10月は、ぼくの月 ― 2025年10月01日 13時30分

昨日に続いて4時過ぎ、起床。
5時40分。カミさんは歩いて7分ほどの福祉施設に出勤。ベランダに出て、薄暗いなかを歩いて行くちいさな姿を見送る。彼女には馴染みのなかった人間ドラマが待っている。
いい知らせのあった月曜日の夜は目がさえて、昨日は完全な睡眠不足だった。そこで、昨夜は処方された軽い睡眠導入剤を1錠飲んだ。効果あり。顔を洗って、マグカップにペッボトルのコーヒーを水で薄めて、すぐパソコンを開く。
寝ている間に潜在意識が働いて、悩んでいた原稿の壁を打破してくれることがある。
それが起きた。とんでもない夢を見て、目が覚めた。あろうことか、すでに投函した短編がその対象だった。
なんと、いまごろになって、考えてもみなかった東大卒の兄貴が登場した。短編の主人公は勉強嫌いで、成績はよくなくて、男の子はひとりきりの家庭の少年していた。とんだ横ヤリが入って、完成した筋書きはもう滅茶苦茶である。
きっと潜在意識のなかで、もうひとリの編集者のぼくが出て来て、「お前な、自分の都合で、登場人物を減らして、書きやすくしただろう。こすいことをやりやがって。まだまだ構成力も、それを描き切る筆力も足りん!」。そう喝を入れられた気がした。
思い当たる節がある。でも、こういうことがあるから、おもしろい。
これからも短編に挑戦するめに、先月から新聞の切り抜きを再開した。仕事をしているときのパターンが戻って来た。
切り抜いた紙片を納めるクリアホルダーは3つだけ。それぞれに「見る眼」、「宝箱」、「団地」と書いた見出しのシートを張って、机の上の本棚に立てた。
もちろん、インターネットはおおいに活用する。だが、新聞の読者の投稿のページや社会面のベタ記事にも興味がある。これらは手元の新聞で見つけるしかない。
新聞を切り抜く道具は、その方法について一文を残してくれている、あの立花隆さんを見習って、アルミ製の定規を愛用している。
癌はちいさくなってきたし、前を向いてチャレンジする仕事もできた。
今日から10月。今月の化学療法は1回だけの予定。人にも会えるだろう。飲む約束もある。
自作の『2025年10月進行表』(A4サイズのペーパー)には、「10月は、ぼくの月」と鉛筆で書き込んである
■こんもりとした小さな植物はツツジの木。そのあたりの草はぜんぶ抜かれて、ただの地面になっている。よく見ると野草のスミレの株は残っている。
こんなことをするのは、あの有名な「草取り婆さん」しかいない。昨日の病院帰り、草取り中のところに、ちょこっと声をかけたら、ニコニコ顔でやって来て、20分以上もつかまってしまった。
5時40分。カミさんは歩いて7分ほどの福祉施設に出勤。ベランダに出て、薄暗いなかを歩いて行くちいさな姿を見送る。彼女には馴染みのなかった人間ドラマが待っている。
いい知らせのあった月曜日の夜は目がさえて、昨日は完全な睡眠不足だった。そこで、昨夜は処方された軽い睡眠導入剤を1錠飲んだ。効果あり。顔を洗って、マグカップにペッボトルのコーヒーを水で薄めて、すぐパソコンを開く。
寝ている間に潜在意識が働いて、悩んでいた原稿の壁を打破してくれることがある。
それが起きた。とんでもない夢を見て、目が覚めた。あろうことか、すでに投函した短編がその対象だった。
なんと、いまごろになって、考えてもみなかった東大卒の兄貴が登場した。短編の主人公は勉強嫌いで、成績はよくなくて、男の子はひとりきりの家庭の少年していた。とんだ横ヤリが入って、完成した筋書きはもう滅茶苦茶である。
きっと潜在意識のなかで、もうひとリの編集者のぼくが出て来て、「お前な、自分の都合で、登場人物を減らして、書きやすくしただろう。こすいことをやりやがって。まだまだ構成力も、それを描き切る筆力も足りん!」。そう喝を入れられた気がした。
思い当たる節がある。でも、こういうことがあるから、おもしろい。
これからも短編に挑戦するめに、先月から新聞の切り抜きを再開した。仕事をしているときのパターンが戻って来た。
切り抜いた紙片を納めるクリアホルダーは3つだけ。それぞれに「見る眼」、「宝箱」、「団地」と書いた見出しのシートを張って、机の上の本棚に立てた。
もちろん、インターネットはおおいに活用する。だが、新聞の読者の投稿のページや社会面のベタ記事にも興味がある。これらは手元の新聞で見つけるしかない。
新聞を切り抜く道具は、その方法について一文を残してくれている、あの立花隆さんを見習って、アルミ製の定規を愛用している。
