室見川の春の山野草2024年03月09日 15時23分

 自転車に乗った高校生たちがよく通る片側一車線の橋をわたって、室見川沿いの遊歩道を歩く。上流に向かって左側が早良区、右側は西区になる。
 同じ川をはさんだ遊歩道でも、ぼくたちの町のある早良区の方がいつも人の姿は多い。ということは、室見川の川岸で春の山野草を摘むのなら、だんぜん人通りの少ない西区の方がおすすめ、ということになる。
 こんな作戦を立てて散歩をする人はぼくだけではないようで、西区側の遊歩道を上流に向かってぶらぶら歩いていたら、前方に白いビニール袋を手にして、川岸の土手の斜面をかがみこむような格好でのぼり降りしている年配のおばさんがいた。小柄なからだに黒のズボン、茶色のパーカーをはおっている。晴れていても風は冷たい。
 追い越しざまにひと声かけた。
「もう、出てますか」
「はい」
「春ですね」
 おばさんとの距離がひらいたところで、土手の草むらに近づいてみる。
 かわいいツクシの棒があちこちに突っ立っている。おばさんは一本一本のハカマを指先でていねいにとって、卵とじにでもするのだろうか。大きな白いビニール袋がいっぱいになるまでには、まだ相当の距離を歩かなければならないだろう。そして、手間をかけて調理しても、まとめてパクリとやれば、至福のときはたちまち終わる。
 ぼくのジャンパーのポケットにも、白いビニール袋とカッターナイフを忍ばせていた。こちらの狙いはツクシではない。もっと上流に自生している川セリを摘みに出て来たのだ。
 数年前までは足の踏み場もないほど密集していたセリも、度重なる護岸工事や川底の掘削工事で川岸の様子がすっかり変わってしまい、自生している場所が少なくなった。
 でも、ぼくはどこに行けばセリが生えているのか、ちゃんと知っている。そこは枯れた葦の繁みのなかに隠れているので、よほどのモノ好きでもない限り、遊歩道からはなれて足を踏み入れる人はいない。
 背丈ほどもある薮(やぶ)のなかだろうが、野ばらの鋭いトゲが待ち構えていようが、クモの巣の糸が顔に巻きつこうが、どんどん奥へ奥へと突き進むのは、子どものころからそんなことなど平気で遊んでいた田舎育ちの強みである。
 バギッ、バキッ、バキッと目の前に立ちふさがっている枯れ枝をへし折って、からだごと倒すようにして前に進む。通りがかった人からみれば、「あんなところで、何をやっているんだ」と変人扱いされても仕方がないけれど、ぼくはこんなことをやっているときがすごくおもしろくて、たのしくて、こころが躍っているのだ。
 昨日の午後もそうやって服を汚して遊んだ。帰りにスーパーに立ち寄って、木綿豆腐一丁と芋焼酎の紙パックその他を買って来た。
 さぁ、これで準備よし。
 四角い豆腐の上に皿を置き、愛用していた素潜り用のベルトから外した重さ2キロの鉛の板をその上に載せて、しっかり水切りをする。摘んできたばかりの香りの高いセリをさっと茹でて、セリと豆腐の白和えをこしらえた。夜が来て、晩酌をやりながら、春のたのしみを味わった。
 ニュースをみて、株が4万円を突破したと聞けば、株をやっている人はいいなぁ、とおもい、生成AIの話題を耳にすると、便利そうだな、おもしろそうだなぁ、とおもう。でも、そうおもうだけで、いますぐにでもやろうとはおもわない。
 いま注目の株やAIに比べれば、ツクシやセリの話なんて、どうでもいいようなことかもしれないが、ぼくは白いビニール袋を提げて、ほんのひとときの季節のタイミングを逃さずに、野山をうろついている人が好きである。

■過日、通院している総合病院でその後の血液検査と定期診断を受けた。糖尿病の担当の女医さんは、このところの血糖値のデータをみて、もしかしたらインスリンの出る量が増えているかもしれない、期待しています、と話していたが、結果は逆に減っていた。
 次に診察を受けた外科医によれば、手術で切り取ったすい臓の下半分に、インスリンを出す機能があるという。その通りの結果だったわけだ。
 それでも、「出ていますからね」と言われた。女医さんは「また調べましょう」と言う。どうやら万事休す、でもなさそうである。どちらも励ましの言葉だと受け止めている。

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