銀座・木村屋のあんぱんをいただく2026年02月04日 17時32分

 立春。朝から快晴。午後から雲が出る。
 9時すぎ、横浜市にいるもうひとりの後輩君・Ka君から小包が届いた。彼はぼくと同じ病気持ちで、第2段目の抗がん剤治療が始まったばかり。こんなときにわざわざ気を遣って送ってくれたのは、銀座・木村屋の名物「酒種あんぱん」である。
 かわいい、この有名なあんぱんを手にするのはいつ以来だろうか。小倉、桜、いちじく、あまおう苺、屋久島たんかんの5種類がはいっている。
 Ka君も奥さんに感謝している。「先輩も同じでしょ。ですから、これは奥さんへのプレゼントです」。事前にやりとりしたメールには、そう書いてあった。
 田舎者のぼくにとって、銀座・木村屋は敷居の高い高級店のイメージがあった。たかが、あんぱんとはいえ、超一等地の「銀座」と聞くだけで、初めて木村屋の店内に足を踏み入れたときには、「東京デビュー」をしたような気持ちになったものだ。あのころのぼくは「初(うぶ)」でした。
 それにしても、後輩君たちには何もしてこなかったのに、こんなによくしてくれる。うれしいやら、情けないやらで、申しわけなくおもう。「早く元気になって、もっと書いて」と言っている。本当にありがたい友である。
 東京デビューといえば、上京してまもなく、『墨東綺譚』、『つゆのあとさき』、『うでくらべ』、『おかめ笹』など、永井荷風の世界に魅せられて、深川から佃島、月島を歩きまわったことがある。
 門前仲町の駅前の安い大衆酒場で、江戸前でとれたという名物のアサリの酒蒸しを注文して、ガリッ!と砂に当たったのもそのころだった。
「学生かい?」
 白木のカウンター席にいた隣のおっさんから訊かれた。
「はい」
「今日はどこから来たんだい?」
「大学のある早稲田です」
「へぇー、山の手じゃないか。またえらく遠いところから来たもんだ」
 身を乗りだしてきたのは、そのお隣りの席で一献やっている赤い顔をした爺さん。
「出身はどこだい?」
「九州の小倉です」
「ひゃーっ、九州か。そりゃあ、遠いなぁ。よく出て来たなぁ。ほら、一杯やんな」
 ときは1970年。そこだけ時間が止まっているような会話を憶えている。
 あれから半世紀あまりが過ぎた。

 ■選挙終盤、「チーム未来」の可能性

 各メディアの選挙区分析では、どうやら自民党が過半数を制する勢いという。
 ぼくが注目している「チーム未来」は消費税の減税反対を明確にして、このあたりでは話題にも上らない。だが、AIのデジタル技術を使いこなして、新しい時代を切り拓く可能性のある若い人たちが出て来た。きっと彼らのチカラが必要とされるときは来るとおもう。
 「チーム未来」の所属国会議員は、先の参議院選で比例代表から当選した党首の安野貴博(たかひろ)ひとりだけ。応援したくても、わが選挙区には候補者がいない。
 今回投票する予定の候補者は「次善の策」になる。こんな選挙が増えてきた。

