在宅ワークにチャレンジ2022年07月06日 12時05分

 巣ごもりの主夫生活がすっかりマンネリになって、何かしなくてはと考えた。
 考えても、外は猛暑である。先日は6月なのに、40度を記録するところもあった。屋外はアブナイ。ということは、家の中で何かするしかない。
 そこで、考えを決めた。よし、少しでも稼いでやろうと。
 世の中は長引くコロナ禍の影響で、自宅で仕事をするスタイルが流行している。副業もおおいに推奨されているらしい。あのダーウィンは環境の変化に対応するものが生き残ると喝破した。だったら、時流に乗るのがいいだろう。
 さて、部屋にいて、やれることといったら、書くことぐらいしかない。パソコンを開いて調べものをしていたら、頼んでもいないのに、画面の片隅にこんな広告がちょこんと載っていた。
「在宅でもできるライティングのお仕事です。Webライター募集中」。
 そうか、こういう手があったのか。とり立ててアンテナを張っていたわけでもないのに、求めていた情報が向こうから飛び込んでくることがままあるものだ。
 これに触発されて、試みに「ライター、在宅、募集」で検索したら、求人募集がどかどか出てきた。主婦でも歓迎とか、ひと月にン万円稼いだとか、そんな情報がテンコ盛りである。
 ここなら、何とかなるかもしれない。身のほど知らずに、楽観的にそうおもったぼくを誰が責められようか。なにしろ時間はたっぷりあるのだ。それにこの道の経験者でもある。デスクもやったし、編集・ライター養成講座で講師をしたこともあるんだからね。広告や広報の原稿はそれこそ山のように書いてきたんだからね。知らないだろうけど。
 さっそく1社に絞って、はじめて職務経歴書の作成にとりかかった。ところが、これが簡単ではなかった。
 息子が小・中学生のころ「お父さんの職業は何なの? 友だちに訊(き)かれて、どう答えていいかわからん」いわれたことがある。横にいたカミさんも「私もそうよ」といった。
 それほどいろんなことに首を突っ込んできた。ただ自分のなかでは、編集ライターの基軸からは、一度たりともはなれたことはないとおもっているのだが。
 ともかく必要事項の項目を埋めて、71歳の年齢を気にしつつ、ライター登録希望の送り先にメールした。審査して採用された人には、3日以内にその知らせのメールが来るという。落とされた人は音沙汰なしとのことだった。
 待つことしばし。
 結果、何のメールも来なかった。
 がっかりしなかったといえばウソになる。だが、書類選考の第一段階で、あんたには用はないとハネられた現実は受け入れざるを得ない。
 かつて、あるシニアの財団で九州本部の事務局長(本業と兼務)をしていたとき、シニアの経験や能力をどうやって生かすかというテーマで、県庁の担当者に呼ばれたことがある。そのときのことを、わが身のこととして思い出した。
 高齢者の希望と雇用する側との条件は、そう簡単にはマッチングしない。パート募集のチラシをみても、ほとんどが掃除の仕事である。それでも少ない年金だけでは、生活がまわっていかないから、条件が悪くても我慢するしかない。そんな人たちがあふれている。
 わが家も無縁ではない。このすさまじい貧困と格差が、今回の参院選の一大争点にならないのは、見事なまでに日本の行く末を示している。
 いまのぼくの心境に話を戻す。
 ひと言でいえば、チャレンジする。高望みをせず、自然体で、ゆっくり、とね。

■コロナの感染が始まってから、海にも出かけていない。きれいな海でのんびり泳いだら、どんなに気持ちがいいだろう。
 写真は波当津の旧防波堤のすぐ前方にひろがる海。中学1年生から浪人時代、そして大学4年生の夏まで、毎年欠かさず、この海で泳いで、潜って、遊びほうけていた。

