友への届かなかったメール ― 2022年07月23日 11時09分
「ポン!」
夕食のサラダに添える真っ赤なトマトを洗っていたら、スマホの着信音が聞こえた。関西にいる中学生のときの同級生・Yさんからだった。
おやおや、珍しいな。
メールで送られてきたのはハガキの裏面の写真だった。女性の字でぎっしり書いてある。すぐ追いかけて、また彼女からの短いメールが届いた。
それによれば、同じクラスメイトで、ぼくといちばん付き合いの長いO君が転倒して、大腿骨を骨折したという。メールには「脚の筋肉が落ちるので歩行が大変です」とあった。
写真のハガキは、東京の郊外で暮らしているO君の奥さんがYさんに郵送したものだった。ふたりはときどき手紙のやりとりをしているらしい。このハガキを読めばすべてがわかるから、ということで送ってくれたのだろう。
奥さんのハガキには、O君は車椅子でデイサービスやリハビリに通っていること、まわりのサポートへの感謝、そして、これからは気負わずに自然体でゆけたら、などがきれいな文字でつづられていた。常々からおもっていることだが、あいつは本当にいい奥さんに恵まれた。
ぼくもO君のことは気になっていた(彼のことはこのブログにも書いた)。しかし、彼宛てのメールを出すのはいいとしても、その文章は、奥さんが本人に代わって読んで聞かせることを知っている。ということは、彼は文字をみても、意味を理解できなくなっているということだ。
このあまりにも重い現実は、「認知症が進んで、あいつは俺の記憶がなくなっているかもしれない。そんな状態の彼にメールを送ったら、O君にも、奥さんにも、辛い思いをさせてしまうかもしれない。うーん、O君宛てのメールは出しにくいなぁ」という消極的な態度に、ぼくを追い込んでいた。
だが、今回はありがたいことに、同じ同級生のYさんがO君の近況を知らせてくれた。
こうなるとやることはひとつしかない。さっそくO君宛てにお見舞いを兼ねてこちらの近況報告のメールを出した。
ところが、である。即座に「配信不能」の通知が来たのだ。たぶんメールのアドレスはO君夫妻の判断で削除したものとおもわれる。
友だちの多いやつだから、さぞかし悲しい選択だっただろうな。やっぱり、そうだったんだな。
男同士の友情は、たとえ何年、何十年会わなくても変わらない。いったん会えば、たちまち昔に戻って、「俺、お前」の仲になる。それが男と男の友情だ。
ずっと、そうおもっていた。そして、ここにいたって、気がついたこともある。
O君の奥さんと同級生のYさんは一度も会ったことがない。なのに、ときどき手紙でやりとりをしているという。
実は、Yさんのご主人は数年前に脳梗塞で倒れたことがある。いまはお元気のようだが、それ以来、車椅子の生活になってしまったと聞いている。
似たような境遇にある女同士だから、胸の内を打ち明けやすいのだろうか。友だちの現状に気をまわして、遠慮してしまうぼくとは真反対なのが女性同士の仲だった。
Yさんは介護にたいへんな奥さんを親身になって励ましていたのだ。このことを心強くも、うれしくもおもうのは、ぼくだけではない、O君の方がもっとそうだろう。
O君に送ったけれど、「配信不能」で届かなかったぼくのメールには、こんな一文も書いた。
近くにいれば、おれも車椅子を押してやれるのに。
こうして離ればなれでも、××ちゃんのような同級生がいてくれることは、おれたちの財産だね。 (××ちゃんはYさんの名前)
このメッセージはこれから先もO君に届くことはない。彼のスマホに簡単なCメールを出して、奥さんと連絡を取り合うことはできたが、本人に言いたいことはもっとある。
ぼくはどうしたものかと思案に暮れている。
■昨年の夏はこのあたりのセミが激減した。それまで耳をふさぎたくなるほどうるさかったのがウソのようだった。今年も少ない。きっと度外れの猛暑のせいだろう。
みかけるのはアブラゼミばかり。シャンシャンシャンシャンとやかましかったクマゼミがいなくなった。嫌になるほど圧倒的な存在だったのに、いなくなると寂しいもので、欅や桜の枝の下を歩くとき、あの黒いからだと透明な羽をついつい探してしまう。
