ガンの先輩・安藤忠雄さんの強さに驚く ― 2026年04月01日 17時47分
4月になった。できれば青空いっぱいに晴れてほしかったが、静かな雨のスタートである。
つい先日、横浜のKa君から衝撃的な新聞の切り抜きがメールで届いた。尊敬している建築家の安藤忠雄さんのコラムで、学生時代のクラブの後輩が「読んでください」と送ってくれたものという。
不覚にもまったく知らなかったが、安藤さんも癌が見つかって、68歳(2009年)と73歳(2014年)のときに手術をしている。その結果、胆のう、胆管、十二指腸、膵臓、脾臓の5つの臓器を全摘したそうだ。最初は十二指腸の癌から始まって、命がけの大手術をやった。それから5年後、癌細胞は膵臓で息を吹き返したのだ。
5つも臓器が無くなって、ふつうなら絶望的になってもおかしくないのに、いまも仕事を続けている。よく生きているなぁと驚いた。Ka君からのメールには、「まだまだ我々はガン患者のひよっ子ですね」とあった。
安藤さんの生きる執念、そして、いったん決めたことをやりぬく意思の強さには頭が下がる。彼はぼくより9つ年上の84歳。マネができるところは採り入れて、少しでも近づきたいとおもった。
彼のコラムにはこんなことが書いてある。
毎月、検査を受ける。膵臓がないので日に6回血糖値を測り、食前にインスリン注射を自分で打つ。1日に1万歩歩き、昼食は1時間かけて食べ、直後は休息する。決めたら貫く。一日も欠かさずに生活リズムを整えている。
膵臓の一部しか残っていないぼくは毎日4回、自分でインスリン注射を打っている。膵臓に癌が見つかったときも、再発したときも、安藤さんと同じように、絶望しなかった。なったことは仕方がない、オレは運が強いんだ、負けるものか、絶対に生きてやると強くおもった。
ひと筋の望みを、必死になって探し求める。多くの癌患者のみなさんがそうだろう。
では、安藤さんとぼくとの違いはどこにあるのか。
気持ちの持ちようの強弱はあるにしろ、「決めたら貫く。一日も欠かさずに生活のリズムを整えている」ところだとおもった。そこで、コラムを何度も読み返して、彼がやっていることで、ぼくにもマネのできそうなところを探した。
「毎日1万歩歩く」。
これだ。すぐやれるし、目標としてもシンプルでわかりやすい。
でも、杖をついて、よたよた歩きしかできないわが身には少しハードルが高い。スタートはちょうどキリのいい4月から始めることにして、当面の目標は、外歩きを7,000歩で妥協することにした。昨日、そう決めた。
今日はその初日である。だが、わが意に反して、あいにくの雨。杖と傘で両手がふさがって、すべって転んで、頭を地面にぶつけて、救急車の出動騒ぎにでもなったらオオゴトだ。
「ま、しようがないな。こんなこともあるさ」
窓の外はだんだん薄暗くなってきた。明日はカミさんも仕事は休みだし、ここは気持ちを切り替えて、酒でも飲むか。
やれやれ、4月1日、エイプリルフールの日でよかった。
つい先日、横浜のKa君から衝撃的な新聞の切り抜きがメールで届いた。尊敬している建築家の安藤忠雄さんのコラムで、学生時代のクラブの後輩が「読んでください」と送ってくれたものという。
不覚にもまったく知らなかったが、安藤さんも癌が見つかって、68歳(2009年)と73歳(2014年)のときに手術をしている。その結果、胆のう、胆管、十二指腸、膵臓、脾臓の5つの臓器を全摘したそうだ。最初は十二指腸の癌から始まって、命がけの大手術をやった。それから5年後、癌細胞は膵臓で息を吹き返したのだ。
5つも臓器が無くなって、ふつうなら絶望的になってもおかしくないのに、いまも仕事を続けている。よく生きているなぁと驚いた。Ka君からのメールには、「まだまだ我々はガン患者のひよっ子ですね」とあった。
安藤さんの生きる執念、そして、いったん決めたことをやりぬく意思の強さには頭が下がる。彼はぼくより9つ年上の84歳。マネができるところは採り入れて、少しでも近づきたいとおもった。
彼のコラムにはこんなことが書いてある。
毎月、検査を受ける。膵臓がないので日に6回血糖値を測り、食前にインスリン注射を自分で打つ。1日に1万歩歩き、昼食は1時間かけて食べ、直後は休息する。決めたら貫く。一日も欠かさずに生活リズムを整えている。
膵臓の一部しか残っていないぼくは毎日4回、自分でインスリン注射を打っている。膵臓に癌が見つかったときも、再発したときも、安藤さんと同じように、絶望しなかった。なったことは仕方がない、オレは運が強いんだ、負けるものか、絶対に生きてやると強くおもった。
ひと筋の望みを、必死になって探し求める。多くの癌患者のみなさんがそうだろう。
では、安藤さんとぼくとの違いはどこにあるのか。
気持ちの持ちようの強弱はあるにしろ、「決めたら貫く。一日も欠かさずに生活のリズムを整えている」ところだとおもった。そこで、コラムを何度も読み返して、彼がやっていることで、ぼくにもマネのできそうなところを探した。
「毎日1万歩歩く」。
これだ。すぐやれるし、目標としてもシンプルでわかりやすい。
でも、杖をついて、よたよた歩きしかできないわが身には少しハードルが高い。スタートはちょうどキリのいい4月から始めることにして、当面の目標は、外歩きを7,000歩で妥協することにした。昨日、そう決めた。
今日はその初日である。だが、わが意に反して、あいにくの雨。杖と傘で両手がふさがって、すべって転んで、頭を地面にぶつけて、救急車の出動騒ぎにでもなったらオオゴトだ。
「ま、しようがないな。こんなこともあるさ」
窓の外はだんだん薄暗くなってきた。明日はカミさんも仕事は休みだし、ここは気持ちを切り替えて、酒でも飲むか。
やれやれ、4月1日、エイプリルフールの日でよかった。
手のかからない患者なのかな ― 2026年04月07日 16時12分
月曜日は点滴の日。朝9時、病院着。診察室に呼ばれたのは11時近く。担当の医師との会話は約2、3分だった。
「お待たせしてすみません。どう調子は。(採血の)血液データは問題ないから、今日は予定通りにやりましょう。(手元にある)薬(の在庫)は大丈夫だよね。△△△だけ出しておくから。えーと、次回は20日かな……」
自分の順番が来るまで、じいっとガマンの子で、いい加減くたびれた。まわりの年寄り患者たちも辛抱強い。だが、外科部長の相手さんはもっと疲れが溜まっているはず。この職場はこんな日が1年中、毎日続くのだ。
それにしても、もう少しどうにかならないものか。医者は懸命にやってくれている。医療、特に外科の最前線が崩壊の危機に直面していることは承知している。でも、先日のぼくはバイオリズム(懐かしい言葉だなぁ!)がよくなかったのか、今までとは明らかに違って、あまり口を開かなかった。
不機嫌そうな印象を残したまま、杖をついて、ドアを開けたとき、ふと気がついた。
そうか。それだけ自分は手のかからない患者ということだ。悪いサインじゃない。化学療法室に向かうとき、黒の帽子で隠したハゲの頭のなかは早々と切り替わっていた。
ヨシッ、また一歩前進。
今日はカミさんが休み。点滴の影響が出るのはだいたい週の後半で、いまの体調はいい。食欲も出てきた。
朝の10時開店にあわせて、カミさんと一緒に地元のJAが運営している「博多じょうもんさん」に行ってきた。
狙いは、少し出遅れてしまったが、今季初の筍である。開店と同時に直行する客が多い。杖を手放せないぼくはとても近づけない。カミさんは2個を確保した。