癌はちいさくなってきたし、前を向いてチャレンジする仕事もできた。
今日から10月。今月の化学療法は1回だけの予定。人にも会えるだろう。飲む約束もある。
自作の『2025年10月進行表』(A4サイズのペーパー)には、「10月は、ぼくの月」と鉛筆で書き込んである
■こんもりとした小さな植物はツツジの木。そのあたりの草はぜんぶ抜かれて、ただの地面になっている。よく見ると野草のスミレの株は残っている。
こんなことをするのは、あの有名な「草取り婆さん」しかいない。昨日の病院帰り、草取り中のところに、ちょこっと声をかけたら、ニコニコ顔でやって来て、20分以上もつかまってしまった。
女性初の総裁・高市の「負けん気」 ― 2025年10月06日 17時23分

きつい日が続いている。きょうは昨日よりも、ほんの少し体調がいい。これから上り調子になって、だんだん元気が出てくる。ここまで来れば、もう大丈夫。
今朝は4時半に起床。寝不足で、いまもボーッとしている。少し頭の体操をしよう。
4日の土曜日、自民党の総裁選で高市早苗が勝利して、女性初の首相誕生が確定した。国政史上、画期的なことが起きた。彼女が数多くの自民党の党員から、こんなに高く評価されていたのかと正直、驚いた。最後の決め手は、唯一派閥を保持している麻生太郎の支持だった。やっぱりなぁ。
さっそく高市は麻生に会い、焦点の幹事長には彼の義弟の鈴木俊一の起用を早々と決めた。その麻生は、あの森友学園問題で、財務省がときの首相の安倍晋三に忖度して、公文書改ざんの疑惑が表面化したときの担当大臣である。
高市は党内に向かって、「全世代総力結集」と声を張り上げている。だが、その言葉とは裏腹に、どうしても最高権力者ならではの孤独な不安を感じてしまう。無派閥で、一匹オオカミ的なイメージが強い彼女の本当の味方は、永田町にどれだけいるのだろうか。
「あいつは女だから」と男たちがバカにするのは、政治の世界がいちばん遅れている。そのうえ政治家は「ものすごい嫉妬の動物」なのだ。女性初の首相になる高市の「負けん気」が見ものである。
「全世代総力結集」は、彼女の本音に違いあるまい。だが、望み通りの賛同が得られるかどうかはおおいに疑問だ。権力欲、名誉欲、プライドが幾重もぶつかる権力闘争(ポスト争い)はまた別の話である。
ぼくが29歳(1979年)のときだから、だいぶ古い話になるが、自民党が分裂の危機に陥った「40日抗争」が起きた。大平政権の倒閣運動で、実態は「福田赳夫vs田中角栄」の番外編。その心労で大平は衆院選のさなかに急死した。あとを継いだのが、当時の社会党から自民党に移って、大平派(宏池会)の番頭格だった鈴木善幸。俊一の父である。
そのとき鈴木首相が打ち出した党内融和のスローガンは「和の政治」だった。高市の「全世代総力結集」と比べると、その穏やかな人柄がわかるだろう。
ところが、この「和の政治」は評判がよくなかった。以心伝心ではないが、具体的にどういう政治なのか、意味がよくわからないのだ。
そのころ、ぼくは「人事の佐藤」と言われていた佐藤内閣の名官房長官だった木村俊夫(元外相)にときどき会っていた。取材をして集めた情報をどう判断するかについて、広い見識を持ち、政界屈指のスポークスマンだった彼の意見を聞くのが目的だった。
彼は「和の政治」について、こう言っていた。
「善幸さんの言う『和の政治』とは、言葉を変えて言えば、オーケストラのような政治でしょう。自民党は個性がいろいろな政治家の集団だから、首相はオーケストラの指揮者ですよ。違う音色をそれぞれ活かしながら、ひとつの交響楽にまとめる。『和』ではありません。善幸さんにそれができるだろうか。無理でしょう」
「全世代総結集」、「和の政治」、「オーケストラの政治」。党内融和の呼びかけも、政治家によって、言葉の使い方も、意味も、組織運営の哲学も、これほど違う。
老年学が盛んなアメリカ流に言えば、当選10回、64歳の高市はヤングシニアの働き盛り。やりたいことはいろいろあるだろうが、まずは苦しんでいる人々の現実に向き合って、だれもが人並みの暮らしができて、明るい希望が持てる国、戦争に巻き込まれない平和な国にしてもらいたい。
強気に出がちな高市早苗も冷ややかな目線で距離を置いてきた石破茂のように、いや、もっと苦労するだろうな。
■土曜日はアビスパ福岡vs横浜FCがホームであった。はげしい雷雨に遭い、早くから出かけたカミさんは、いつもの友だちとスタンドで1時間半も待ち時間。結果は1-0で、なんと8試合ぶりにアビスパの勝ち。夜は夫婦で久々の勝利の美酒にひたる。
