「西高3人組」、予期せぬ再会へ ― 2025年02月01日 18時25分

予想外の展開になった。ブラジルから帰国中のS君、小倉にいるH君の「西高3人組」が集まって、来週4日に小倉で飲むことになった。だが、単純にうれしいとよろこべない。
昨夕、S君から親友のH君にLINEが届いた。そのままぼくに転送してくれた。
「兄貴の葬儀の為、明日、小倉に着きます。突然のことで、何も用意ができてなく……」
こんなことってあるのだろうか。
サンパウロから奥さんと一緒に帰国して、東京にいる娘さんの看病でどこにも行けず、帰国の予定をひと月先に延ばしていた。本来ならば、昨年末にはあれほどたのしみしていた九州旅行ができて、お兄さんにも会えたはずだった。
しかし、もう遅い。時間も人も、帰って来ない。
せめてもの救いは葬式に間に合って、最後の別れができること。飛行機を乗り継いで、26、7時間もかかるブラジルに帰国する前でよかった。本人の気持ちを考えるとそうやってなぐさめるしかないか。
こうしてそれぞれの人の、それぞれの人生が終わる。
「人生には筋はない。むしろ人生のなにもかもが筋なのだ」
ある小説家はそんなことを書いている。ぼくはこの言葉にはげしく共感する。とりわけ、こんな事態にぶつかるときは。
ともかく3日後には会える。S君は同窓生のなかでも独自路線を突っ走る、名うての積極派だった。H君も学生時代に自転車で全国を走りまわった男である。オレたちにしょんぼりした顔は似合わない。
ふたりともぼくのからだのことを心配しているようだから、せいぜい空元気を出して、それぞれが夢を追いかけていた高校時代にひとっ飛びすることにしよう。
■近くにある大根畑。例年、たくさんの大根が引き抜かれないまま放置される。野菜が高騰しているというのに。
昨夕、S君から親友のH君にLINEが届いた。そのままぼくに転送してくれた。
「兄貴の葬儀の為、明日、小倉に着きます。突然のことで、何も用意ができてなく……」
こんなことってあるのだろうか。
サンパウロから奥さんと一緒に帰国して、東京にいる娘さんの看病でどこにも行けず、帰国の予定をひと月先に延ばしていた。本来ならば、昨年末にはあれほどたのしみしていた九州旅行ができて、お兄さんにも会えたはずだった。
しかし、もう遅い。時間も人も、帰って来ない。
せめてもの救いは葬式に間に合って、最後の別れができること。飛行機を乗り継いで、26、7時間もかかるブラジルに帰国する前でよかった。本人の気持ちを考えるとそうやってなぐさめるしかないか。
こうしてそれぞれの人の、それぞれの人生が終わる。
「人生には筋はない。むしろ人生のなにもかもが筋なのだ」
ある小説家はそんなことを書いている。ぼくはこの言葉にはげしく共感する。とりわけ、こんな事態にぶつかるときは。
ともかく3日後には会える。S君は同窓生のなかでも独自路線を突っ走る、名うての積極派だった。H君も学生時代に自転車で全国を走りまわった男である。オレたちにしょんぼりした顔は似合わない。
ふたりともぼくのからだのことを心配しているようだから、せいぜい空元気を出して、それぞれが夢を追いかけていた高校時代にひとっ飛びすることにしよう。
■近くにある大根畑。例年、たくさんの大根が引き抜かれないまま放置される。野菜が高騰しているというのに。
大雪予報で、たのしみ消える ― 2025年02月04日 00時13分

予定していた「西高3人組」の飲み会が中止になった。明日の4日から九州北部でもつづけて大雪が降るという気象情報を聞いて、そうするしかなかった。
「今季最強の寒波が来ます。大雪にはじゅうぶん警戒してください」という言葉のシャワーをこれでもかというぐらい浴びているうちに、だんだんそうなんだと思い込むようになって、まるで雪のなかに置かれているような気持ちになった。
何度も繰り返して同じような気象情報を見てしまう。もしかしたら、ぼくたち日本人は天気予報がよほど好きな民族なのかもしれない。
案の定、今朝早く小倉にいるH君から、「新幹線がストップしたら、Sは東京へ戻れなくなるよな。残念だけど、今回の飲み会は中止しようか。今日中に帰した方があいつのためにもいいとおもうんだけどな」という電話があった。考えていることは一緒だから、H君の判断に迷うことなく賛成した。
新幹線で小倉駅から東京駅までの1107.7キロメートルの間、それぞれの土地の気候はその地形や場所ごとに変化する。新幹線のルートでは九州から瀬戸内海沿岸、東海地方は大丈夫でも、琵琶湖から先の伊吹山地から関ケ原あたりがあぶない。あそこは雪国にようになる。
ところが、いちばんの難題はまだ亡くなった実兄の家にとどまっていたS君の認識を変えることだった。
なにしろ彼が単身でブラジルに渡ったのはいまから半世紀も前のこと。ごくたまにしか帰国していないS君は、「大雪になったら東海道新幹線が止まることもある」というだれでも知っている常識がピンと来ないらしい。
そのうえ、すっかり「ブラジル時間」の感覚に染まっているから、もともとの本人の豪放な気性とも相まって、こんな火急の場合でも、じつにおおらかというか、鷹揚(おうよう)に構えるのである。
そんなことは百も承知の上だから、友だち思いのH君はますます気が休まらない。