「タケノコも高くなったね。ほら、これが600円よ」
かごの中に、きれいな円錐形を縦半分に切り分けた手の平サイズ(245g)が置かれている。
「高いから1個だけにしようかな」
「そうだな、じきに安くなるからね」
ちなみに福岡県のタケノコの生産量は日本一。それだけ孟宗竹の竹林が多いところである。
だが、そのほとんどが放置されたまま。いくらタケノコを食っても追いつくものじゃない。枯れた竹が倒れて、荒れ放題の竹林は広がる一方だ。子どもたちの歓声が聞こえた楽しい遊び場は、怖くてだれも近づかない暗い闇に変わってしまった。
多大なエネルギーを費やして植林した檜や杉の林にいったん竹が進出したら、もう止められない。それを防ぐための戦いは、あの阿蘇山の広大な牧草地を守る野焼きとも通じている。
タケノコだけじゃない。なんでもかんでも値上げ、値上げの暮らしにくいご時勢である。芋焼酎もポーンと高くなっていた。
ささやかな庶民のシアワセを大切にしなくては。今夜はカミさんの手料理のシンプルな筍の煮物と芋焼酎のお湯割りで、ゆっくり一杯やるか。
■一昨日の日曜日の室見川の光景。
なんだか物足りないなぁ。ン十年前は足の踏み場もないほど花見客でごった返していた。バーベキューの煙もすごかった。一部にマナーを守らない人がいて、あれもダメ、これもダメの規制、規制の結果がこれである。
迷惑行為を取り締まる規制にも、プラスとマイナスの両面がある。年に一度の野外で大騒ぎする楽しみや、お互いの笑顔から生まれる人情味まで失くしてしまった。ちょっと話が大げさかな。
「お待たせしてすみません。どう調子は。(採血の)血液データは問題ないから、今日は予定通りにやりましょう。(手元にある)薬(の在庫)は大丈夫だよね。△△△だけ出しておくから。えーと、次回は20日かな……」
自分の順番が来るまで、じいっとガマンの子で、いい加減くたびれた。まわりの年寄り患者たちも辛抱強い。だが、外科部長の相手さんはもっと疲れが溜まっているはず。この職場はこんな日が1年中、毎日続くのだ。
それにしても、もう少しどうにかならないものか。医者は懸命にやってくれている。医療、特に外科の最前線が崩壊の危機に直面していることは承知している。でも、先日のぼくはバイオリズム(懐かしい言葉だなぁ!)がよくなかったのか、今までとは明らかに違って、あまり口を開かなかった。
不機嫌そうな印象を残したまま、杖をついて、ドアを開けたとき、ふと気がついた。
そうか。それだけ自分は手のかからない患者ということだ。悪いサインじゃない。化学療法室に向かうとき、黒の帽子で隠したハゲの頭のなかは早々と切り替わっていた。
ヨシッ、また一歩前進。
今日はカミさんが休み。点滴の影響が出るのはだいたい週の後半で、いまの体調はいい。食欲も出てきた。
朝の10時開店にあわせて、カミさんと一緒に地元のJAが運営している「博多じょうもんさん」に行ってきた。
狙いは、少し出遅れてしまったが、今季初の筍である。開店と同時に直行する客が多い。杖を手放せないぼくはとても近づけない。カミさんは2個を確保した。
「タケノコも高くなったね。ほら、これが600円よ」
かごの中に、きれいな円錐形を縦半分に切り分けた手の平サイズ(245g)が置かれている。
「高いから1個だけにしようかな」
「そうだな、じきに安くなるからね」
ちなみに福岡県のタケノコの生産量は日本一。それだけ孟宗竹の竹林が多いところである。
だが、そのほとんどが放置されたまま。いくらタケノコを食っても追いつくものじゃない。枯れた竹が倒れて、荒れ放題の竹林は広がる一方だ。子どもたちの歓声が聞こえた楽しい遊び場は、怖くてだれも近づかない暗い闇に変わってしまった。
多大なエネルギーを費やして植林した檜や杉の林にいったん竹が進出したら、もう止められない。それを防ぐための戦いは、あの阿蘇山の広大な牧草地を守る野焼きとも通じている。
タケノコだけじゃない。なんでもかんでも値上げ、値上げの暮らしにくいご時勢である。芋焼酎もポーンと高くなっていた。
ささやかな庶民のシアワセを大切にしなくては。今夜はカミさんの手料理のシンプルな筍の煮物と芋焼酎のお湯割りで、ゆっくり一杯やるか。
■一昨日の日曜日の室見川の光景。
なんだか物足りないなぁ。ン十年前は足の踏み場もないほど花見客でごった返していた。バーベキューの煙もすごかった。一部にマナーを守らない人がいて、あれもダメ、これもダメの規制、規制の結果がこれである。
迷惑行為を取り締まる規制にも、プラスとマイナスの両面がある。年に一度の野外で大騒ぎする楽しみや、お互いの笑顔から生まれる人情味まで失くしてしまった。ちょっと話が大げさかな。
「ああ、青春よ、再び」の仲間たち ― 2026年04月12日 21時49分
室見川を渡る橋の歩道で、また転んだ。カラン、カラン、と乾いた音を立てて、100円ショップで買った杖が前の方へ飛んでいった。
「ええい、くそっ。それっ、ヨッコイショッ、と」
自分で号令をかけないと力が出ない。車が行き交う橋の上で、四つん這いになって、よろめきながら立ち上がる恰好をもうひとりの自分が見ている。
(こんなふうになってしまった。情けないなぁ。ほんと、嫌になるよな。)
外で転んだのは3回目。杖ごと転倒したのは初めてで、杖があっても、転倒する危険は足もとのいたるところに潜んでいるということがよくわかった。いい杖なら後輩のKa君から上等品を頂戴しているが、まだ外では使用していない。こんなことにならないように、もっと歩いて足腰を鍛えなければ。
さて、話は変わって、横浜にいる後輩君からおもしろい提案があった。
先月、福岡で集まって以来、グループLINEでのやりとりが活発になっていて、その雰囲気が「青春に戻ろう」の感じなのだ。H君からは、「みんなで『高齢者』から『青春』に切り替えて頑張ろう!!」のコメントがあった。
LINEのメンバーは4人。学生時代、ぼくを除く3人はその名もお堅い「国際関係研究会」に属していた。彼らは昨今の国際情勢や国内政治、地球環境問題、とりわけトランプ、プーチン、習近平の言動に対して、はげしい憤りや危機感を持っている。
おもしろい提案はKa君が言い出した。ウクライナ、パレスチア、イランでの不条理極まる悲惨な現状に黙っていられず、学生時代に親しんだ国際関係研究の勉強に火が付いたらしい。そのベースには若者らしい正義感がある。「ああ、青春よ、再び」である。
「いい本を見つけました。順々にまわし読みして、一緒に勉強してみたいと思います。学生時代に戻ってみましょう」(Ka君からの提案)
類は友を呼ぶ。驚いたことに、A君は、Ka君よりも先に読み終わっていた。彼らは学生のころように熱くなっていたのだ。部外者のぼくはその仲間にも入れてもらったことになる。
さすがに「まわし読み」は止めることにして、この呼びかけがあった翌日、さっそく近くの本屋に行って、推薦された本・『新書 世界現代史 なぜ「力こそ正義」はよみがえったのか』(講談社現代新書)を買って来た。本の表紙に、習近平、トランプ、プーチンの顔写真が載っている。
この手の本はたいがい手に取って、立ち読みしたり、買って読んだりしたものだ。そんな習慣から遠ざかって、ずいぶん時間が過ぎた。関連する本もごっそり処分した。たとえ時代遅れになろうが、ぼくにはほかにやることがある。もう読むことはないだろうと思っていたのだ。
そうか。彼らも次の世代に伝える役割を意識して、まだまだやることがあると思っているのか。ヨシッ、こちとらの足取りはのろくなったけど、付いて行くか。