ある政治家の死2022年07月10日 15時28分

 やっぱり、一昨日に起きた殺人事件のことを書いておこう。

 えーっ、まさか。
 その日の正午過ぎにテレビをつけたら、安倍晋三元首相が銃撃され、心肺停止のニュースが報じられていた。奈良市内で参院選の応援演説をはじめてすぐのことだった。突然の異常な事態が受け入れられずに、しばらく画面から目がはなせなくなった。
 夕方、いちばん恐れていた結末を知った。ご本人の無念、いかばかりかとおもう。
 至近距離の背中から発砲した男はその場で取り押さえられた。地元紙が伝える警察発表では、次の趣旨の供述をしているという。
「母親が宗教団体にのめり込んで多額の寄付をし、団体に恨みがあった。団体と元首相がつながっていると思ったから狙った」
 政治家がテロで亡くなった場合、暗殺という言葉がよく使われる。だが、暗殺は政治上、思想上の対決からその行為に及ぶもので、この犯人は「政治信条への恨みでやったわけではない」とも供述している。安倍氏にふりかかった悲劇は、やはり暗殺ではなく、殺人というべきだろう。
 供述通りなら、恨みの対象は特定の宗教団体のはずで、安倍氏はその身代わりにされた。こういうのを、言いがかりとか、とばっちり、というのだ。
 事件に驚いたぼくの心の整理がつくわけがない。いちばんわけがわからなかったのは、ほかならぬ安部氏ご本人だったにちがいない。
 件(くだん)の宗教団体と安倍氏の関係については何も知らないが、特定の団体が政治家を利用するのは古くからある手法である。ぼくの取材経験でもあった。
 利用されたのは、女性の地位向上に努めたあの市川房江元参議院議員(故人)。実際に被害者が出ていたある怪しげな営利団体のパンフレットに、推薦人として顔写真とコメントが載っていた。
 本人に電話で確認すると、独特のダミ声で即座に関係を否定した。彼女の預かり知らないところで、無断で名前が使用されていたのだ。
 なにも珍しいことではない。そして、こういう場合には、必ずといっていいほど傷つく人が出てくる。あの森友学園と安倍氏夫妻の関係を改めて持ち出すまでもないだろう。
 政治家には何が待ちかまえているかわからない。いや、政治家だけではないか……。
 (1980年6月12日。当時の大平正芳首相が「40日抗争」につづく総選挙の期間中に心労と激務のため急死した。そのときぼくは彼の地元の香川県に出張していた。
 すぐさま観音寺市にある大平氏の私邸を訪ねて、庭に面した座敷で後援会の幹部に会った。その人には前日も会って、選挙戦を取材したばかりだった。それが急遽、大平氏の生前の思い出話の取材に切り替わった。)
 安部氏が総理のとき、北海道での選挙の応援演説でヤジを飛ばした人に向かって、「あんな人に負けられない」と大声を張り上げて非難したことがあった。
 その当のご本人が今度の選挙戦の演説中に、まったく見ず知らずの男から一方的に恨まれて、「問答無用」といわんばかりに撃ち殺されてしまった。
 なんという最期だろうか。ぼくは政治家としての安倍氏には数々の反発を感じていたが、いまはただただご冥福を祈るのみ。
 これから先、たぶん「あの人は月だった」といわれる政治家が出てくる。太陽は安倍氏で、その光をあびて輝くのが月である。太陽が消えたら、月も光を失うということだ。
 今日は参院選の投票日。わけがわからないまま殺された政治家もあれば、当選して笑う人あり、落ちて泣く人もあり。万物流転の法則をしみじみとおもう。

■一昨日の事件を知る前に、『戦艦大和ノ最期』(吉田 満)を読み終えた。30年あまり前に買ったもの。漢字とカタカナで書かれた極めて簡潔な文章が胸に迫る。
「成算全クナシ。ワレラヲ待ツモノ、タダ必敗ノミカ」
「戦艦対航空機ノ優劣ヲ激論ス。戦艦優位ヲ主張スルモノナシ」
「沖縄突入ハ表面ノ目標ニ過ギズ 真ニ目指スハ、米精鋭機動部隊ノ標的ニホカナラズ。…ソノ使命ハ一箇ノ囮(おとり)ニ過ギズ。」
 戦う前から艦長以下の士官たちは、大和と自分たちの運命がわかっていた。そして、ついに沈没するときの地獄絵。
 読了して、改めて強く平和を願わずにはいられない。……安倍氏を襲った男は海上自衛隊に在職していたことがあるという。評する言葉が出てこない。