期日前投票の無言の怒り2026年02月06日 15時28分

 11時すぎ、カミさんと一緒に衆院戦の期日前投票に行ってきた。会場は近くのショッピングモールの1階。すでに数十人が並んでいた。その7割方は年寄りである。
 相変わらず頭と足元がふらつくので、いつ倒れるか不安で、いっぷんも立っていられない。左隣のカミさんの腕をつかんで、じっと耐える。前列の左の白髪頭の男性は杖にすがっている。ぼくの前の小柄な男性は列から一歩はなれて、右手で壁を押さえていた。
 ここのモールはふだんから人出が多い。それでも今日は特別で、こちらの隊列に向かって、よたよた歩いてくる年寄りたちが続く。
 もちろん、足腰のしっかりした老人もいるけれど、「この人たちは、将来の日本に危機感を持っているんだろうな」とおもった。
 そうおもうと一年中でいちばんの大雪で、悪天候が予想されるときに、自分の都合で選挙を仕掛けた高市早苗にムラムラと怒りがわいてきた。
 ここにいる人たちも、明後日の8日の投票日は大雪の恐れがあるから、それを避けるためにわざわざやって来た人もかなりの数にのぼるはずである。
 カミさんの郷の新潟の山間地や日本海側の地域では大雪で投票どころではなく、死者も続出しているのだ。さらに投票用紙だって、間に合うかどうかの地域もあるという。国民の権利を奪いかねない、こんな所業は為政者のやることか。
 重大な国事の前では、そんな個人的な問題はちっぽけなことではないか、という声も聞こえてきそうだ。しかし、この国が直面している課題は、人々が孤立を深めて、断絶した社会から、みんなで支え合う社会を取り戻すことである。個人的な問題こそ、目を向けてほしい。本当に困っている人たちに貴重な税金をつかうのが本筋だろう。
 高市首相の人気は各種の世論調査で実証ずみ。小泉も、安倍もそうだった。だが、今日の格差・貧困の状況を招いたのはほかならぬ自民党である。税金を隠して自分の懐に入れた、あの裏金問題も自民党が勝てば、高市はその防止策を真剣に検討しないまま、ほぼ100%、「これにて一件落着」にするだろう。
 ぼくは短い記者時代に自民党の政治家と親しくなって、ずいぶん育ててもらった恩義を忘れてはいない。その人たちはいまの政治に強い危機感を持っているに違いないのだ。
 中国の懐に飛び込んでいく外交のプロはどこにいるのか。消費税のことが騒がれているけれど、肝心の党税調のプロも除外された。耳の痛いことを言う日本学術会議の学者たちも追いはらわれた。
 日本の代表的な知識層をブレーンにした「教養の大平」、「経済の福田、宮沢」、「党税調のドン・山中(貞則)」もずいぶん前の話になった。
 決して懐古趣味で書いているのではない。足元ふらふらで、期日前の投票の列に並んでいた先輩や同輩諸氏たちも、きっとうなずいてくれるだろう。

■右上のベランダの柵のあいだに小さく写っている白い服が有名な「草取りばあさん」。野草のスミレや樹木がかわいそうだからと言って、ていねいに土の中の小石まで取りのぞいている。

自民圧勝。凄み増す、高市の笑顔2026年02月09日 18時38分

 今回の衆院選、最初から変な選挙だなぁ、と思っていたが、結果はそんな程度ではなかった。各メディアの大方の予想は「自民、過半数が焦点」。それが「高市自民3分の2 歴史的圧勝」に。
 問題発言が止まらない高市早苗がこんなに人気が高いとは思わなかった。いや、問題発言と思わない人が全国各地にこんなに大勢いるとは思わなかった。
 まぁ、上手くやってくれればいいのだが、あの人、どうも心配なところがある。
 ちょっと思い出してほしい。
「(奈良の)鹿を足で蹴上げるとんでもない人がいます。殴って怖がらせる人がいます。外国から観光に来て、日本人が大切にしているものをわざと痛めつけようとする人がいるんだとすれば、皆さん、何かが行き過ぎている」
 これは彼女の演説である。では、その話は本当なのかといえば、真偽不明の説明で終わり。
 台湾に関する有事発言も、「円安でホクホク」も、本人がそう思っているから口から出たのだ。例によって、すぐ後から訂正したけれど、円安は物価を上げるので、食料品の消費税をゼロにしても、物価上昇に追いつかないのはわかりきったことではないか。しかも、消費税ゼロは来年度の話なのだ。
 次に今回の選挙では、戦いはリーダーによって決まる、という点も特徴的だった。
 以前にも触れたが、ぼくは選挙の後の高市首相のことが気になる。なにしろ3分の2も議席があるのだ。極端に言えば、なんでもできる。
 元立憲民主党のベテラン勢はほとんど討ち死にした。日本維新はすり寄っている。国民民主は政敵ではない。つまり、怖いものはなくなった。
 高市にとっては、自分でつかんだ千載一遇の大チャンス。もはや昨日までの党内基盤の脆弱な彼女ではない。おそらくこの勢いで、尊敬する安倍元首相がやりたくてもできなかったことをやる。自分の政治信条に従って、やりたいことをやります、というときが来る。親しげな笑顔の裏側で、いよいよ政治家としての凄みが増すだろう。
 先の大戦に対しても、「自分は戦争を体験していないので、責任を感じていない」と公言している。ぼくが取材していたころの自民党の政治家ではない。
 あんなことを言っているのに、こんなに熱烈に応援して大丈夫かなぁ。
 個人的には、「みらい」の大健闘はうれしかった。永田町は理想通りにはいかない、世間一般の常識が通じないところだが、少数精鋭で新しい風を送ってほしい。
 今日は抗がん剤点滴の日だった。病気持ちのこちらは神経に触ることは、あまり考えない方がからだにいい。ということで、このへんで。