病気を言い訳にして、ついつい引きこもりがちになっている自分を引っ張り出してくれる、こんな仲間たちがいてよかった。
巡りめぐって、思わぬところで人生の花は咲く。生きていれば、こんないいこともある。
「ええい、くそっ。それっ、ヨッコイショッ、と」
自分で号令をかけないと力が出ない。車が行き交う橋の上で、四つん這いになって、よろめきながら立ち上がる恰好をもうひとりの自分が見ている。
(こんなふうになってしまった。情けないなぁ。ほんと、嫌になるよな。)
外で転んだのは3回目。杖ごと転倒したのは初めてで、杖があっても、転倒する危険は足もとのいたるところに潜んでいるということがよくわかった。いい杖なら後輩のKa君から上等品を頂戴しているが、まだ外では使用していない。こんなことにならないように、もっと歩いて足腰を鍛えなければ。
さて、話は変わって、横浜にいる後輩君からおもしろい提案があった。
先月、福岡で集まって以来、グループLINEでのやりとりが活発になっていて、その雰囲気が「青春に戻ろう」の感じなのだ。H君からは、「みんなで『高齢者』から『青春』に切り替えて頑張ろう!!」のコメントがあった。
LINEのメンバーは4人。学生時代、ぼくを除く3人はその名もお堅い「国際関係研究会」に属していた。彼らは昨今の国際情勢や国内政治、地球環境問題、とりわけトランプ、プーチン、習近平の言動に対して、はげしい憤りや危機感を持っている。
おもしろい提案はKa君が言い出した。ウクライナ、パレスチア、イランでの不条理極まる悲惨な現状に黙っていられず、学生時代に親しんだ国際関係研究の勉強に火が付いたらしい。そのベースには若者らしい正義感がある。「ああ、青春よ、再び」である。
「いい本を見つけました。順々にまわし読みして、一緒に勉強してみたいと思います。学生時代に戻ってみましょう」(Ka君からの提案)
類は友を呼ぶ。驚いたことに、A君は、Ka君よりも先に読み終わっていた。彼らは学生のころように熱くなっていたのだ。部外者のぼくはその仲間にも入れてもらったことになる。
さすがに「まわし読み」は止めることにして、この呼びかけがあった翌日、さっそく近くの本屋に行って、推薦された本・『新書 世界現代史 なぜ「力こそ正義」はよみがえったのか』(講談社現代新書)を買って来た。本の表紙に、習近平、トランプ、プーチンの顔写真が載っている。
この手の本はたいがい手に取って、立ち読みしたり、買って読んだりしたものだ。そんな習慣から遠ざかって、ずいぶん時間が過ぎた。関連する本もごっそり処分した。たとえ時代遅れになろうが、ぼくにはほかにやることがある。もう読むことはないだろうと思っていたのだ。
そうか。彼らも次の世代に伝える役割を意識して、まだまだやることがあると思っているのか。ヨシッ、こちとらの足取りはのろくなったけど、付いて行くか。
病気を言い訳にして、ついつい引きこもりがちになっている自分を引っ張り出してくれる、こんな仲間たちがいてよかった。
巡りめぐって、思わぬところで人生の花は咲く。生きていれば、こんないいこともある。
どこかで花を咲かせたい ― 2026年04月14日 15時19分
ここしばらく「花盗り婆さん」の姿を見ていない。お陰で花壇の花たちは無事なのだが、「婆さん、元気でやっているのかなぁ」とそれはそれで気にかかる。
一方の「草取り婆さん」はときどき見かける。相変わらず1時間も2時間も草っ原のなかに座り込んで、ていねいに草を抜いている。そのあとに野草のスミレが伸び伸びと育って、紫色の花園があらわれる。おもわず、「お前たちよかったね」と声をかけたくなる。
ここで注目のニュースを。
あの有名な草取り婆さんに、積極的に話しかける爺さんが現れた。
この人、少し前に引っ越して来たばかり。別に四六時中、ふたりを見張っているわけではないが、ぽつんとひとりで日向ぼっこをしている爺さんは、「草取り婆さん」が団地の部屋から出て来ると、さっと立ち上がる。そして、にじり寄って行く。
もともとあの婆さんは大の話好き。ふたりが急接近するのをだれが止められようか。
「おい、あのふたり、また話し込んでいるぞ。ラブロマンスが生まれるかな」
「ホントだ。あのお爺さん、(婆さんが出て来るのを)ずっと待っているもんね」
ふたりとも独り暮らしの身。さて、この先、どうなることやら。
この団地は生きている。一昨日の朝の8時前に、「おや?」という光景を目にした。
3人の警察官と消防の関係者らしい4人が近くの棟の階段を登っていた。
「変死体が出たのかな。孤独死かもしれんな」
「えーっ、また。このあいだもあったでしょ」
「うーん。団塊の世代がみな後期高齢者だからなぁ。これからどんどん(こういうことが)増えるだろうな。一生懸命に働いて、生きて来て、最期は独りぽっちで死んでいくなんて、なんかせつないよな。こんな国、どこかおかしくないか」
あるヘルパーさんの話によると、この団地の住人で、彼女が世話をしている90代の独身女性の冷蔵庫の中はわびしいものだった。10年も前の魚の缶詰1個とタマネギが半分しか入っていなかったという。この材料で、食事を作ってあげるのが、この66歳になるヘルパーさんの仕事である。
こんなことを書いてどうなるわけではないが、やはり、この国はおかしくなっているとおもう。
人はだれでも、「どこかで花を咲かせたい」とおもって生きている。「花盗り婆さん」もそうだろう。これからは花を盗る現場を目撃しても、知らん顔をして見逃してやろう。
さて、横浜在住の73歳の後輩Ka君は、いま飛騨高山にいる。昨夜11時ごろに出発した長距離深夜バスに乗って、今日と明日の2日間開催中の高山祭りの見物に出かけた。片道6時間を往復するという。乗客の半分は外国人で、隣の椅子は「黒人のお姉さん」だったとか。
すい臓がんなのに、そんなハードなことをして大丈夫なのかと心配だが、本人はケロリとしている。今朝早くからグループLINEで現地の写真とレポートが続々と着信。
その勢いはこっちまで飛んで来た。「杖と一緒にもっともっといろんな所に冒険して、世界を広げてください」と尻をたたかれた。
やさしい男だなぁ。高級な杖も買って送ってくれたし、お互いに簡単な病気ではないのに、こうしてお手本になってくれている。
これも「愛のムチ」なのだろう。日々、じっとしているぼくは、「はい。わかりました。がんばります」としか、答えようがない。
■本日の午前中に、Ka君がグループLINEで送ってくれた高山祭りの写真。天気も最高で、外国人観光客がとても多いという。
ぼくが高山に行ったのは学生時代。Gパンと下駄履きのひとり旅だった。子どもたちが小学生のころ、家族4人でタウンエースに乗って、新潟のカミさんの実家に帰る途中、飛騨高山の近くのキャンプ場で、シラカバ林のなかに2泊したこともあった。
一方の「草取り婆さん」はときどき見かける。相変わらず1時間も2時間も草っ原のなかに座り込んで、ていねいに草を抜いている。そのあとに野草のスミレが伸び伸びと育って、紫色の花園があらわれる。おもわず、「お前たちよかったね」と声をかけたくなる。
ここで注目のニュースを。
あの有名な草取り婆さんに、積極的に話しかける爺さんが現れた。
この人、少し前に引っ越して来たばかり。別に四六時中、ふたりを見張っているわけではないが、ぽつんとひとりで日向ぼっこをしている爺さんは、「草取り婆さん」が団地の部屋から出て来ると、さっと立ち上がる。そして、にじり寄って行く。