ベランダの花を、みなさんの花に ①2022年07月13日 13時09分

 昨日、カミさんは仕事が休み。休みだからといって朝寝坊をすることもなく、朝早くから洗濯機をまわしていた。ぼくの主夫業の至らなさとはちがって、やることがいっぱい溜っているらしい。
 トイレ、風呂、タンスのなか、ベランダ……。あれもしなくちゃ、これもと、どんどん手をひろげて、自分から仕事の深みにずぶずぶはまっていく。横目でみているぼくはその働きぶりが心理的プレッシャーになって、自分も何かやらなくてはいけないような気持ちになっていく。
 そして、やっぱりそうなった。
「わたし、今日こそ、ベランダにあるトレニアの鉢を処分するからね。花は団地の花壇に植え替えるから」
「外は暑いぞ。やぶ蚊にさされるよ」
「いいわよ、自分でやるから」
「あのな、あそこはほったらかしのままで、草が生えているし、土はガチガチに固いんだぞ。移植ごてで掘るのは無理だよ。いいよ、俺がやるよ」
 とうとう心にもないことを言わされてしまった。このクソ暑いさなかに。
 中学生のころ父親に買ってもらった鉄製の山芋掘りの道具を引っ張り出して、刃先を力いっぱい地面にたたき込む。ガチン! 小石に当たる音がする。もう一度、同じところに打ち込む。やっているうちに、草いきれのなかに土の匂いがたちのぼってきて、なつかしい記憶がもどってくる。よしっ、もっと掘るぞ。
 固まっていた土がほぐれて、やわらかくなったところで、白い固形肥料の粒をパラパラ撒いて、表面を手で均等にならして、耕す仕事は数分間で終了。そこにトレニアの株を移植して、カミさんがたっぷり水をかけた。
 細い茎を自由に伸ばせる新天地を得て、トレニアはよろこんでいるようにみえた。
 よしよし、大きくなれよ。こんな花でもわが子のようにかわいいのである。
 さて、これでまた仕事がひとつ増えた。これから先も面倒をみなければならない。その役目、ぼくにまわってきそうな予感がする。そして、その予感はきっと当たりそうな気がする。このクソ暑いのに。

ベランダの花を、みなさんの花に ②2022年07月13日 13時22分

 わが家のベランダで育てた花を、屋外の空き地に植え替えたのは、今回が初めてではない。以前、10年ほど世話をしていたマーガレットを同じように鉢から移植したことがあった。(写真)
 秋口から花が咲き始め、春先まで次々にたくさんの蕾が開いた。通りかがりに足を止めて、写真を撮る人もいた。
 1年目も、2年目もピンクの花が満開に咲いた。それから3年目を迎えた昨年のいまごろのこと、この大事なマーガレットが開化期を過ぎて、葉もほとんど落ちてしまい、全体が枯れ枝のようになって、夏場を乗り越えようとしているとき、業者による団地のいっせい草刈りがはじまった。そして、知らない間に、根元からごっそり刈り取られてしまった。
 いまでも「あの花はきれいだったねぇ」と惜しんでくれる人がいる。

■報道によれば、凶弾に倒れた安倍晋三元首相が宗教団体の世界平和統一家庭連合(旧統一協会)へビデオメッセージを送っていたことが、犯行の標的にされた理由のひとつだったという。そんなことぐらいで、何の罪もない人の命をためらいもなく奪うとは。
 ひと昔前、ネズミ講で大勢の人の恨みを買いながら、巨万の富を築いた「天下一家の会」なる団体があった。その記念祝典が武道館で開催されたとき、ひな壇には東京オリンピック(1964年)の某種目の監督から国会議員になった人物をはじめ、数人の国会議員が並んでいた。(全日本女子を率いた大松博文監督ではありません)
 議員たちは、破廉恥(はれんち)にも社会問題になっていたこの組織を持ちあげて、祝辞を述べた。取材をしていたぼくはあきれ返った記憶がある。
 「天下一家の会」の総元締めだった故内村健一会長を控室に訪ねると、背広を着たレスラーのような大男たちが鋭い目つきで、用心棒のようにまわりを固めていた。
 安倍氏と比べると、言いようのない気持ちになる。

