやにやして取り出したものだ。魚の背に添ったファスナーを開けると、茶色の「ホッケの開き」になる。
アイツらしいなぁ。これもぼくの手元に回遊してきた。うんとかわいがってやることにしよう。
ことしはO君に続いて、もうひとり特別な人・Mさんを失った。
Mさんの奥さんからも、新品のセーターを頂戴している。「とうとう着ないまま逝ってしまったから、ぜひ、着てちょうだい」と言われた。
大切な人が続けさまにいなくなって、もうすぐふたりが残していった温かさに包まれる冬がくる。
これらは亡きO君のものである。
「△△さんに着ていただきたいです。順ちゃんもよろこぶとおもいます」
「はい。よろこんで」
そんなメールのやりとりをしたのは2日前のこと。すぐさま送っていただいた。
サイズはぴったり。デザイン、柄とも好みのものだった。小学校のころから特別仲がよかったアイツが戻ってきたようだった。
さっそく暖かそうなセーターとジャケットに袖を通す。
カミさんも「よく似合うわ。よかったね」と言ってくれた。
アイツと一緒にいる気がする。声も聞こえる。そして、俺が着るよりも、お前の方がずっと似合うよ、この服を着ているお前に会いたかったと痛切におもった。
実物大の魚の写真をデザインしたペンケースには見覚えがある。
小田急線の町田駅前の喫茶店で、彼が好きなエスプレッソを飲みながら、にやにやして取り出したものだ。魚の背に添ったファスナーを開けると、茶色の「ホッケの開き」になる。
アイツらしいなぁ。これもぼくの手元に回遊してきた。うんとかわいがってやることにしよう。
ことしはO君に続いて、もうひとり特別な人・Mさんを失った。
Mさんの奥さんからも、新品のセーターを頂戴している。「とうとう着ないまま逝ってしまったから、ぜひ、着てちょうだい」と言われた。
大切な人が続けさまにいなくなって、もうすぐふたりが残していった温かさに包まれる冬がくる。
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