子どもたちの絵に衝撃を受ける2026年02月15日 19時06分

 朝刊を広げて、しばらく目がはなせなかった。そこには思わず目をそらしたくなるような絵が並んでいた。暗い穴の底をのぞいたような、おどろおどろしくて、不気味な世界が広がっている。
 この紙面はある読書感想画コンクールの発表の特集企画。約30万6,000点もの小中高生の絵の中から選ばれた栄誉ある作品たちである。
 見開きページに載っている72点の絵のなかには明るくてたのしい作品もあるけれど、絵具の色も暗くて冷たいものが多い。構図やタッチもみなよく似ている。一見してわかるのは、いまの子どもたちは、こういう絵を描く子が大勢いるということだ。
 指定された本を読んで、一生懸命に想像の翼を広げて描いた絵に対して、本来ならば誉めてあげるのが大人の立場というもの。それなのに、こんな印象を文字にするのは子どもたちの頭の上から冷水をぶっかけるみたいで、いまも少なからぬ抵抗がある。(紙面の発行は先月末。書くかどうか、ずっと迷っていた。)
 ぼくはそれらの本を読んでいない。だが、主催者は子どもたちに薦めた本がこんなにも暗いイメージを与えるとは思っていなかったのではあるまいか。
 ここで、気になっていたデータを思い出した。その記事の見出しはこうである。

 小中高生自殺最多532人。2年連続「極めて深刻」 なお届かぬ子の叫び

 昨年の小中高生の自殺者数(推定値)は532人もいて、統計のある1980年以降で最多になった。
 この現実とこれらの絵を照らし合わせると、両者はどこか深いところで密接につながっているとおもう。専門家ではないので、あくまで直感だが、おそらく関連性はあるだろう。
 大人と同じで、子どもたちの心のなかで、何が起きているのか、表面からはわからない。日本の将来を支える子どもたちの心は、はたして健康なのだろうか。
 人を育てるには百年の計がいるという。子どもたちの心の問題に比べたら、高市首相や中道革新連合がどうのこうのという天下国家をめぐるテーマも一時的な関心事のように思えてきた。
 こうしてブログを書くのは9日ぶり。ようやく今年初めからスタートした抗がん剤の副作用の谷間を乗り越えた。
 ご心配をおかけしました。

説明好きは嫌われる2026年02月20日 21時36分

 いままで見たこともない景色の国会が始まった。
 衆議院の新しい勢力図は以下の通り。自民が追加公認を含めて316議席、これだけで定数の3分の2を超える。連立を組む日本維新は36議席。計352議席は定数の4分の3を占めている。
 中道革新連合はたった49人になった。野党をぜんぶ足しても定数の4分の1しかいない。しかも、このちいさな勢力同士の関係は、相変わらず骨肉相食む主導権争いがお好きで、反自民でまとまる気配はない。日本の野党の歴史は、空中分解の残骸の山である。
 大惨敗を喫した立憲民主は落ちぶれたわが家のことで手がいっぱいだ。当分のあいだ、高市首相に歯が立たず、気に入らないことがあっても、カヤの外から石ころでも投げるしかないか。
 だが、この国の歴史を見ると、国難のときにヒーローが出て来るのはよくあることだった。たとえば土佐藩の坂本竜馬。
 「風のひょう吉」がまたわけのわからないこと言い出した恰好だが、ぼくらの青春時代には「現代の竜馬」と呼ばれていた男がいた。べ平連の小田誠である。
 若い人は知らないだろうな。あのころは個性丸だしの人物がいておもしろかった。彼が書いた本は当時の若者たちの必読書で、大ベストセラーだった。興味があったら、『何でも見てやろう』の一読をお薦めする。
 政治の世界でも、勝ち組と負け組、格差、貧困のニオイが漂ってきた。そう感じるのは同じニオイのなかにいるぼくだけだろうか。
 与党と野党の力の差は一目瞭然。数の勝負ではお話にもならない。では、最初の話に戻って、今度の国会でどんな景色が見えるだろうか。
 小泉(純一郎)劇場のころから、政治家の話は「できるだけ短いフレーズで話す」ことが人気の条件になっている。国会議員に向かって、よく「説明責任を果たせ」というけれど、多くの人々が本当に詳しく、ていねいな説明をきちんと聞きたがっているのだろうか。それって、本当だろうか。
 独断と偏見は覚悟のうえで、この際、はっきりさせておこう。
 ぐだぐだした説明は聞きたくもないし、時間もかかるから嫌われるのだ。
 ビジネスの本にも、「言いたいことは60秒で言いなさい」、なんてことが書いてある。
 SNSでも、街頭演説でも、「短く、過激に、記憶に残す」話し方が効果的なのは実証済みなのだ。あの説明好きな石破茂のしゃべりではまどろっこしくて、せんぶの話を聞いてもらえないのだ。そういう時代なのだ。(ぼくはこの風潮に危機感を抱いている。それについては何度も触れた)
 「消費税の財源の問題」も、「責任ある積極財政」も同じで、いちいちこまかく説明しない高市のやり方は、いまどきの選挙戦術として大正解なのである。
 問題は、こんな調子で、高市がこの国を自分勝手に動かすとき。ぼくたちがよくわかっていないうちに、重大なことがするするっと決まってしまうかもしれない怖さがある。そんな景色が出て来なければいいのだが。