歳をとるほど花は開く2022年07月18日 18時51分

 起伏の乏しい生活に変化が起きそうな気配がする。
 先日、ライターの在宅ワークに応募したが、あえなく落選してしまい、再チャレンジしようと決めた。そこで、だれでも登録できて、仕事の案件が多いことでも知られている二つの会社にライターの登録をした。
 単価の安い仕事が多いという評判は承知の上。でも、みながみな、そうではあるまい。何事もやってみなければわからない。
 さっそく翌日から「あなたにおすすめの本日の仕事」、「あなたにマッチする新しい仕事」というメールが両社から届いた。今日は朝の10時から12時半までに5件も送ってきた。依頼金額1円からの仕事がいくつもある。仕事以外のメールも来る。
 へえーっ、世の中はこんなに騒がしいのか、こんなところで稼いでいるのかと驚いた。ネット上のビジネスも、リアルの社会と同様に百花繚乱というべきか、玉石混交というべきか。ともあれ、いままでのぼくは、ぽつんとカヤの外にいたわけだ。
 おすすめの仕事を一つひとつ見るだけで時間がかかる。どこの会社が信頼できるのか、相手のことがさっぱりわからない。
 カネを払ってくれないとか、サギに遭った、という書き込みもある。疑い出したら切りがない。これまた現実社会となんら変わらない。やれやれ、何ごとも明あれば、陰ありだ。
 この業界は大手だけではない、従業員がたった3人という会社もある。こういうところはトップも社員たちもみな若い。20代の彼らからすれば、ぼくはまるで祖父の世代のようなもの。そんな年寄りに、いまどきの感覚はわかりっこないとおもうだろうな。
 自分だって、若いころに立場を置き換えると、そうおもうのがふつうである。大昔からある世代ギャップというやつだ。さきに落選したことも、妙に合点がいった。
 まぁ、それでもやらせてもらおうかな、これならできそうだな、という仕事もある。ただ、その仕事に手を上げている人の自己PRをみると、それはもう自信満々で、こちらは弾(はじ)き飛ばされそうな勢いだ。条件のいい案件には、全国規模のスケールで競争が渦巻いているらしい。(こんなことを書くと、そこで体当たりして稼いでいる若い人や主婦たちに笑われるだろうなぁ)
 ただ今朝がた、ちょっといい話を聞いた。NHKの番組で、ベテラン俳優の中原丈雄さんが故郷の熊本県人吉市に帰って、市内を流れる球磨川をみながら、こんなことを言ったのだ。
「歳をとるほど花は開くんですね」
 彼は、ぼくより1歳年下の1951年生まれ。詳しい内容は省くが、この言葉は苦労して、年齢を重ねてきたからこそ、言えるセリフだとおもう。
 およそ40年前、ぼくが東京から何の縁もゆかりもない福岡市に移転して、それまで描いていた将来の思惑が外れ、前がみえなくなっていたときがあった。さぁ、これからというときに記者を辞めたことを後悔した。
 ちょうどそのころのこと、お世話になった先輩記者のTさんが送ってくださった年賀状に一筆、こう書いてあった。
「人生、今が花だとおもってください」
 このひと言で、ぼくは救われた。立ち直ったと言ってもいい。
 そして、今朝。うーん、年齢の壁かなぁ、と思いふけっていたところに、中原さんの「歳をとるほど花は開くんですね」に出会ったのだ。
 これは、はたして偶然だろうか。