「とにかく今日中に東京に帰った方がいいと説得しよう。あいつから頼まれて予約していたホテルも、飲み会の店もキャンセルするよ」
実兄の葬儀を終えたS君は午後3時過ぎに博多駅でH君と合流した。ふたりで軽くビールを飲んで、言われたとおりに予定を変更して、新幹線で東京へ発ったという。
ぼくはとうとう会うことができなかった。こうしてたのしみにしていた「西高3人組」の飲み会はまだ雪が降ってこない前に、あわ雪のように消えてしまった。
S君には予定変更の急なことばかりだったが、3日ぶりに彼の顔を見たご家族はさぞかしほっとしたことだろう。
■いつもは室見川を遡って歩く。たまには違う景色を見たくなって、下流の方にぶらぶら歩いた。
「今季最強の寒波が来ます。大雪にはじゅうぶん警戒してください」という言葉のシャワーをこれでもかというぐらい浴びているうちに、だんだんそうなんだと思い込むようになって、まるで雪のなかに置かれているような気持ちになった。
何度も繰り返して同じような気象情報を見てしまう。もしかしたら、ぼくたち日本人は天気予報がよほど好きな民族なのかもしれない。
案の定、今朝早く小倉にいるH君から、「新幹線がストップしたら、Sは東京へ戻れなくなるよな。残念だけど、今回の飲み会は中止しようか。今日中に帰した方があいつのためにもいいとおもうんだけどな」という電話があった。考えていることは一緒だから、H君の判断に迷うことなく賛成した。
新幹線で小倉駅から東京駅までの1107.7キロメートルの間、それぞれの土地の気候はその地形や場所ごとに変化する。新幹線のルートでは九州から瀬戸内海沿岸、東海地方は大丈夫でも、琵琶湖から先の伊吹山地から関ケ原あたりがあぶない。あそこは雪国にようになる。
ところが、いちばんの難題はまだ亡くなった実兄の家にとどまっていたS君の認識を変えることだった。
なにしろ彼が単身でブラジルに渡ったのはいまから半世紀も前のこと。ごくたまにしか帰国していないS君は、「大雪になったら東海道新幹線が止まることもある」というだれでも知っている常識がピンと来ないらしい。
そのうえ、すっかり「ブラジル時間」の感覚に染まっているから、もともとの本人の豪放な気性とも相まって、こんな火急の場合でも、じつにおおらかというか、鷹揚(おうよう)に構えるのである。
そんなことは百も承知の上だから、友だち思いのH君はますます気が休まらない。
「とにかく今日中に東京に帰った方がいいと説得しよう。あいつから頼まれて予約していたホテルも、飲み会の店もキャンセルするよ」
実兄の葬儀を終えたS君は午後3時過ぎに博多駅でH君と合流した。ふたりで軽くビールを飲んで、言われたとおりに予定を変更して、新幹線で東京へ発ったという。
ぼくはとうとう会うことができなかった。こうしてたのしみにしていた「西高3人組」の飲み会はまだ雪が降ってこない前に、あわ雪のように消えてしまった。
S君には予定変更の急なことばかりだったが、3日ぶりに彼の顔を見たご家族はさぞかしほっとしたことだろう。
■いつもは室見川を遡って歩く。たまには違う景色を見たくなって、下流の方にぶらぶら歩いた。
1週間ぶりのわが家のお風呂 ― 2025年02月05日 18時11分

鯨の群れのような雲のあいだに青空がみえる。先ほどまでは舗道に落ちたつぶ雪が白いボールみたいに転がっていたが、いまはわた雪がふわふわ舞っている。
寒い。でも、寒くても昨日までの夜のようなことはない。むしろ、早く日が暮れてほしいくらいである。ずっと我慢していた、やりたいことがあるのだ。
1週間ぶりに、やっと温かい風呂に入れる。
ぼくたちにひと言の断りもなく、浴槽の給湯器がこわれてからの入浴タイムは毎回おおごとだった。ふたつのバケツ、洗面器、やかんにも熱い湯を入れて、台所の流しから風呂場まで、お湯がこぼれないように行ったり来たりした。
カミさんと息を合わせてお互いの救助活動をやっているようで、おもしろかった面もある。けれども、どうしても、やっぱり寒かった。
給湯器の入れ替え工事は午前中に終わった。大雪の予報が出ているなか、朝いちばんに駆けつけてくれた工事の人に何度も頭を下げてお礼を言った。これでやっと人並みの生活に戻れる。
浴槽のガスに着火しなくなった原因は経年劣化という。
これまでもある日突然、洗濯機が動かなくなったことがある。テレビ、オーブンレンジ、掃除機、アイロンもそうだった。電球なんて数えきれないぐらいだ。きっとまだほかにもあったとおもう。
風呂が使えなくなったとき、カミさんが不吉な予言をした。
「お父さん、この冷蔵庫は25年になるのよ。洗濯機は10年以上よ。いつこわれてもおかしくないよね」
「すごいね、長持ちするね、おりこうさんだね」
ぼくはこういうとき、できるだけそんなありがたくないことは頭から振り払うようにしている。とくに理由はない、考えたくないのである。
先ごろ団地の独り暮らしの人が生活保護を受けるようになった。その際、彼はテレビ、エアコン、冷蔵庫、洗濯機をぜんぶ新品に買い替えたという。
生活保護を受けるには所持金に関する条件がある。「貯金も駄目という話を人から教えてもらったから、申請する前にみんな新品にしたんよ。これで自分が死ぬまで買い替えんですむやろう」と言っていた。いまできる範囲で生活防衛の手を打ったというわけだ。