もともとあの婆さんは大の話好き。ふたりが急接近するのをだれが止められようか。
「おい、あのふたり、また話し込んでいるぞ。ラブロマンスが生まれるかな」
「ホントだ。あのお爺さん、(婆さんが出て来るのを)ずっと待っているもんね」
ふたりとも独り暮らしの身。さて、この先、どうなることやら。
この団地は生きている。一昨日の朝の8時前に、「おや?」という光景を目にした。
3人の警察官と消防の関係者らしい4人が近くの棟の階段を登っていた。
「変死体が出たのかな。孤独死かもしれんな」
「えーっ、また。このあいだもあったでしょ」
「うーん。団塊の世代がみな後期高齢者だからなぁ。これからどんどん(こういうことが)増えるだろうな。一生懸命に働いて、生きて来て、最期は独りぽっちで死んでいくなんて、なんかせつないよな。こんな国、どこかおかしくないか」
あるヘルパーさんの話によると、この団地の住人で、彼女が世話をしている90代の独身女性の冷蔵庫の中はわびしいものだった。10年も前の魚の缶詰1個とタマネギが半分しか入っていなかったという。この材料で、食事を作ってあげるのが、この66歳になるヘルパーさんの仕事である。
こんなことを書いてどうなるわけではないが、やはり、この国はおかしくなっているとおもう。
人はだれでも、「どこかで花を咲かせたい」とおもって生きている。「花盗り婆さん」もそうだろう。これからは花を盗る現場を目撃しても、知らん顔をして見逃してやろう。
さて、横浜在住の73歳の後輩Ka君は、いま飛騨高山にいる。昨夜11時ごろに出発した長距離深夜バスに乗って、今日と明日の2日間開催中の高山祭りの見物に出かけた。片道6時間を往復するという。乗客の半分は外国人で、隣の椅子は「黒人のお姉さん」だったとか。
すい臓がんなのに、そんなハードなことをして大丈夫なのかと心配だが、本人はケロリとしている。今朝早くからグループLINEで現地の写真とレポートが続々と着信。
その勢いはこっちまで飛んで来た。「杖と一緒にもっともっといろんな所に冒険して、世界を広げてください」と尻をたたかれた。
やさしい男だなぁ。高級な杖も買って送ってくれたし、お互いに簡単な病気ではないのに、こうしてお手本になってくれている。
これも「愛のムチ」なのだろう。日々、じっとしているぼくは、「はい。わかりました。がんばります」としか、答えようがない。
■本日の午前中に、Ka君がグループLINEで送ってくれた高山祭りの写真。天気も最高で、外国人観光客がとても多いという。
ぼくが高山に行ったのは学生時代。Gパンと下駄履きのひとり旅だった。子どもたちが小学生のころ、家族4人でタウンエースに乗って、新潟のカミさんの実家に帰る途中、飛騨高山の近くのキャンプ場で、シラカバ林のなかに2泊したこともあった。
実生活は狂態で充満している ― 2026年04月16日 19時03分
「不謹慎なやつ」とお叱りを受けるかもしれないが、つい笑ってしまった。
ニュースを見ていたら、あのトランプ大統領がイエス・キリストに化けて、男性病人の額に右手を添えている絵が出てきた。トランプさんには光り輝く後光がさしている。
この人は、戦争反対の立場から自分を公然と批判しているローマ教皇のレオ14世に対して、よほど頭にきているらしい。とうとうこのような「我こそがキリスト」の愚挙に出た。
さすがに支持基盤の福音派からも「冒涜(ぼうとく)だ」と非難されて、このAIで描かれた画像はあっさり削除された。だが、これぐらいのことで反省して、懲りるようなお方ではない。今度はキリストからやさしく肩を抱かれている絵を投稿した。
トランプという男、どこかバカみたいに幼稚なところがある。
キリストに化けた絵もそうで、過去にも映画のヒーローになった自分の姿を投稿したり、「ぼく、ノーベル賞がほしんだもん」と駄々をこねたり、そうなったときの彼はまるで幼い子ども並みのレベルである。
もしかしたら、79歳のジイさんになっても、いまだにそんな幻想の世界を夢みているのだろうか。酒も飲まない老人が素面(しらふ)のままで、よくもまぁ、やれるものだ。
狡猾でしたたかなプーチンや習近平の方が一枚上に見えるのは、こうした脇の甘い点があるからだろう。
だが、こんな男が絶対的な権力を握ったらどうなるか。すでに多くの国や人々がさんざんな目に遭っている。トランプ流のやり方を冷静に分析する学者たちの見識はそれとして、ぼくらは彼ひとりの壮大なる独り芝居に付き合わされているのかもしれない。だんだんそんな気がしてきた。
そのトランプに対して、「世界の平和に貢献できるのはドナルドだけ」とびっくり仰天の発言をしたのは、いまの日本の政治家で一番人気の高市首相である。この意味や理由について、子どもたちにどう説明をしていいのか、お困りの人は多いのでは。
こんなとき先人の教えが役に立つ。
あの小林秀雄はこう書き残している。もう一度、頭を整理するために彼の言葉を書き留めておく。
―作家は,観照の世界という全く不自然な心的態度のうちに棲むのだ。この世界にいると、実生活は狂態で充満していると見えるのが当たり前なのである―
わかりやすく書き直すとこうなる。
―いま目の前で起きているさまざまな事柄の本質をよく観ると、私たちの生活はとても正気とは思われない態度やふるまいで充満している―。
うーむ、小林秀雄の目の鋭いこと、まったくその通りだとおもう。トランプもそうだし、高市の発言もとても正気の沙汰とは思われない。もっと突き放して言えば、人気の高い高市も、すでに狂態の一員なのである。
さて、昨夜遅く、Ka君は無事に高山から横浜の自宅に帰って来た。疲れ知らずで、元気がよさそう。安心した。
さぁ、これから国際関係の勉強会が始まる予定。やる気満々の後輩君たち。彼らのやる気とスピードに、錆びついたこんなふらふら頭で、どこまでついて行けるかなぁ。
ニュースを見ていたら、あのトランプ大統領がイエス・キリストに化けて、男性病人の額に右手を添えている絵が出てきた。トランプさんには光り輝く後光がさしている。
この人は、戦争反対の立場から自分を公然と批判しているローマ教皇のレオ14世に対して、よほど頭にきているらしい。とうとうこのような「我こそがキリスト」の愚挙に出た。
さすがに支持基盤の福音派からも「冒涜(ぼうとく)だ」と非難されて、このAIで描かれた画像はあっさり削除された。だが、これぐらいのことで反省して、懲りるようなお方ではない。今度はキリストからやさしく肩を抱かれている絵を投稿した。
トランプという男、どこかバカみたいに幼稚なところがある。
キリストに化けた絵もそうで、過去にも映画のヒーローになった自分の姿を投稿したり、「ぼく、ノーベル賞がほしんだもん」と駄々をこねたり、そうなったときの彼はまるで幼い子ども並みのレベルである。
もしかしたら、79歳のジイさんになっても、いまだにそんな幻想の世界を夢みているのだろうか。酒も飲まない老人が素面(しらふ)のままで、よくもまぁ、やれるものだ。
狡猾でしたたかなプーチンや習近平の方が一枚上に見えるのは、こうした脇の甘い点があるからだろう。
だが、こんな男が絶対的な権力を握ったらどうなるか。すでに多くの国や人々がさんざんな目に遭っている。トランプ流のやり方を冷静に分析する学者たちの見識はそれとして、ぼくらは彼ひとりの壮大なる独り芝居に付き合わされているのかもしれない。だんだんそんな気がしてきた。
