「青春の書」に勇気づけられる ― 2025年08月03日 17時48分

朝の5時半。夜なかに2度起きて、ようやく浅い眠りに落ちていたぼくの頭の上で、空気の揺れる気配がした。カミさんだった。
「きょうは寝坊するんじゃなかったのか」
「花壇の花に液肥をやったの」
仕事が休みなのに、早起きが習慣になって、いつまでも寝ていられなかったらしい。
さいわいにして彼女は元気。こちらはまだ薬の副作用を引きずったままで、起き上がるにもしばしの時間と気合が要る。慢性的な寝不足もあって、ずっと頭も脚もふらふらして、いまにも倒れそうなときがある。すっかりわが家の大黒柱ではなくなって、夫婦の関係もこれまでの「援け合う」から、一方的に「扶けられる」に変わってしまった。
自分がそうなったから感じるのだが、「扶け合う(力を貸す)」という言葉は、これからの時代をつくるキーワードになってほしい、そうなるんだろうなともおもう。
身近なところにも、そんな具体例が増えている。カミさんは近くにある障がいを持つ人たちが暮らしている施設で、「生活指導員」の立場でパートをしている。勤務時間は朝6時から9時までの3時間。月の半分ほど働く契約である。
たったの3時間だが、いつもくたくたになって帰って来る。
ひと口に障がいといっても、肉体的なものから、発達障がい、適応障がい、精神障がい、知的障がい、双極性障がいなど、その種類は千差万別で、この分野にとんと知識のないぼくは、「この種の施設で、入居者の人たちのお世話をする仕事はそう簡単には務まらないだろうなぁ」ということぐらいしか想像できない。
詳しいことは書けないが、カミさんが働いている施設には、目の見えない人、口のきけない人、歩けない人、会話が通じない人、両性の性格を持つ人、ここから仕事に通っている人、手間のかからない人、人なつっこい人、よく食べる人、起こしても起きない人など、一人ひとりに、その人だけの特徴があるらしい。ただし、独りでは生活していけないことだけは共通しているという。
カミさんもこんな環境で働くのは初めてのこと。仕事から帰った日は、「今日の出来ごと」の話になる。どれもこれもこまかな世話ごとのようにみえてしまうが、おそらく生きているあいだじゅう、障がいから逃げられない本人や家族にとっては容易ならない問題にちがいなく、そんな話をじっと聞きながら、いまの自分と比較する。
不謹慎な言いまわしになるけれど、「気の毒に、つらいだろうなぁ」から、「オレは違うぞ。自分で動けるからな」、「きっとよくなってみせるからな」とたちまち自分を優位な立場に置いてしまう。そして、カミさんがこんな施設と縁ができたことすら、「これもなにかの因縁かな」と自分のいいように結びつけている。
突然、話は飛ぶが、一昨日から大江健三郎が1970年から文芸雑誌に書き始めた文章をまとめた『文学ノート』を数十年ぶりに読み返している。70年はぼくが早稲田に入った年である。つまり、ぼくの「青春の書」のひとつ。
鉛筆で新しく傍線を引きながら、読み返しているうちに元気が出てきた。その当時から大江は、まずプロット(物語の筋)をつくって、似たような原稿を大量生産する売れっ子作家たちをコテンパンにやっつけていた。しっかり入念な論証をしたうえで、「ニセの作家」とまで切り捨てている。彼の指摘は現代の出版界や作家にも通じるのではないか。
ちなみに「ムツゴロウおじさん」こと畑正憲も、同時代に大江がいたから小説家になることを諦めたひとりである。
なんという勇気と破壊力だろうか。だからこそ、大江を読んでいたのだ。そのことにきちんと頭の整理をして気がついた。
とにかく書く。まず書くことが大事なのだ。大江はこうも書いている。「(書くことで)現にあるような自分を乗りこえて、新しい自分にいたること」。
それでこんな破り捨ててもいいようなブログを書く気になった。
からだに無理はきかないけれど、うまくは言えないけれども、ぼくはいま静かに興奮している。
■先日、高校時代の友のふたりから電話があった。心配していた。ありがたいなぁ。
腹に力をこめて、「いまは副作用がきついけどな。暑いから自宅にこもっているけれど、大丈夫だよ。まだまだ、そう簡単には死なんよ。お互いにからだには気をつけようや」と明るい声を出した。