こんな話を耳にすると、なんでもかんでも杓子定規に決めつける人情味のなさを感じるし、家電の寿命と人の寿命が一緒くたになっているようで、なんだか切なくなってくる。
ここまで書いて、防寒武装で着ぶくれしたカミさんが仕事から帰ってきた。
さぁ、風呂だ、風呂だ。
寒い。でも、寒くても昨日までの夜のようなことはない。むしろ、早く日が暮れてほしいくらいである。ずっと我慢していた、やりたいことがあるのだ。
1週間ぶりに、やっと温かい風呂に入れる。
ぼくたちにひと言の断りもなく、浴槽の給湯器がこわれてからの入浴タイムは毎回おおごとだった。ふたつのバケツ、洗面器、やかんにも熱い湯を入れて、台所の流しから風呂場まで、お湯がこぼれないように行ったり来たりした。
カミさんと息を合わせてお互いの救助活動をやっているようで、おもしろかった面もある。けれども、どうしても、やっぱり寒かった。
給湯器の入れ替え工事は午前中に終わった。大雪の予報が出ているなか、朝いちばんに駆けつけてくれた工事の人に何度も頭を下げてお礼を言った。これでやっと人並みの生活に戻れる。
浴槽のガスに着火しなくなった原因は経年劣化という。
これまでもある日突然、洗濯機が動かなくなったことがある。テレビ、オーブンレンジ、掃除機、アイロンもそうだった。電球なんて数えきれないぐらいだ。きっとまだほかにもあったとおもう。
風呂が使えなくなったとき、カミさんが不吉な予言をした。
「お父さん、この冷蔵庫は25年になるのよ。洗濯機は10年以上よ。いつこわれてもおかしくないよね」
「すごいね、長持ちするね、おりこうさんだね」
ぼくはこういうとき、できるだけそんなありがたくないことは頭から振り払うようにしている。とくに理由はない、考えたくないのである。
先ごろ団地の独り暮らしの人が生活保護を受けるようになった。その際、彼はテレビ、エアコン、冷蔵庫、洗濯機をぜんぶ新品に買い替えたという。
生活保護を受けるには所持金に関する条件がある。「貯金も駄目という話を人から教えてもらったから、申請する前にみんな新品にしたんよ。これで自分が死ぬまで買い替えんですむやろう」と言っていた。いまできる範囲で生活防衛の手を打ったというわけだ。
こんな話を耳にすると、なんでもかんでも杓子定規に決めつける人情味のなさを感じるし、家電の寿命と人の寿命が一緒くたになっているようで、なんだか切なくなってくる。
ここまで書いて、防寒武装で着ぶくれしたカミさんが仕事から帰ってきた。
さぁ、風呂だ、風呂だ。
はた迷惑な似たもの同士 ― 2025年02月08日 11時42分

法の下ではみな平等というけれど、現実はそうでもないことがあちこちで実証されている。トランプ、プーチン、習近平、もうひとりネタニヤフも加えておこうか。この人たちの顔を見るたびに、「どこか似ているなぁ」とおもう。
法や規則に従わない男といえば、すぐに浮かぶのがトランプで、口汚く政敵をののしり、数々の疑惑で告発もされて、それを立証する証言や証拠の数々もあったのに、結果はご存じの通り。現職の大統領になったから検察もおいそれとは手を出せなくなった。
いまの彼はさながら「復讐の鬼」のごとしで、議会を襲撃して刑務所暮らしをしていた仲間たちをいとも簡単に恩赦で放免した。トランプを支持する人たちにとって、脅しの手法を使い、「アメリカ・ファースト」をブルトーザーのように突き進む彼こそが真の革命家であり、待ち焦がれていたヒーローなのだろう。
プーチン、習近平、ネタニヤフはいずれも国際法に違反して、他国の領土や領海を力ませに侵略している。あのトランプもグリーンランドやカナダまで欲しいと言っている。
そろいもそろって、よくもまぁ、と言いたくなる。この4人はお互いのあいだに引力でも働いているのだろうか。
イスラエルのネタニヤフに肩入れしているはトランプ。ウクライナへの攻撃を止めないプーチンを支えているのは習近平。またプーチンとトランプにも因縁があって、第一次トランプ政権が誕生したときの大統領選がそうだった。
あのときの選挙の中盤戦まで優位だったのは民主党のクリントンである。それをひっくり返したのは、ロシアが仕掛けたクリントン追い落としの選挙工作だった。
ここまで来たら、あのことも書きたくなった。ロシアと中国には共通点があるという話。明治生まれの文豪・谷崎潤一郎の随筆『懶惰(らんだ)の説』にこんな文章がある。
アメリカの記者は支那が外国から金を借りて元金も払わない不信を攻め、この点において「南京政府はモスコーの真似をしている」といっている。が、単に金銭上の問題ばかりではなく、不潔なこともこの両国民は甚だ似通っていはしないか。但しこの方は孰方が本家か分からないが、私の知れる限りにおいて、白人のうちではロシア人が一番汚い。凡そロシア人の多く泊まっているホテルの便所は、大概支那の汽車のそれと同じような観を呈する。
95年も前の文章だが、いまでも心当たりのある人はいるだろう。もちろん、皆がみな、そうではなくて、知り合いになれてうれしい人もいる。
話が飛んだところまで行ってしまった。