夕食のサラダに添える真っ赤なトマトを洗っていたら、スマホの着信音が聞こえた。関西にいる中学生のときの同級生・Yさんからだった。
おやおや、珍しいな。
メールで送られてきたのはハガキの裏面の写真だった。女性の字でぎっしり書いてある。すぐ追いかけて、また彼女からの短いメールが届いた。
それによれば、同じクラスメイトで、ぼくといちばん付き合いの長いO君が転倒して、大腿骨を骨折したという。メールには「脚の筋肉が落ちるので歩行が大変です」とあった。
写真のハガキは、東京の郊外で暮らしているO君の奥さんがYさんに郵送したものだった。ふたりはときどき手紙のやりとりをしているらしい。このハガキを読めばすべてがわかるから、ということで送ってくれたのだろう。
奥さんのハガキには、O君は車椅子でデイサービスやリハビリに通っていること、まわりのサポートへの感謝、そして、これからは気負わずに自然体でゆけたら、などがきれいな文字でつづられていた。常々からおもっていることだが、あいつは本当にいい奥さんに恵まれた。
ぼくもO君のことは気になっていた(彼のことはこのブログにも書いた)。しかし、彼宛てのメールを出すのはいいとしても、その文章は、奥さんが本人に代わって読んで聞かせることを知っている。ということは、彼は文字をみても、意味を理解できなくなっているということだ。
このあまりにも重い現実は、「認知症が進んで、あいつは俺の記憶がなくなっているかもしれない。そんな状態の彼にメールを送ったら、O君にも、奥さんにも、辛い思いをさせてしまうかもしれない。うーん、O君宛てのメールは出しにくいなぁ」という消極的な態度に、ぼくを追い込んでいた。
だが、今回はありがたいことに、同じ同級生のYさんがO君の近況を知らせてくれた。
こうなるとやることはひとつしかない。さっそくO君宛てにお見舞いを兼ねてこちらの近況報告のメールを出した。
ところが、である。即座に「配信不能」の通知が来たのだ。たぶんメールのアドレスはO君夫妻の判断で削除したものとおもわれる。
友だちの多いやつだから、さぞかし悲しい選択だっただろうな。やっぱり、そうだったんだな。
男同士の友情は、たとえ何年、何十年会わなくても変わらない。いったん会えば、たちまち昔に戻って、「俺、お前」の仲になる。それが男と男の友情だ。
ずっと、そうおもっていた。そして、ここにいたって、気がついたこともある。
O君の奥さんと同級生のYさんは一度も会ったことがない。なのに、ときどき手紙でやりとりをしているという。
実は、Yさんのご主人は数年前に脳梗塞で倒れたことがある。いまはお元気のようだが、それ以来、車椅子の生活になってしまったと聞いている。
似たような境遇にある女同士だから、胸の内を打ち明けやすいのだろうか。友だちの現状に気をまわして、遠慮してしまうぼくとは真反対なのが女性同士の仲だった。
Yさんは介護にたいへんな奥さんを親身になって励ましていたのだ。このことを心強くも、うれしくもおもうのは、ぼくだけではない、O君の方がもっとそうだろう。
O君に送ったけれど、「配信不能」で届かなかったぼくのメールには、こんな一文も書いた。
近くにいれば、おれも車椅子を押してやれるのに。
こうして離ればなれでも、××ちゃんのような同級生がいてくれることは、おれたちの財産だね。 (××ちゃんはYさんの名前)
このメッセージはこれから先もO君に届くことはない。彼のスマホに簡単なCメールを出して、奥さんと連絡を取り合うことはできたが、本人に言いたいことはもっとある。
ぼくはどうしたものかと思案に暮れている。
■昨年の夏はこのあたりのセミが激減した。それまで耳をふさぎたくなるほどうるさかったのがウソのようだった。今年も少ない。きっと度外れの猛暑のせいだろう。
みかけるのはアブラゼミばかり。シャンシャンシャンシャンとやかましかったクマゼミがいなくなった。嫌になるほど圧倒的な存在だったのに、いなくなると寂しいもので、欅や桜の枝の下を歩くとき、あの黒いからだと透明な羽をついつい探してしまう。
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