そのトランプに対して、「世界の平和に貢献できるのはドナルドだけ」とびっくり仰天の発言をしたのは、いまの日本の政治家で一番人気の高市首相である。この意味や理由について、子どもたちにどう説明をしていいのか、お困りの人は多いのでは。
こんなとき先人の教えが役に立つ。
あの小林秀雄はこう書き残している。もう一度、頭を整理するために彼の言葉を書き留めておく。
―作家は,観照の世界という全く不自然な心的態度のうちに棲むのだ。この世界にいると、実生活は狂態で充満していると見えるのが当たり前なのである―
わかりやすく書き直すとこうなる。
―いま目の前で起きているさまざまな事柄の本質をよく観ると、私たちの生活はとても正気とは思われない態度やふるまいで充満している―。
うーむ、小林秀雄の目の鋭いこと、まったくその通りだとおもう。トランプもそうだし、高市の発言もとても正気の沙汰とは思われない。もっと突き放して言えば、人気の高い高市も、すでに狂態の一員なのである。
さて、昨夜遅く、Ka君は無事に高山から横浜の自宅に帰って来た。疲れ知らずで、元気がよさそう。安心した。
さぁ、これから国際関係の勉強会が始まる予定。やる気満々の後輩君たち。彼らのやる気とスピードに、錆びついたこんなふらふら頭で、どこまでついて行けるかなぁ。
タケノコをいただく ― 2026年04月20日 18時27分
昨日は、タケノコの大当たりの日だった。
以下は、ここ数日のぼくたち夫婦の会話である。
「お隣さん、もうそろそろ持って来てもいいになぁ」
「そうよ。すぐ手渡せるように、お礼のお菓子も用意しているのにねぇ」
「ちょいと声をかけてみるか。あのう、ずっと冷蔵庫のすき間を空けて、待っているんですけど。ぜんぜん迷惑じゃないですよって」
一昨年も、昨年も、お隣さんから立派なタケノコを5個も、6個もいただいた。それも申しわけなさそうにくれたのだ。品質がよくないわけではない。朝方に掘って、きれいに茹でてあって、やわらかくて形のいいものばかりである。
「田舎にいる娘がいっぱい持って来て。うちはふたりだから、とても食べきれなくて。ごめんなさいね。よかったら、もらってくださる」
玄関先で何度も頭を下げながら、旬の味覚の山盛りを差し出してくれたのだ。二度あることは三度ある。ぼくたち夫婦は今年もその再現をおおいに期待していて、返礼のお菓子まで準備して、タケノコの到来を強く願っていたのだ。
だが、いまだにお隣さんの動きに、その気配、みじんも無し。
ところが、「願えば叶う」で、事態は急転した。昨日の午後4時、前町内会長のUさんから電話があった。
「さっきね、タケノコ掘りから帰って来たんよ。いっぱい採って来たけん、持って行ってやろうかと思って。要る?」
「要る、要る。ありがと。うれしいなぁ」
Uさんはビニール袋に入れて、大小のタケノコを3個も持って来てくれた。
カミさんが「わたし、タケノコ、大好き。冷凍するわ」と言ったら、自宅に引き返して、またおおきなサイズを1個追加でくれた。
さっそく茶色の皮をはいで、米ぬかを入れたお湯で茹でた。カミさんがやわらかくて、香りのいいタケノコの煮物に仕立てくれて、昨夜も晩酌を楽しんだ。これまでお店で何度も買って食べたが、やはり掘ったばかりのものは味も香りも格段に違う。
日本酒の冷(ひや)をやりながら、カミさんを相手に、新潟のタケノコ(ネマガリダケ)のことから、残雪が白く輝く山々、雪解け水の魚野川、新緑のブナ林、山菜採り、熊の出現の話になった。これも田舎の旬の食材の効用か。
今日は抗がん剤の点滴の日だった。もう9回も打った。1週間後の来週月曜日はCT検査がある。昨年12月22日以来で、あのときは腹部に癌の転移が見つかった。
横浜のKa君は、築地にある国立がん研究センター中央病院の先端医療科に行ったという。
こうして一日が終わる。それぞれの生かされている環境をおもう。
以下は、ここ数日のぼくたち夫婦の会話である。
「お隣さん、もうそろそろ持って来てもいいになぁ」
「そうよ。すぐ手渡せるように、お礼のお菓子も用意しているのにねぇ」
「ちょいと声をかけてみるか。あのう、ずっと冷蔵庫のすき間を空けて、待っているんですけど。ぜんぜん迷惑じゃないですよって」
一昨年も、昨年も、お隣さんから立派なタケノコを5個も、6個もいただいた。それも申しわけなさそうにくれたのだ。品質がよくないわけではない。朝方に掘って、きれいに茹でてあって、やわらかくて形のいいものばかりである。
「田舎にいる娘がいっぱい持って来て。うちはふたりだから、とても食べきれなくて。ごめんなさいね。よかったら、もらってくださる」
玄関先で何度も頭を下げながら、旬の味覚の山盛りを差し出してくれたのだ。二度あることは三度ある。ぼくたち夫婦は今年もその再現をおおいに期待していて、返礼のお菓子まで準備して、タケノコの到来を強く願っていたのだ。
だが、いまだにお隣さんの動きに、その気配、みじんも無し。
ところが、「願えば叶う」で、事態は急転した。昨日の午後4時、前町内会長のUさんから電話があった。
「さっきね、タケノコ掘りから帰って来たんよ。いっぱい採って来たけん、持って行ってやろうかと思って。要る?」
「要る、要る。ありがと。うれしいなぁ」
Uさんはビニール袋に入れて、大小のタケノコを3個も持って来てくれた。
カミさんが「わたし、タケノコ、大好き。冷凍するわ」と言ったら、自宅に引き返して、またおおきなサイズを1個追加でくれた。
さっそく茶色の皮をはいで、米ぬかを入れたお湯で茹でた。カミさんがやわらかくて、香りのいいタケノコの煮物に仕立てくれて、昨夜も晩酌を楽しんだ。これまでお店で何度も買って食べたが、やはり掘ったばかりのものは味も香りも格段に違う。
日本酒の冷(ひや)をやりながら、カミさんを相手に、新潟のタケノコ(ネマガリダケ)のことから、残雪が白く輝く山々、雪解け水の魚野川、新緑のブナ林、山菜採り、熊の出現の話になった。これも田舎の旬の食材の効用か。
今日は抗がん剤の点滴の日だった。もう9回も打った。1週間後の来週月曜日はCT検査がある。昨年12月22日以来で、あのときは腹部に癌の転移が見つかった。
横浜のKa君は、築地にある国立がん研究センター中央病院の先端医療科に行ったという。
こうして一日が終わる。それぞれの生かされている環境をおもう。
約束のボールを遠くに投げた ― 2026年04月24日 17時40分
出かけるときは、「本当に大丈夫か。事故ったら大変だぞ」と不安だったが、ハンドルを握っているうちに、これがふつうの人たちのやっている暮らしなのだとだんだん落ち着いて来た。
11時、予定より30分も遅れて、2年前に亡くなったMoさんのご自宅に到着。3回忌を控えて、ひとりでご焼香に伺った。奥さんと約束はしていたものの、直前まで、行こうか、止めようか、迷いに迷った。しゃんと立っていられなかったのである。
不安な気持ちのまま外に出て、赤信号、青信号、タクシー、路線バス、いろんな人たちが動いている娑婆(しゃば)の空気を吸ったら、「よし、大丈夫だ」とこころのエンジンがかかった。こんなほんのわずかなことで、ぼくのなかで、今日がいい日か、そうでないかが変わる。
1年ぶりに会った奥さんはお元気だった。Moさんが健在だったころ、よく押しかけて、台所で一杯やった間柄なので、ハゲ頭と杖の老人になり果てたが、いまさら恰好をつけることもない。
「癌が再発して、こんなになってしまいました。杖がないと歩くのが危ないんですよ」
「△△さんがいちばん若くて、いちばん元気だったのにねぇ。まさかねぇ」