気になるのは、本日行われた日米首脳会談の中身。相手が相手だけに、石破さん、大丈夫かなぁと心配していたが、速報によると首尾は上々だったらしい。信頼関係の構築はなによりでも、トランプの手の平でただ踊らされているのでなければいいのだが。
■写真は「一畳一夢」の机。もう何十年も使っている。いくつもの資料を広げられるように横幅は120センチのものを選んだ。デスクマットには、その年の秋に散歩で拾った落ち葉を並べている。
小石も置いてある。波当津の浜辺と室見川の岸辺に転がっていたもの。小刀は男の子の必需品だった「肥後守」。そして、このパソコンの待ち受け画面は、青くひろがる波当津の沖合の海原。
いろんな時間がここにはある。
法や規則に従わない男といえば、すぐに浮かぶのがトランプで、口汚く政敵をののしり、数々の疑惑で告発もされて、それを立証する証言や証拠の数々もあったのに、結果はご存じの通り。現職の大統領になったから検察もおいそれとは手を出せなくなった。
いまの彼はさながら「復讐の鬼」のごとしで、議会を襲撃して刑務所暮らしをしていた仲間たちをいとも簡単に恩赦で放免した。トランプを支持する人たちにとって、脅しの手法を使い、「アメリカ・ファースト」をブルトーザーのように突き進む彼こそが真の革命家であり、待ち焦がれていたヒーローなのだろう。
プーチン、習近平、ネタニヤフはいずれも国際法に違反して、他国の領土や領海を力ませに侵略している。あのトランプもグリーンランドやカナダまで欲しいと言っている。
そろいもそろって、よくもまぁ、と言いたくなる。この4人はお互いのあいだに引力でも働いているのだろうか。
イスラエルのネタニヤフに肩入れしているはトランプ。ウクライナへの攻撃を止めないプーチンを支えているのは習近平。またプーチンとトランプにも因縁があって、第一次トランプ政権が誕生したときの大統領選がそうだった。
あのときの選挙の中盤戦まで優位だったのは民主党のクリントンである。それをひっくり返したのは、ロシアが仕掛けたクリントン追い落としの選挙工作だった。
ここまで来たら、あのことも書きたくなった。ロシアと中国には共通点があるという話。明治生まれの文豪・谷崎潤一郎の随筆『懶惰(らんだ)の説』にこんな文章がある。
アメリカの記者は支那が外国から金を借りて元金も払わない不信を攻め、この点において「南京政府はモスコーの真似をしている」といっている。が、単に金銭上の問題ばかりではなく、不潔なこともこの両国民は甚だ似通っていはしないか。但しこの方は孰方が本家か分からないが、私の知れる限りにおいて、白人のうちではロシア人が一番汚い。凡そロシア人の多く泊まっているホテルの便所は、大概支那の汽車のそれと同じような観を呈する。
95年も前の文章だが、いまでも心当たりのある人はいるだろう。もちろん、皆がみな、そうではなくて、知り合いになれてうれしい人もいる。
話が飛んだところまで行ってしまった。
気になるのは、本日行われた日米首脳会談の中身。相手が相手だけに、石破さん、大丈夫かなぁと心配していたが、速報によると首尾は上々だったらしい。信頼関係の構築はなによりでも、トランプの手の平でただ踊らされているのでなければいいのだが。
■写真は「一畳一夢」の机。もう何十年も使っている。いくつもの資料を広げられるように横幅は120センチのものを選んだ。デスクマットには、その年の秋に散歩で拾った落ち葉を並べている。
小石も置いてある。波当津の浜辺と室見川の岸辺に転がっていたもの。小刀は男の子の必需品だった「肥後守」。そして、このパソコンの待ち受け画面は、青くひろがる波当津の沖合の海原。
いろんな時間がここにはある。
団地の元気な「三婆(さんばばあ)」 ― 2025年02月14日 13時46分

朝から青い空がひろがって、風もなく暖かい日差しがふり注いでいる。買い物からの帰り道、もう少し歩きたくて室見川に向かった。片側一車線の県道のせまい歩道から川沿いの桜並木の堤に近づいたとき、白髪頭の小柄な老女が目に入った。
ちいさく刻む歩幅に合わせて両肩をかるく左右に傾けながら、ヒョコヒョコ歩いている。見覚えのある歩き方である。
あの「花盗りばあさん」だった。同じ団地の住人だから、このあたりでときどき見かける。だが、室見川の遊歩道まで遠征しているとは知らなかった。
なんとなく顔を合わせたくなくて、葉の落ちた桜の枝を目隠しにしてやり過ごした。
元気そうだった。ここで本人の名誉のために断っておく。
以前、ぼくたち夫婦が面倒をみている団地の花壇の花を、このおばあさんに何度も盗まれたことがある。犯行の現場はぼくも目撃したし、ほかの住人も見ている。それでも平気で繰り返していた。
一時は、ボケてるらしいから仕方がないな、と諦めかけたこともある。でも、「花盗りばあさん」は一部の人のあいだで有名になっていたし、このまま放っておいては本人のためにもよくない。そこで諄々と説得したことがある。
その後、おばあさんは花壇に咲いている花を盗らなくなった。はなれて通り過ぎるだけで手は出さない。その代わり、すぐ近くの生垣に咲いている赤い山茶花(さざんか)の花を遠慮なくいくつもちぎり取っていた。見かけるたびに腰につけたバッグのなかには赤や黄色、白の花があった。