「きょうは寝坊するんじゃなかったのか」
「花壇の花に液肥をやったの」
仕事が休みなのに、早起きが習慣になって、いつまでも寝ていられなかったらしい。
さいわいにして彼女は元気。こちらはまだ薬の副作用を引きずったままで、起き上がるにもしばしの時間と気合が要る。慢性的な寝不足もあって、ずっと頭も脚もふらふらして、いまにも倒れそうなときがある。すっかりわが家の大黒柱ではなくなって、夫婦の関係もこれまでの「援け合う」から、一方的に「扶けられる」に変わってしまった。
自分がそうなったから感じるのだが、「扶け合う(力を貸す)」という言葉は、これからの時代をつくるキーワードになってほしい、そうなるんだろうなともおもう。
身近なところにも、そんな具体例が増えている。カミさんは近くにある障がいを持つ人たちが暮らしている施設で、「生活指導員」の立場でパートをしている。勤務時間は朝6時から9時までの3時間。月の半分ほど働く契約である。
たったの3時間だが、いつもくたくたになって帰って来る。
ひと口に障がいといっても、肉体的なものから、発達障がい、適応障がい、精神障がい、知的障がい、双極性障がいなど、その種類は千差万別で、この分野にとんと知識のないぼくは、「この種の施設で、入居者の人たちのお世話をする仕事はそう簡単には務まらないだろうなぁ」ということぐらいしか想像できない。
詳しいことは書けないが、カミさんが働いている施設には、目の見えない人、口のきけない人、歩けない人、会話が通じない人、両性の性格を持つ人、ここから仕事に通っている人、手間のかからない人、人なつっこい人、よく食べる人、起こしても起きない人など、一人ひとりに、その人だけの特徴があるらしい。ただし、独りでは生活していけないことだけは共通しているという。
カミさんもこんな環境で働くのは初めてのこと。仕事から帰った日は、「今日の出来ごと」の話になる。どれもこれもこまかな世話ごとのようにみえてしまうが、おそらく生きているあいだじゅう、障がいから逃げられない本人や家族にとっては容易ならない問題にちがいなく、そんな話をじっと聞きながら、いまの自分と比較する。
不謹慎な言いまわしになるけれど、「気の毒に、つらいだろうなぁ」から、「オレは違うぞ。自分で動けるからな」、「きっとよくなってみせるからな」とたちまち自分を優位な立場に置いてしまう。そして、カミさんがこんな施設と縁ができたことすら、「これもなにかの因縁かな」と自分のいいように結びつけている。
突然、話は飛ぶが、一昨日から大江健三郎が1970年から文芸雑誌に書き始めた文章をまとめた『文学ノート』を数十年ぶりに読み返している。70年はぼくが早稲田に入った年である。つまり、ぼくの「青春の書」のひとつ。
鉛筆で新しく傍線を引きながら、読み返しているうちに元気が出てきた。その当時から大江は、まずプロット(物語の筋)をつくって、似たような原稿を大量生産する売れっ子作家たちをコテンパンにやっつけていた。しっかり入念な論証をしたうえで、「ニセの作家」とまで切り捨てている。彼の指摘は現代の出版界や作家にも通じるのではないか。
ちなみに「ムツゴロウおじさん」こと畑正憲も、同時代に大江がいたから小説家になることを諦めたひとりである。
なんという勇気と破壊力だろうか。だからこそ、大江を読んでいたのだ。そのことにきちんと頭の整理をして気がついた。
とにかく書く。まず書くことが大事なのだ。大江はこうも書いている。「(書くことで)現にあるような自分を乗りこえて、新しい自分にいたること」。
それでこんな破り捨ててもいいようなブログを書く気になった。
からだに無理はきかないけれど、うまくは言えないけれども、ぼくはいま静かに興奮している。
■先日、高校時代の友のふたりから電話があった。心配していた。ありがたいなぁ。
腹に力をこめて、「いまは副作用がきついけどな。暑いから自宅にこもっているけれど、大丈夫だよ。まだまだ、そう簡単には死なんよ。お互いにからだには気をつけようや」と明るい声を出した。
最近のコメント