ちいさな仏壇の笑顔の写真に手を合わせる。なんで死んでしまったのか、いまも悔しくてたまらない。ぼくの事務所で、ふたりでさんざん飲んだけど、もっともっと一緒に飲みたかった。
どれだけ窮地を救ってもらったことか。あんなおおきな器の人物になりたかったが、とても手が届かなかった。そんなことばっかり、である。
奥さんは、いまでも朝と夕方の2回、毎日欠かさずに芋焼酎『白波』のお湯割りを仏壇に上げているという。
ここにも独り暮らしの年寄りがいる。これからの生活のこと、終活などの「内輪の話」も聞いた。歳をとるにつれて、人には言えない話が積み上がっていく。だが、言えない話ほど、その人の貴重な体験や知恵として伝える価値があるようにおもう。
きついから10分で帰ろうと思っていたが、辞去したのはおよそ1時間後。
「たぶん、そう簡単には死なないでしょうから、また来ます」
そう約束した。約束のボールを遠くに投げた。約束は守らなくてはいけない。
帰宅してすぐ、高校時代の同級生で、近くにいるSa君にメールした。
今年、彼との花見はできなかった。お茶に誘われても、からだに自信がなくて断り続けていた。
Sa君はこのブログを読んでくれている。つい昨夜のこと、横浜組から薦められた本を自分も買って、読みたいという彼からのメールを受けとったばかりだった。
無事にMoさんのところから戻って、少し自信がついた。Sa君とも近々、会う約束をした。
ぼくにとっての会う約束とは、その日まで長生きすることである。
■安売りの石焼き芋器を見つけたので、カミさんはよろこんで買った。写真のアルミ紙の下に、丸くて、平べったい小石がたくさん入っている。芋の種類は紅はるか。茨木県のブランド「紅天使」も焼いた。蒸すよりも、だんぜん美味しかった。去年からよく芋を食べている。
11時、予定より30分も遅れて、2年前に亡くなったMoさんのご自宅に到着。3回忌を控えて、ひとりでご焼香に伺った。奥さんと約束はしていたものの、直前まで、行こうか、止めようか、迷いに迷った。しゃんと立っていられなかったのである。
不安な気持ちのまま外に出て、赤信号、青信号、タクシー、路線バス、いろんな人たちが動いている娑婆(しゃば)の空気を吸ったら、「よし、大丈夫だ」とこころのエンジンがかかった。こんなほんのわずかなことで、ぼくのなかで、今日がいい日か、そうでないかが変わる。
1年ぶりに会った奥さんはお元気だった。Moさんが健在だったころ、よく押しかけて、台所で一杯やった間柄なので、ハゲ頭と杖の老人になり果てたが、いまさら恰好をつけることもない。
「癌が再発して、こんなになってしまいました。杖がないと歩くのが危ないんですよ」
「△△さんがいちばん若くて、いちばん元気だったのにねぇ。まさかねぇ」
ちいさな仏壇の笑顔の写真に手を合わせる。なんで死んでしまったのか、いまも悔しくてたまらない。ぼくの事務所で、ふたりでさんざん飲んだけど、もっともっと一緒に飲みたかった。
どれだけ窮地を救ってもらったことか。あんなおおきな器の人物になりたかったが、とても手が届かなかった。そんなことばっかり、である。
奥さんは、いまでも朝と夕方の2回、毎日欠かさずに芋焼酎『白波』のお湯割りを仏壇に上げているという。
ここにも独り暮らしの年寄りがいる。これからの生活のこと、終活などの「内輪の話」も聞いた。歳をとるにつれて、人には言えない話が積み上がっていく。だが、言えない話ほど、その人の貴重な体験や知恵として伝える価値があるようにおもう。
きついから10分で帰ろうと思っていたが、辞去したのはおよそ1時間後。
「たぶん、そう簡単には死なないでしょうから、また来ます」
そう約束した。約束のボールを遠くに投げた。約束は守らなくてはいけない。
帰宅してすぐ、高校時代の同級生で、近くにいるSa君にメールした。
今年、彼との花見はできなかった。お茶に誘われても、からだに自信がなくて断り続けていた。
Sa君はこのブログを読んでくれている。つい昨夜のこと、横浜組から薦められた本を自分も買って、読みたいという彼からのメールを受けとったばかりだった。
無事にMoさんのところから戻って、少し自信がついた。Sa君とも近々、会う約束をした。
ぼくにとっての会う約束とは、その日まで長生きすることである。
■安売りの石焼き芋器を見つけたので、カミさんはよろこんで買った。写真のアルミ紙の下に、丸くて、平べったい小石がたくさん入っている。芋の種類は紅はるか。茨木県のブランド「紅天使」も焼いた。蒸すよりも、だんぜん美味しかった。去年からよく芋を食べている。
雪国から山菜が届いた ― 2026年04月25日 18時27分
「明日の朝、荷物が着くから楽しみにしていて」。そして、今日の10時過ぎ、ひと抱えある段ボール箱の小包が届いた。
こうして荷物を送ってくれる人は、ぼくの身内や親戚にだれもいない。いたけれど、いなくなってしまった。いるのはカミさんの血筋で、それも彼女の姉ふたりだけである。みな髪の毛が白い70代になった。
送り主は、今回も新潟の南魚沼市にいるカミさんの長女。もう7年もあの居心地のいい家に泊まって、みんなとたのしい酒を飲んでいない。
新緑が美しい季節になると無性に新潟に行きたくなる。歩いて10分もかからないところに魚野川、その先には威容十分の巻機山、左手には八海山、右手に行けば湯沢、あの「国境の長いトンネル」が東京の風を運んで来る。
昨夜、義姉から電話のあったときから、何が入っているか楽しみにしていた。
「きっと山菜だね」
「酒も入っているとおもうよ。高級品でなくてもいいんだけどなぁ。新潟の酒は全国的に無名でも、どれも旨いからな。1升瓶がいいなぁ。亡くなったオヤジさんみたいに、でっかいコップで、グビグビやりたいなぁ」
箱の中身をテーブルの上に並べた。
地酒は、カミさんの生まれ故郷・六日町の『八海山』と塩沢の『鶴齢』で、どちらも純米大吟醸。ぼくの口にはもったいないけれど、やっぱり山菜料理と一緒に飲もうかな。
地元の人たちがこよなく愛す山菜は、筍のネマガリダケ、木の芽(アケビのつるの新芽)、ウド、タラの芽、こごみ、フキが2種類、ワラビ。それにチマキ、へぎそば、みがきニシンも入っている。(ニシンは3匹。おおきくて立派なもの。写真には入っていません)
さて、問題はカミさんの料理の腕前である。 さっそく電話で、姉から妹へのコーチングが始まった。
「ねぇ、ニシンはどうやって煮るの? そうか、筍と一緒に煮てもいいんだ」
「お袋さんが作ってくれたニシンの煮物は旨かったなぁ。鯉こくも絶品だった。お袋の味、っていうやつだな。でも、それを受け継ぐのも姉さんで終わりかな」
九州の人は本当の山菜の美味しさを知らないとおもう。深い雪の下から出てくる新芽はほのかな甘味があって、自然のエネルギーが詰まっている。
「山菜は山に行って、採るのがおもしろいもんな。さぁ、山菜料理をいただいて、元気になって、絶対に新潟に行かなくちゃ」
「そうよ。元気になってね」
雪国の山菜はこの短い時期だけの貴重な美味なのに、食べるのはカミさんとぼくのふたりきり。テーブルに並んだ数々の食材を見ながら、その向こう側にあった大家族のにぎやかな食卓の光景がなつかしい。
こうして荷物を送ってくれる人は、ぼくの身内や親戚にだれもいない。いたけれど、いなくなってしまった。いるのはカミさんの血筋で、それも彼女の姉ふたりだけである。みな髪の毛が白い70代になった。
送り主は、今回も新潟の南魚沼市にいるカミさんの長女。もう7年もあの居心地のいい家に泊まって、みんなとたのしい酒を飲んでいない。