桜の陰に隠れていたのでわからなかったが、今日もたぶんそうだろうなとおもった。こんなときは正面から顔を合わせにくい。
この団地には、ぼくたち夫婦が「三婆(さんばばあ)」とこっそり呼んでいる名物おばあさんがいる。ひとりはこの「花盗りばあさん」、もうひとりは「草取りばあさん」、そして、「インコばあさん」。
皆さん、読んで字のごとしで、「インコ婆さん」はいつもお決まりのベンチに座って、かわいがっている黄色のセキセイインコをそのへんで自由に遊ばせている。飛んで逃げることはない。カミさんと一緒にいるときに一度だけ声をかけたことがある。
「××ちゃんはね、わたしから10メートル以上はなれることはないのよ。この子はね……」
インコの話をはじめると止まらないことがよくわかった。
「草取りばあさん」には先日驚かされた。
かわいい白の帽子に、明るいクリーム色のいかにも上質な洋服を着こなして、赤いストールを首からすらりと流し、赤いメガネをかけた見慣れない女性がぼくたち夫婦に近づいてきて、ニコニコ手を振っている。ふじ色のマスクをしているので顔はわからない。
「いったいだれだろう」と戸惑っていたら、自分の方から名前を明かした。
「草取りばあさんよ!」
びっくりした。よくもまぁ、ここまで見事に化けたものだと唸った。
「わぁ、素敵ですね!」とカミさんも声をあげた。
「これから天神に行くの。じゃあね、バイバイ!」
歩き方も腰が落ちたガニ股ではなかった。背筋をしゃんと伸ばして、さっそうと歩いて行った。
「いつものボサボサの髪じゃなかったね。メガネも違ってたわよ。目ヤニもついてなかったね」
これ以上書いたら、ひっぱたたかれそうだから、このへんで止めておこう。
■ある人に訊かれたので、先日このブログに写真を載せたベランダの大根の行くえについて報告しておく。半月あまり干して、すっかり細くなり、ほどよくやわらかくなったところを、カミさんがぬか漬けにしてくれた。歯ざわり、味ともに上出来で、酒のつまみにもぴったりであった。
ちいさく刻む歩幅に合わせて両肩をかるく左右に傾けながら、ヒョコヒョコ歩いている。見覚えのある歩き方である。
あの「花盗りばあさん」だった。同じ団地の住人だから、このあたりでときどき見かける。だが、室見川の遊歩道まで遠征しているとは知らなかった。
なんとなく顔を合わせたくなくて、葉の落ちた桜の枝を目隠しにしてやり過ごした。
元気そうだった。ここで本人の名誉のために断っておく。
以前、ぼくたち夫婦が面倒をみている団地の花壇の花を、このおばあさんに何度も盗まれたことがある。犯行の現場はぼくも目撃したし、ほかの住人も見ている。それでも平気で繰り返していた。
一時は、ボケてるらしいから仕方がないな、と諦めかけたこともある。でも、「花盗りばあさん」は一部の人のあいだで有名になっていたし、このまま放っておいては本人のためにもよくない。そこで諄々と説得したことがある。
その後、おばあさんは花壇に咲いている花を盗らなくなった。はなれて通り過ぎるだけで手は出さない。その代わり、すぐ近くの生垣に咲いている赤い山茶花(さざんか)の花を遠慮なくいくつもちぎり取っていた。見かけるたびに腰につけたバッグのなかには赤や黄色、白の花があった。
桜の陰に隠れていたのでわからなかったが、今日もたぶんそうだろうなとおもった。こんなときは正面から顔を合わせにくい。
この団地には、ぼくたち夫婦が「三婆(さんばばあ)」とこっそり呼んでいる名物おばあさんがいる。ひとりはこの「花盗りばあさん」、もうひとりは「草取りばあさん」、そして、「インコばあさん」。
皆さん、読んで字のごとしで、「インコ婆さん」はいつもお決まりのベンチに座って、かわいがっている黄色のセキセイインコをそのへんで自由に遊ばせている。飛んで逃げることはない。カミさんと一緒にいるときに一度だけ声をかけたことがある。
「××ちゃんはね、わたしから10メートル以上はなれることはないのよ。この子はね……」
インコの話をはじめると止まらないことがよくわかった。
「草取りばあさん」には先日驚かされた。
かわいい白の帽子に、明るいクリーム色のいかにも上質な洋服を着こなして、赤いストールを首からすらりと流し、赤いメガネをかけた見慣れない女性がぼくたち夫婦に近づいてきて、ニコニコ手を振っている。ふじ色のマスクをしているので顔はわからない。
「いったいだれだろう」と戸惑っていたら、自分の方から名前を明かした。
「草取りばあさんよ!」
びっくりした。よくもまぁ、ここまで見事に化けたものだと唸った。
「わぁ、素敵ですね!」とカミさんも声をあげた。
「これから天神に行くの。じゃあね、バイバイ!」
歩き方も腰が落ちたガニ股ではなかった。背筋をしゃんと伸ばして、さっそうと歩いて行った。
「いつものボサボサの髪じゃなかったね。メガネも違ってたわよ。目ヤニもついてなかったね」
これ以上書いたら、ひっぱたたかれそうだから、このへんで止めておこう。
■ある人に訊かれたので、先日このブログに写真を載せたベランダの大根の行くえについて報告しておく。半月あまり干して、すっかり細くなり、ほどよくやわらかくなったところを、カミさんがぬか漬けにしてくれた。歯ざわり、味ともに上出来で、酒のつまみにもぴったりであった。
