開けるな。読んではいけない2025年06月14日 17時09分

 からだがきつくて、よく眠れなかった。夜半の雨の音を聴きながら、うっとうしい梅雨空にもいいところがあるよな。そんなことをうつらうつら考えた。
 田植えが終わって、稲穂の緑の海がひろがるたんぼに、無数の雨がほそい白線をひきながら落ちていく景色が浮かんだ。きれいさっぱり洗われて、木々のあざやかな緑が歓喜の声をあげている。水かさの増えた川は本来の姿を取り戻して、うねりながら勢いよく流れていく。
 森は生き返り、草木は元気になって、お米もよく育って、梅雨がなければ緑ゆたかな日本の暮らしは成り立たない、とおもった。砂漠の民からすれば、おなじ地球に住んでいるのに不公平だと言いたくなるほど、「水と森の国・日本」の風土はうらやましい限りだろう。
 大都会のコンクリート社会で忙しく暮らしている人たちは、こんなに幼稚で、ヒマなことなんて考えもしないだろうが。
 昨日から、早稲田に入学したころの古い日記を読んでいる。前回のブログに載せた父の仕事の記録本を探していたときに、同じ段ボール箱のなかに、高校3年生のときの分と合わせて2冊が入っていた。
 固く閉じられたビニールの袋には、「開けるな。読んではいけない」と黒の鉛筆で書いたメモ用紙が張りつけてあった。
 ぼくの字ではない。母の字である。
 日記は高校時代からノートのそれも含めて、何冊も書いてきた。だが、記者時代の取材メモもそうで、「過去のことだ」とあっさり捨ててきた。こうして残っているとはおもわなかった。
「開けるな。読んではいけない」。
 なつかしい筆跡をじっとみる。母はどんなおもいで、10代で家を出て行ったきりの息子の日記帳を大切に封印してきたのだろうか。
 日記は1日1ページではなく、ときには数ページにわたって、おもいのほかきれいな字で書いてある。
 大学の北口門から徒歩3、4分の下宿で、独り暮らしをはじめたころ、3畳の狭くるしい部屋に、知り合ったばかりの学友を何人も泊めていた。酔っぱらって担ぎ込まれたやつもいた。国立大学の一発勝負に落ちて就職した友、明治や青山学院に進学した人、成績がよかったのに、よもやの二浪生。それぞれの道を歩く高校の同級生たちの名前もあった。
 あんなことがあったっけ。ほとんどぜんぶと言っていいほど忘れていた。
 いちばん好きだった若い叔父がまだ20代の若さで、3人の子どもたちを残して、5月に交通事故で急死してしまい、母の郷里の波当津へ飛んで帰って、真っ白な布で包まれた箱の前で大泣きしたことも、悔しさいっぱいに書き留めてあった。
 葬式が終わって、悲しみにくれていた祖母は、独りで東京に戻ったぼくの名前をあげて、「〇〇ちゃんは、死んだ△△に声が似ているから、電話して声を聞きたい」と母に話していたという記述もあった。
 読み返しながら、手が止まった。
 机の上に置いてある波当津の浜辺から拾って来た鉛色の小石をぎゅっうと握りしめる。いつまでも繰り返す、あの波の音を聞きたくなった。
 まだ調子がよくないので、長男家族がわが家に来て、夕食を共にする今夜の予定は延期にした。1歳5か月のかわいい孫やお嫁さんに会いたいけれど、こればかりは仕方がない。
 元気にならなければ。

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