■暖かい日が続いている。ことし初めて、ベランダのオキザレスの花が咲いた。

すい臓がんの手術から丸3年が過ぎた2026年02月23日 18時47分

 ミラノ・コルティナ冬季オリンピックの閉幕に合わせるかのように、この町に春いちばんが吹いた3連休も今日で終わり。
 日の丸を背負った選手たちは、勝っても、負けても、よく泣いていた。テレビの前のぼくたち夫婦も、何度も、何度も、泣かされた。こんなに泣けて、泣いたオリンピックはなかった。これも、抗がん剤治療の副作用だろうか。いくらなんでもそれはないか。
 連休中、ぼくもひとつの節目を迎えていた。
 一昨日の2月21日は、3年前にすい臓がんの手術を受けた日。あれから丸3年が過ぎた。いまは4年目がスタートしたところである。
 鏡を見ると、白っぽいうす毛がちょろちょろとしか残っていない、ハゲ頭の爺さんが映っている。眉毛も、まつ毛も、ヒゲもほとんどない。外出するときは帽子が必需品になった。
「そろそろ買い物に行こうか」
「ちょっと待って。いま眉毛を描いてあげるから」
「そう、じゃ、頼むわ」
 こんな夫婦の会話にも抵抗感がなくなった。そして、今日、ぼくはとうとうある買い物をした。カミさんに付き合って、100円ショップのダイソーでそれを見つけた。店を出たところで、さっそく使ってみた。
 長さ84センチの杖である。税別で150円した。
 先日ホームセンターでチェックしたばかりだが、杖をついている同世代の男性を見たとたん、いますぐほしくなった。安物なので、ポキリと折れでもしたら大変だが、転倒防止の急場しのぎである。
 初めて使ってみたが、案外、頼りになる。
「ここまで来たら、こんな姿を人に見られても、どうってことないな」
「そうよ。身を守る方が優先よ」
 さぁ、術後4年目を完走する闘いが始まった。
 現在の体調は上向きである。前回の抗がん剤の点滴から2週間が過ぎて、次は来週の月曜日。たっぷりあいだが空いているのがうれしい。からだがよろこんでいる。
 また同病の後輩Ka君の勧めで、2週間前から野菜と果物をミキサーにかけた手作りのスムージーを飲み始めたのも、間違いなくプラスになっている。
 ニンジン、ケール、キャベツ、セロリ、トマト、リンゴ、バナナなど、植物繊維もたっぷり摂取しているから、フレッシュな栄養をとりながら、毎日からだのなかを大掃除しているようなものだ。
 歩いて行ける農産物の直売所では、「わけアリ」と断り書きのついた新鮮な野菜が格安で手に入る。この町にはこうした「地の利」もある。
 今週で2月も終わる。すぐ3月が来る。たぶん来月もこんな調子だろう。そして、4月が来る。
 長生きをするとは、こういうことだと知った。