血糖値に一喜一憂する ― 2025年02月19日 14時34分

ひと月ぶりにすい臓がんの手術を受けた総合病院に行った。今回は外科には寄らずに糖尿病科だけの定期診断である。このところ毎朝自宅で測っている血糖値が高めで、「やばいな」と覚悟していた。
こういう場合、たいてい予想は当たる。医者からなにか訊かれたら、思い当たる原因をきちんと説明して、こころを入れ替える言葉も用意していた。
朝の挨拶をして、おとなしく担当の女医さんの判定を待つ。机の上には一時間前に採血された検査報告書のペーパーが3枚置かれている。
「血液検査のデータは理想的ですね。すい臓の機能がほとんどなくなっているのに、この数字はすごくいいです」
意外であった。だが、「やっぱりね」ともおもった。
血糖値なんて、血圧と同じようなもので、ちょっとしたことでピョンと跳ね上がる。最近の血糖値の高さの理由は、そのピョンがたまたま重なっただけだったのだろう。「ヘモグロビンA、なんとかかんとか」という数値は合格圏内で、女医さんはその数字にピンクのマーカーで線を引いていた。
初めて教えてもらったが、朝起きるとからだのなかのホルモンも活動をはじめて、そのときに血糖値が上がるという。朝の血糖値が高いのはそんな影響もあるらしい。
病院通いをしていると少しずつ現代医学の物知りになる。この団地にも外科、循環器科、呼吸器科、心臓外科、歯科、眼科から鍼灸整骨などの専門的な治療を受けて、それらの症状や治療法についてやけに詳しい話し好きがいる。
それにしても病院のなかの空気の重いことといったら。
ひとりぐらい、「ああ、よかった、やっとよくなった」と明るい顔をする人はいないものか。
こういうぼくも診察室を出るときに、今日の結果の望外なよろこびを隠して、だれが見ても、「わたしも病人ですから」というふうにした。
病院という場所は、変なところで気をつかう。治療にはよろしくても、精神衛生上はあまりよろしくない。病院に行くたびにそう感じるのはぼくだけだろうか。
明後日の2月21日はすい臓がんの手術を受けてから丸2年。もうすぐ3年目に突入する。
ここまでよくぞ生き延びてきた。この自己最長記録を伸ばさなくては。
■梅の花が開いた。春はすぐそこまで来ている。
自宅のまわりの山茶花(さざんか)の赤い花がほぼ散ってしまい、花の蜜を吸いに来るメジロがいなくなった。代わりに冬鳥のかわいいジョービタキが飛びまわっている。
翼にちょっとだけ白い羽があって、お腹が黄色いから、オスだとわかる。縄張りをもつ野鳥なのでよくみかけるが、いつまで楽しませてくれるのだろう。
こういう場合、たいてい予想は当たる。医者からなにか訊かれたら、思い当たる原因をきちんと説明して、こころを入れ替える言葉も用意していた。
朝の挨拶をして、おとなしく担当の女医さんの判定を待つ。机の上には一時間前に採血された検査報告書のペーパーが3枚置かれている。
「血液検査のデータは理想的ですね。すい臓の機能がほとんどなくなっているのに、この数字はすごくいいです」
意外であった。だが、「やっぱりね」ともおもった。
血糖値なんて、血圧と同じようなもので、ちょっとしたことでピョンと跳ね上がる。最近の血糖値の高さの理由は、そのピョンがたまたま重なっただけだったのだろう。「ヘモグロビンA、なんとかかんとか」という数値は合格圏内で、女医さんはその数字にピンクのマーカーで線を引いていた。
初めて教えてもらったが、朝起きるとからだのなかのホルモンも活動をはじめて、そのときに血糖値が上がるという。朝の血糖値が高いのはそんな影響もあるらしい。
病院通いをしていると少しずつ現代医学の物知りになる。この団地にも外科、循環器科、呼吸器科、心臓外科、歯科、眼科から鍼灸整骨などの専門的な治療を受けて、それらの症状や治療法についてやけに詳しい話し好きがいる。
それにしても病院のなかの空気の重いことといったら。
ひとりぐらい、「ああ、よかった、やっとよくなった」と明るい顔をする人はいないものか。
こういうぼくも診察室を出るときに、今日の結果の望外なよろこびを隠して、だれが見ても、「わたしも病人ですから」というふうにした。
病院という場所は、変なところで気をつかう。治療にはよろしくても、精神衛生上はあまりよろしくない。病院に行くたびにそう感じるのはぼくだけだろうか。
明後日の2月21日はすい臓がんの手術を受けてから丸2年。もうすぐ3年目に突入する。
ここまでよくぞ生き延びてきた。この自己最長記録を伸ばさなくては。
■梅の花が開いた。春はすぐそこまで来ている。
自宅のまわりの山茶花(さざんか)の赤い花がほぼ散ってしまい、花の蜜を吸いに来るメジロがいなくなった。代わりに冬鳥のかわいいジョービタキが飛びまわっている。
翼にちょっとだけ白い羽があって、お腹が黄色いから、オスだとわかる。縄張りをもつ野鳥なのでよくみかけるが、いつまで楽しませてくれるのだろう。
令和の米騒動を読み解く ― 2025年02月24日 18時30分

米価の高騰がわが家の家計を直撃している。店頭で売られている米の数量も減っているし、5キロを買うのに4,000円出しても足りない。
今回の米の値上がりは天候不順のせいではない。では、なんのせい?