われらが期待の星・安藤智哉もさすがの活躍ぶりを見せた。先日、彼は予想した通り、ケガのために辞退した日本代表に再度、選ばれた。アビスパも長いトンネルを抜けて、いい風が吹いてきた。
■写真は、5時40分過ぎの東の空。気温23度、快晴。カミさんは暗いなかを歩いてパートに。きょうも予想外のことが起きたという
今朝は4時半に起床。寝不足で、いまもボーッとしている。少し頭の体操をしよう。
4日の土曜日、自民党の総裁選で高市早苗が勝利して、女性初の首相誕生が確定した。国政史上、画期的なことが起きた。彼女が数多くの自民党の党員から、こんなに高く評価されていたのかと正直、驚いた。最後の決め手は、唯一派閥を保持している麻生太郎の支持だった。やっぱりなぁ。
さっそく高市は麻生に会い、焦点の幹事長には彼の義弟の鈴木俊一の起用を早々と決めた。その麻生は、あの森友学園問題で、財務省がときの首相の安倍晋三に忖度して、公文書改ざんの疑惑が表面化したときの担当大臣である。
高市は党内に向かって、「全世代総力結集」と声を張り上げている。だが、その言葉とは裏腹に、どうしても最高権力者ならではの孤独な不安を感じてしまう。無派閥で、一匹オオカミ的なイメージが強い彼女の本当の味方は、永田町にどれだけいるのだろうか。
「あいつは女だから」と男たちがバカにするのは、政治の世界がいちばん遅れている。そのうえ政治家は「ものすごい嫉妬の動物」なのだ。女性初の首相になる高市の「負けん気」が見ものである。
「全世代総力結集」は、彼女の本音に違いあるまい。だが、望み通りの賛同が得られるかどうかはおおいに疑問だ。権力欲、名誉欲、プライドが幾重もぶつかる権力闘争(ポスト争い)はまた別の話である。
ぼくが29歳(1979年)のときだから、だいぶ古い話になるが、自民党が分裂の危機に陥った「40日抗争」が起きた。大平政権の倒閣運動で、実態は「福田赳夫vs田中角栄」の番外編。その心労で大平は衆院選のさなかに急死した。あとを継いだのが、当時の社会党から自民党に移って、大平派(宏池会)の番頭格だった鈴木善幸。俊一の父である。
そのとき鈴木首相が打ち出した党内融和のスローガンは「和の政治」だった。高市の「全世代総力結集」と比べると、その穏やかな人柄がわかるだろう。
ところが、この「和の政治」は評判がよくなかった。以心伝心ではないが、具体的にどういう政治なのか、意味がよくわからないのだ。
そのころ、ぼくは「人事の佐藤」と言われていた佐藤内閣の名官房長官だった木村俊夫(元外相)にときどき会っていた。取材をして集めた情報をどう判断するかについて、広い見識を持ち、政界屈指のスポークスマンだった彼の意見を聞くのが目的だった。
彼は「和の政治」について、こう言っていた。
「善幸さんの言う『和の政治』とは、言葉を変えて言えば、オーケストラのような政治でしょう。自民党は個性がいろいろな政治家の集団だから、首相はオーケストラの指揮者ですよ。違う音色をそれぞれ活かしながら、ひとつの交響楽にまとめる。『和』ではありません。善幸さんにそれができるだろうか。無理でしょう」
「全世代総結集」、「和の政治」、「オーケストラの政治」。党内融和の呼びかけも、政治家によって、言葉の使い方も、意味も、組織運営の哲学も、これほど違う。
老年学が盛んなアメリカ流に言えば、当選10回、64歳の高市はヤングシニアの働き盛り。やりたいことはいろいろあるだろうが、まずは苦しんでいる人々の現実に向き合って、だれもが人並みの暮らしができて、明るい希望が持てる国、戦争に巻き込まれない平和な国にしてもらいたい。
強気に出がちな高市早苗も冷ややかな目線で距離を置いてきた石破茂のように、いや、もっと苦労するだろうな。
■土曜日はアビスパ福岡vs横浜FCがホームであった。はげしい雷雨に遭い、早くから出かけたカミさんは、いつもの友だちとスタンドで1時間半も待ち時間。結果は1-0で、なんと8試合ぶりにアビスパの勝ち。夜は夫婦で久々の勝利の美酒にひたる。
われらが期待の星・安藤智哉もさすがの活躍ぶりを見せた。先日、彼は予想した通り、ケガのために辞退した日本代表に再度、選ばれた。アビスパも長いトンネルを抜けて、いい風が吹いてきた。
■写真は、5時40分過ぎの東の空。気温23度、快晴。カミさんは暗いなかを歩いてパートに。きょうも予想外のことが起きたという
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