新緑が美しい季節になると無性に新潟に行きたくなる。歩いて10分もかからないところに魚野川、その先には威容十分の巻機山、左手には八海山、右手に行けば湯沢、あの「国境の長いトンネル」が東京の風を運んで来る。
昨夜、義姉から電話のあったときから、何が入っているか楽しみにしていた。
「きっと山菜だね」
「酒も入っているとおもうよ。高級品でなくてもいいんだけどなぁ。新潟の酒は全国的に無名でも、どれも旨いからな。1升瓶がいいなぁ。亡くなったオヤジさんみたいに、でっかいコップで、グビグビやりたいなぁ」
箱の中身をテーブルの上に並べた。
地酒は、カミさんの生まれ故郷・六日町の『八海山』と塩沢の『鶴齢』で、どちらも純米大吟醸。ぼくの口にはもったいないけれど、やっぱり山菜料理と一緒に飲もうかな。
地元の人たちがこよなく愛す山菜は、筍のネマガリダケ、木の芽(アケビのつるの新芽)、ウド、タラの芽、こごみ、フキが2種類、ワラビ。それにチマキ、へぎそば、みがきニシンも入っている。(ニシンは3匹。おおきくて立派なもの。写真には入っていません)
さて、問題はカミさんの料理の腕前である。 さっそく電話で、姉から妹へのコーチングが始まった。
「ねぇ、ニシンはどうやって煮るの? そうか、筍と一緒に煮てもいいんだ」
「お袋さんが作ってくれたニシンの煮物は旨かったなぁ。鯉こくも絶品だった。お袋の味、っていうやつだな。でも、それを受け継ぐのも姉さんで終わりかな」
九州の人は本当の山菜の美味しさを知らないとおもう。深い雪の下から出てくる新芽はほのかな甘味があって、自然のエネルギーが詰まっている。
「山菜は山に行って、採るのがおもしろいもんな。さぁ、山菜料理をいただいて、元気になって、絶対に新潟に行かなくちゃ」
「そうよ。元気になってね」
雪国の山菜はこの短い時期だけの貴重な美味なのに、食べるのはカミさんとぼくのふたりきり。テーブルに並んだ数々の食材を見ながら、その向こう側にあった大家族のにぎやかな食卓の光景がなつかしい。
「文章の師」だった東海林さだお ― 2026年04月26日 15時56分
4月も今週で終わり。29日から大型連休が始まるので、いつもなら手製のスケジュール表に予定を書き込むころなのだが、すっぽり空欄のままである。
会いたいと言ってくれる友だちは近くにいる。ひとりはカネの心配もなく、体力もあって、奥さん孝行に海外や全国各地を旅行しているという。
「こんなことを言うと、△△さんと比較しているみたいで言いにくいんですけど、去年から旅行ばっかりしています……」
なにもそんなことまで気を遣う必要はないのに。
もうひとりの友は数か月前にスーパーでばったり会ったとき、どうも様子がおかしかった。子どものころからの秀才で、頭脳明晰な男なのに、ふつうに会話ができなくなっていた。
「いまどうしているの?」
その返事が出て来ない。目の焦点が定まらずに言葉を探している。明らかに変である。こちらの方が気まずくなって、それ以上、追及するのを止めた。
コンピュータ一に強く、一緒にいい仕事をして、センスも抜群で、人柄も申し分なし。結婚を勧める人たちもいたが、40代半ばでパニック障害を発症してから人前に出なくなった。いまは独身の70代になる。両親はすでになく、たったひとりの弟も病死して、親が残してくれたおおきな家に独りで暮らしている。
このまま会えないかもしれないな。ふと、そんな考えが浮かぶ。
こういうことを書き留めているぼくが別に暗くなっているわけではない。いろんな人生模様をある程度、平静に受け入れるようになっただけのこと。戦争、大地震、水害、現代版の特殊な事件など、連日いろんなことが起きるから、たいていのことに慌てなくなった。
先日、漫画家の東海林さだおさん(本名・東海林禎雄。88歳)が心不全で亡くなった。最後まで現役だった。
冒頭で触れた友のように、別に旅行などしなくてもいい。独居老人にはなりたくない。80歳を過ぎても、世のなかの動きやふつうの人々への関心を失わずにペンを持ち続ける。ああなりたいものだとおもう。
このブログにも書いたが、ぼくが週刊誌の記者になったころ、早稲田の先輩でもある東海林さんはむずかしいことをわかりやすい言葉で書く技術のお手本を見せてくれた。読者からカネをもらえる原稿が書けなかったぼくの「文章の師」だった。
そのことを教えてくれたのは、エース記者のTaさん。何度も、何度も書き直す名文家だった。「ぼくは東海林さだおの本を読んでいるよ」と言われて、何冊も読んだ。次男も影響を受けたようで、ひところのわが家の本棚には東海林さだおの本がずらりと並んでいた。
彼は努力の人である。やっぱり、人には見えないところで、彼も文章を書く努力をしていた。東海林さんが手本にしていたのは、短編の名手・中島敦だった。折に触れて、『李陵』、『山月記』などを読み返しては、その短く研ぎ澄まされた文章を書き写していたという。
今日も独り言を書いた。今、ぼくはある宿題を自分に課している。それは、テーマはなんでもいいから、毎日、400字詰めの原稿用紙で最低5枚は書くこと。このブログはだいたい4枚分になる。ピアノと同じで、文章書きも練習が大事なのだ。
からだがきついときは、それすらできない。椅子から転がり落ちるようにして、しばらくゴロンと横になってしまう。昨日がそうだった。
同じすい臓癌で、16年前に旅立った友だちのノンフィクション作家・黒岩比佐子さん(享年52歳)、そして、あの安藤忠雄さんの決意と実行力にはとうてい及ばない。それでも癌患者のおふたりはぼくのいい目標になっている。
このブログは休むことが多いのに、今月はアサブロのアクセスランキングで、これまでの最高100位から一気に72位を記録した。79位、91位の日もあった。びっくり仰天だった。こんな雑文でも、どこかで読んでくれる人がいる。週刊誌や新聞と同じだ。それとも同じ病気の人が読んでいるのかな。
三日連続でここまで書いた。400字詰めに換算して4.6枚分。今日は「合格」としておこう。
■横浜組のA君が持って来てくれたコーヒーを淹れて、パソコンに向かう。シアワセである。至福のときの始まりだ。
こちらもいただいた『環境と文明』(認定NPO法人 環境文明21会報)は鋭い視点が冴えていて、読み応えがある。仲のいい後輩夫婦から「喝!」を入れられているような気持ちになる。(これでちょうど400字詰め5枚分)
会いたいと言ってくれる友だちは近くにいる。ひとりはカネの心配もなく、体力もあって、奥さん孝行に海外や全国各地を旅行しているという。
「こんなことを言うと、△△さんと比較しているみたいで言いにくいんですけど、去年から旅行ばっかりしています……」
なにもそんなことまで気を遣う必要はないのに。
もうひとりの友は数か月前にスーパーでばったり会ったとき、どうも様子がおかしかった。子どものころからの秀才で、頭脳明晰な男なのに、ふつうに会話ができなくなっていた。
「いまどうしているの?」
その返事が出て来ない。目の焦点が定まらずに言葉を探している。明らかに変である。こちらの方が気まずくなって、それ以上、追及するのを止めた。
コンピュータ一に強く、一緒にいい仕事をして、センスも抜群で、人柄も申し分なし。結婚を勧める人たちもいたが、40代半ばでパニック障害を発症してから人前に出なくなった。いまは独身の70代になる。両親はすでになく、たったひとりの弟も病死して、親が残してくれたおおきな家に独りで暮らしている。
このまま会えないかもしれないな。ふと、そんな考えが浮かぶ。