■わが家のベランダにも花が咲いている。セイロン ライティアの可憐な白い花、紫に白のラインがあざやかな花はサフィニア アート。なかなか花の名前を覚えられない。

友への届かなかったメール2022年07月23日 11時09分

「ポン!」
 夕食のサラダに添える真っ赤なトマトを洗っていたら、スマホの着信音が聞こえた。関西にいる中学生のときの同級生・Yさんからだった。
 おやおや、珍しいな。
 メールで送られてきたのはハガキの裏面の写真だった。女性の字でぎっしり書いてある。すぐ追いかけて、また彼女からの短いメールが届いた。
 それによれば、同じクラスメイトで、ぼくといちばん付き合いの長いO君が転倒して、大腿骨を骨折したという。メールには「脚の筋肉が落ちるので歩行が大変です」とあった。
 写真のハガキは、東京の郊外で暮らしているO君の奥さんがYさんに郵送したものだった。ふたりはときどき手紙のやりとりをしているらしい。このハガキを読めばすべてがわかるから、ということで送ってくれたのだろう。
 奥さんのハガキには、O君は車椅子でデイサービスやリハビリに通っていること、まわりのサポートへの感謝、そして、これからは気負わずに自然体でゆけたら、などがきれいな文字でつづられていた。常々からおもっていることだが、あいつは本当にいい奥さんに恵まれた。
 ぼくもO君のことは気になっていた(彼のことはこのブログにも書いた)。しかし、彼宛てのメールを出すのはいいとしても、その文章は、奥さんが本人に代わって読んで聞かせることを知っている。ということは、彼は文字をみても、意味を理解できなくなっているということだ。
 このあまりにも重い現実は、「認知症が進んで、あいつは俺の記憶がなくなっているかもしれない。そんな状態の彼にメールを送ったら、O君にも、奥さんにも、辛い思いをさせてしまうかもしれない。うーん、O君宛てのメールは出しにくいなぁ」という消極的な態度に、ぼくを追い込んでいた。
 だが、今回はありがたいことに、同じ同級生のYさんがO君の近況を知らせてくれた。
 こうなるとやることはひとつしかない。さっそくO君宛てにお見舞いを兼ねてこちらの近況報告のメールを出した。
 ところが、である。即座に「配信不能」の通知が来たのだ。たぶんメールのアドレスはO君夫妻の判断で削除したものとおもわれる。
 友だちの多いやつだから、さぞかし悲しい選択だっただろうな。やっぱり、そうだったんだな。
 男同士の友情は、たとえ何年、何十年会わなくても変わらない。いったん会えば、たちまち昔に戻って、「俺、お前」の仲になる。それが男と男の友情だ。
 ずっと、そうおもっていた。そして、ここにいたって、気がついたこともある。
 O君の奥さんと同級生のYさんは一度も会ったことがない。なのに、ときどき手紙でやりとりをしているという。
 実は、Yさんのご主人は数年前に脳梗塞で倒れたことがある。いまはお元気のようだが、それ以来、車椅子の生活になってしまったと聞いている。
 似たような境遇にある女同士だから、胸の内を打ち明けやすいのだろうか。友だちの現状に気をまわして、遠慮してしまうぼくとは真反対なのが女性同士の仲だった。
 Yさんは介護にたいへんな奥さんを親身になって励ましていたのだ。このことを心強くも、うれしくもおもうのは、ぼくだけではない、O君の方がもっとそうだろう。
 O君に送ったけれど、「配信不能」で届かなかったぼくのメールには、こんな一文も書いた。

 近くにいれば、おれも車椅子を押してやれるのに。
 こうして離ればなれでも、××ちゃんのような同級生がいてくれることは、おれたちの財産だね。 (××ちゃんはYさんの名前)

 このメッセージはこれから先もO君に届くことはない。彼のスマホに簡単なCメールを出して、奥さんと連絡を取り合うことはできたが、本人に言いたいことはもっとある。
 ぼくはどうしたものかと思案に暮れている。

■昨年の夏はこのあたりのセミが激減した。それまで耳をふさぎたくなるほどうるさかったのがウソのようだった。今年も少ない。きっと度外れの猛暑のせいだろう。
 みかけるのはアブラゼミばかり。シャンシャンシャンシャンとやかましかったクマゼミがいなくなった。嫌になるほど圧倒的な存在だったのに、いなくなると寂しいもので、欅や桜の枝の下を歩くとき、あの黒いからだと透明な羽をついつい探してしまう。