話はごく単純で、自然のせいでなければ、人のせいである。需要(人の食べる量)が供給を上回っただけのこと。つまり、想定していた以上にご飯を食べているので米が足りなくなったというわけだ。
こういえば、すぐさま「買い占めだ」、「売り惜しみだ」という声があがるだろう。だが、それは二次的な要因であって、一次的要因ではない。
でも、ぼくたちが急に食べるご飯の量を増やしたわけではない。どこからか新しい胃袋の大群が加わっているのではないか。そして、おそらくその人たちはお金持ちで、ぼくたち庶民の金銭感覚とは別の世界にいる。
フラッシュバックのように思い出すテレビの映像がある。
外国からやってきた観光客を相手に、その土地の新鮮な海の幸をご飯の上にのっけた丼に、7,000円の値段をつけて大繁盛している店が紹介されていた。銀座の寿司屋、人里はなれた山奥の宿にも人の波が押し寄せて、人気の飲食店には長い行列ができている。
その数たるや半端ではない。
昨年の外国人観光客数は約3,687万人。日本の総人口の3割にも相当する。乱暴な計算だが、食事をするたびに3,678万食が必要になる。1週間滞在したら、年間で2億5,809万食。ちょっと想像がつかない。米の減りようがわかるだろう。
みなさんおいしいものをおなかいっぱい食べる気満々でやって来たに違いなく、たとえばアメリカ人は平均的な日本人が食べる量のゆうに2倍は胃袋におさめる。
この人たちが押しかける旅館や飲食店から、「もっと米を持ってきてくれ」の注文がその土地の米穀店へひっきりなしに舞い込んでも不思議ではない。その小さな火があちらこちらからだんだん燃え広がっても、なんの不思議もない。騒動はほんのささいな出来事からはじまるのだ。
こんなふうに世のなかはおおきく変わっているのに、政府は米の年間消費量を日本人の人口を前提に割り出している。いまはそんなことですまされる時代なのだろうか。
思いだしてほしい。ちょっと前までのメディアの報道は、急激なインバウント需要の高まりが米不足の原因だとはっきり指摘していた。なのに、そんな声はほとんど聞かれなくなった。マスコミは常に新しい話題を追いかけるので、たぶんそういうことなのだろう。
こうして「令和の米騒動」の関心は、米の買い占めや売り惜しみの方に移っている。だが、それらは米の値上がりに便乗した動きである。そうなった原因はその前にあるはずだ。
政府は観光大国を掲げているのに、農水省は初動の判断をあやまったとしか思えない。備蓄米の放出はあまりにも遅すぎる。
これは内輪の問題なので、けっして外国からやって来た人たちを排斥しているのではない。むしろ、日本のよさをたくさん知ってもらい、おいしいお米を食べてほしい。
相変わらずのパターンだなぁ、とおもいながら、きょうもまた仕方なく高い米を買って来た。
■テレビを見ていたら、カミさんの故郷の六日町駅前の様子が出て来た。実家から歩いて行ける温泉も、そして雪に埋もれた越後湯沢の駅前も。
なつかしくてなって、古い写真を取り出した。ぼくたち親子が夏休みによく連泊させてもらっていたロッジの庭から撮影したもの。管理人をしていた義理の姉さん夫婦と子どもたちには本当にお世話になった。
眼下には清らかな魚野川が流れ、おいしい南魚沼米のたんぼが広がっている。大雪が消えた後のこの美しい景色はいまも変わっていない。
今回の米の値上がりは天候不順のせいではない。では、なんのせい?
話はごく単純で、自然のせいでなければ、人のせいである。需要(人の食べる量)が供給を上回っただけのこと。つまり、想定していた以上にご飯を食べているので米が足りなくなったというわけだ。
こういえば、すぐさま「買い占めだ」、「売り惜しみだ」という声があがるだろう。だが、それは二次的な要因であって、一次的要因ではない。
でも、ぼくたちが急に食べるご飯の量を増やしたわけではない。どこからか新しい胃袋の大群が加わっているのではないか。そして、おそらくその人たちはお金持ちで、ぼくたち庶民の金銭感覚とは別の世界にいる。
フラッシュバックのように思い出すテレビの映像がある。
外国からやってきた観光客を相手に、その土地の新鮮な海の幸をご飯の上にのっけた丼に、7,000円の値段をつけて大繁盛している店が紹介されていた。銀座の寿司屋、人里はなれた山奥の宿にも人の波が押し寄せて、人気の飲食店には長い行列ができている。
その数たるや半端ではない。
昨年の外国人観光客数は約3,687万人。日本の総人口の3割にも相当する。乱暴な計算だが、食事をするたびに3,678万食が必要になる。1週間滞在したら、年間で2億5,809万食。ちょっと想像がつかない。米の減りようがわかるだろう。
みなさんおいしいものをおなかいっぱい食べる気満々でやって来たに違いなく、たとえばアメリカ人は平均的な日本人が食べる量のゆうに2倍は胃袋におさめる。
この人たちが押しかける旅館や飲食店から、「もっと米を持ってきてくれ」の注文がその土地の米穀店へひっきりなしに舞い込んでも不思議ではない。その小さな火があちらこちらからだんだん燃え広がっても、なんの不思議もない。騒動はほんのささいな出来事からはじまるのだ。
こんなふうに世のなかはおおきく変わっているのに、政府は米の年間消費量を日本人の人口を前提に割り出している。いまはそんなことですまされる時代なのだろうか。
思いだしてほしい。ちょっと前までのメディアの報道は、急激なインバウント需要の高まりが米不足の原因だとはっきり指摘していた。なのに、そんな声はほとんど聞かれなくなった。マスコミは常に新しい話題を追いかけるので、たぶんそういうことなのだろう。