こういうことを書き留めているぼくが別に暗くなっているわけではない。いろんな人生模様をある程度、平静に受け入れるようになっただけのこと。戦争、大地震、水害、現代版の特殊な事件など、連日いろんなことが起きるから、たいていのことに慌てなくなった。
先日、漫画家の東海林さだおさん(本名・東海林禎雄。88歳)が心不全で亡くなった。最後まで現役だった。
冒頭で触れた友のように、別に旅行などしなくてもいい。独居老人にはなりたくない。80歳を過ぎても、世のなかの動きやふつうの人々への関心を失わずにペンを持ち続ける。ああなりたいものだとおもう。
このブログにも書いたが、ぼくが週刊誌の記者になったころ、早稲田の先輩でもある東海林さんはむずかしいことをわかりやすい言葉で書く技術のお手本を見せてくれた。読者からカネをもらえる原稿が書けなかったぼくの「文章の師」だった。
そのことを教えてくれたのは、エース記者のTaさん。何度も、何度も書き直す名文家だった。「ぼくは東海林さだおの本を読んでいるよ」と言われて、何冊も読んだ。次男も影響を受けたようで、ひところのわが家の本棚には東海林さだおの本がずらりと並んでいた。
彼は努力の人である。やっぱり、人には見えないところで、彼も文章を書く努力をしていた。東海林さんが手本にしていたのは、短編の名手・中島敦だった。折に触れて、『李陵』、『山月記』などを読み返しては、その短く研ぎ澄まされた文章を書き写していたという。
今日も独り言を書いた。今、ぼくはある宿題を自分に課している。それは、テーマはなんでもいいから、毎日、400字詰めの原稿用紙で最低5枚は書くこと。このブログはだいたい4枚分になる。ピアノと同じで、文章書きも練習が大事なのだ。
からだがきついときは、それすらできない。椅子から転がり落ちるようにして、しばらくゴロンと横になってしまう。昨日がそうだった。
同じすい臓癌で、16年前に旅立った友だちのノンフィクション作家・黒岩比佐子さん(享年52歳)、そして、あの安藤忠雄さんの決意と実行力にはとうてい及ばない。それでも癌患者のおふたりはぼくのいい目標になっている。
このブログは休むことが多いのに、今月はアサブロのアクセスランキングで、これまでの最高100位から一気に72位を記録した。79位、91位の日もあった。びっくり仰天だった。こんな雑文でも、どこかで読んでくれる人がいる。週刊誌や新聞と同じだ。それとも同じ病気の人が読んでいるのかな。
三日連続でここまで書いた。400字詰めに換算して4.6枚分。今日は「合格」としておこう。
■横浜組のA君が持って来てくれたコーヒーを淹れて、パソコンに向かう。シアワセである。至福のときの始まりだ。
こちらもいただいた『環境と文明』(認定NPO法人 環境文明21会報)は鋭い視点が冴えていて、読み応えがある。仲のいい後輩夫婦から「喝!」を入れられているような気持ちになる。(これでちょうど400字詰め5枚分)
CTの結果は、プラスも、マイナスも ― 2026年04月27日 21時51分
CT検査を受けた。いまやっている抗ガン剤を打ち始めて9回目を超えた。その効果が今日わかる。
いいことも、悪いことも考える。癌がちいさくなっていたらいいな。もしも転移していたらどうしよう。
担当の医者もいつもより緊張しているように見えた。彼が話に取り上げた順番とCTの画像の判断は以下の通り。
・直腸の癌はちいさくなっている。
・腹部の癌は少し大きくなっている。
この後は、ぼくの質問に対する医師の返答。
・転移はみられない。
・すい臓の近くのあるふたつの癌は少しおおきくなっている。
もっとも話が集中したのは、手で触ってもカチンカチンに固い腹部の下にある癌だった。こいつは痛みを伴う。けっこう苦しくて、いまも痛み止めの薬を毎日10錠も飲んでいる。この痛みをどうするかは目前の課題だった。
この点についての治療法はまだ決まっていない。
いい話も、よくない情報もあったが、ぼくは落ち着いている。
おもったほど悪化していないのは、病院の西洋医療のほかに、次男がくれる漢方や友人がすすめてくれた諸々のからだにいい情報、そしてまわりの心強い励ましがあるからだ。
平たく言えば、東洋医学が大切にしている免疫力のアップである。こんなことを気にしてやっているから、CTの結果にはこちらも少し自信がついた。ここは医者のノータッチの分野である。
こういうとき、暗い方はいっさい見ない。希望につながる明るい材料を集めて、これからのストーリーをつくる。この点は、横浜にいる同志・Ka君とも共通しているとおもう。
戦う武器は言葉しかない。言葉で切り抜けるしかないのだ。カミさんにもきちんと話した。
それにしても疲れた。へとへとになった。
昨夜は目がさえて、ろくに眠っていない。今日は朝から絶食で、点滴が終わって、自宅に戻って来たのは午後2時ごろだった。
夕食後、こうしてパソコンに向かっている。今日も意地でも書くぞと決めて、こんな時間になった。
カミさんも昼めしがのどを通らないほど心配したという。彼女は明日も4時過ぎ起き。あのガンバリは、ぼくの比ではない。
■近くの神社にある樹木。槇と楠が地上7mあたりでくっついている。ぼくの眼には、こんな木ふうにつながっている木は、そんなに珍しいものではない。
いいことも、悪いことも考える。癌がちいさくなっていたらいいな。もしも転移していたらどうしよう。
担当の医者もいつもより緊張しているように見えた。彼が話に取り上げた順番とCTの画像の判断は以下の通り。
・直腸の癌はちいさくなっている。
・腹部の癌は少し大きくなっている。
この後は、ぼくの質問に対する医師の返答。
・転移はみられない。
・すい臓の近くのあるふたつの癌は少しおおきくなっている。
もっとも話が集中したのは、手で触ってもカチンカチンに固い腹部の下にある癌だった。こいつは痛みを伴う。けっこう苦しくて、いまも痛み止めの薬を毎日10錠も飲んでいる。この痛みをどうするかは目前の課題だった。
この点についての治療法はまだ決まっていない。
いい話も、よくない情報もあったが、ぼくは落ち着いている。
おもったほど悪化していないのは、病院の西洋医療のほかに、次男がくれる漢方や友人がすすめてくれた諸々のからだにいい情報、そしてまわりの心強い励ましがあるからだ。
平たく言えば、東洋医学が大切にしている免疫力のアップである。こんなことを気にしてやっているから、CTの結果にはこちらも少し自信がついた。ここは医者のノータッチの分野である。
こういうとき、暗い方はいっさい見ない。希望につながる明るい材料を集めて、これからのストーリーをつくる。この点は、横浜にいる同志・Ka君とも共通しているとおもう。
戦う武器は言葉しかない。言葉で切り抜けるしかないのだ。カミさんにもきちんと話した。
それにしても疲れた。へとへとになった。
昨夜は目がさえて、ろくに眠っていない。今日は朝から絶食で、点滴が終わって、自宅に戻って来たのは午後2時ごろだった。
夕食後、こうしてパソコンに向かっている。今日も意地でも書くぞと決めて、こんな時間になった。
カミさんも昼めしがのどを通らないほど心配したという。彼女は明日も4時過ぎ起き。あのガンバリは、ぼくの比ではない。
■近くの神社にある樹木。槇と楠が地上7mあたりでくっついている。ぼくの眼には、こんな木ふうにつながっている木は、そんなに珍しいものではない。
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