こうして「令和の米騒動」の関心は、米の買い占めや売り惜しみの方に移っている。だが、それらは米の値上がりに便乗した動きである。そうなった原因はその前にあるはずだ。
政府は観光大国を掲げているのに、農水省は初動の判断をあやまったとしか思えない。備蓄米の放出はあまりにも遅すぎる。
これは内輪の問題なので、けっして外国からやって来た人たちを排斥しているのではない。むしろ、日本のよさをたくさん知ってもらい、おいしいお米を食べてほしい。
相変わらずのパターンだなぁ、とおもいながら、きょうもまた仕方なく高い米を買って来た。
■テレビを見ていたら、カミさんの故郷の六日町駅前の様子が出て来た。実家から歩いて行ける温泉も、そして雪に埋もれた越後湯沢の駅前も。
なつかしくてなって、古い写真を取り出した。ぼくたち親子が夏休みによく連泊させてもらっていたロッジの庭から撮影したもの。管理人をしていた義理の姉さん夫婦と子どもたちには本当にお世話になった。
眼下には清らかな魚野川が流れ、おいしい南魚沼米のたんぼが広がっている。大雪が消えた後のこの美しい景色はいまも変わっていない。
海には思い出が詰まっている ― 2025年02月26日 11時58分

ときどき無性に海に会いたくなる。昨日もそうだった。カミさんを助手席に乗せて向かったのは室見川の河口の西側にある愛宕神社。東京、京都とならぶ日本三大愛宕のひとつで、標高50メートルほどのこんもりした山のてっぺんに建っている。
ここからは博多湾が一望できる。空はよく晴れていて、青い海が光っている。海からおだやかな風が吹き上げてきて、トンビが一羽、気持ちよさそうに両翼を広げたまま宙を滑っていた。
海が好きだ。泳ぐのも、獲物をとるのも、船に乗るのも、ただ見ているのも好きである。
30代のはじめに朝の4時から原稿を書かないと締め切りに間に合わない日々が続いて、過労のせいか体温が40度まで上がり、それでも休めなかったことがある。あのころのぼくは地元の新聞に広告の記事や特集企画などを書きまくっていて、多いときには朝刊の5ページを自分の原稿で埋めつくしたこともあった。
高熱が下がらず、さりとて休むわけにもいかない。そこで思いついた荒療法は、まだ泳ぐには早すぎる5月の海に飛び込むことだった。「潮に漬かれば、きっとよくなる」、そう考えた。
中学から大学を卒業するまで、夏休みは波当津の海でそれこそ潮漬けになるほど遊びほうけ、福岡に移転してからもよく糸島の磯辺の沖にひとりで潜っていた。それは若さと元気の証でもあった。
風の力を肌で感じるように、ぼくは海の力を感じる。本当に海に会いに行こうとおもった。だが、踏みとどまってよかった。
医者に診てもらったら、「肺が白くなっています。結核ですね。意外と多いんですよ。紹介状を書きますから、安静にして、明日にでも入院してください」と宣告された。「結核の治療は長引くので、入院は短くて半年、まぁ、1年ぐらいでしょうね」とも言われた。
長男が生まれたばかりで、ひと月も経っていない。カミさんは初めての子育てで、近くに頼れる親戚も知り合いもいない。まだ福岡での生活にもそんなに慣れていなかった。
入院先で再検査をして、結核ではなく、マイコプラズマ肺炎だとわかったときの深い安堵感。赤ん坊の写真を見ながら、こみ上げてくるよろこびを固いベッドのうえで噛みしめた。
大好きな海に行かなくてよかったのはあのときぐらいか。青い海にはいろんな思い出が詰まっている。
ここからは博多湾が一望できる。空はよく晴れていて、青い海が光っている。海からおだやかな風が吹き上げてきて、トンビが一羽、気持ちよさそうに両翼を広げたまま宙を滑っていた。
海が好きだ。泳ぐのも、獲物をとるのも、船に乗るのも、ただ見ているのも好きである。
30代のはじめに朝の4時から原稿を書かないと締め切りに間に合わない日々が続いて、過労のせいか体温が40度まで上がり、それでも休めなかったことがある。あのころのぼくは地元の新聞に広告の記事や特集企画などを書きまくっていて、多いときには朝刊の5ページを自分の原稿で埋めつくしたこともあった。
高熱が下がらず、さりとて休むわけにもいかない。そこで思いついた荒療法は、まだ泳ぐには早すぎる5月の海に飛び込むことだった。「潮に漬かれば、きっとよくなる」、そう考えた。
中学から大学を卒業するまで、夏休みは波当津の海でそれこそ潮漬けになるほど遊びほうけ、福岡に移転してからもよく糸島の磯辺の沖にひとりで潜っていた。それは若さと元気の証でもあった。
風の力を肌で感じるように、ぼくは海の力を感じる。本当に海に会いに行こうとおもった。だが、踏みとどまってよかった。
医者に診てもらったら、「肺が白くなっています。結核ですね。意外と多いんですよ。紹介状を書きますから、安静にして、明日にでも入院してください」と宣告された。「結核の治療は長引くので、入院は短くて半年、まぁ、1年ぐらいでしょうね」とも言われた。
長男が生まれたばかりで、ひと月も経っていない。カミさんは初めての子育てで、近くに頼れる親戚も知り合いもいない。まだ福岡での生活にもそんなに慣れていなかった。
入院先で再検査をして、結核ではなく、マイコプラズマ肺炎だとわかったときの深い安堵感。赤ん坊の写真を見ながら、こみ上げてくるよろこびを固いベッドのうえで噛みしめた。
大好きな海に行かなくてよかったのはあのときぐらいか。青い海にはいろんな思い出が詰まっている。
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