心を入れ替える ― 2022年09月29日 15時48分
一年に何度か、「心を入れ替えよう」とおもうときがある。またそれが来た。さぁ、心を入れ替えて、そろそろ次の散文を書かねば。
今度は目に見えて、耳に聞こえてくる、あるがままの姿を観ることにしよう。その文章表現は読み手の意識を素通りするような自動的で、習慣的な言いまわしはしないこと。そして、ぼくの記憶や体験の断片をつなぎ合わせて、ひとつの物語を構成してみたい。
なんだか、こむずかしいことを書いたが、これは小林秀雄、阿部昭、大江健三郎、小野正嗣の言葉を部分的に拝借したもの。とてもその通りにやれる能力はないが、書いているときに、これでいいかどうかを判断するモノサシがないよりはマシだろう。
ということで、次回の散文は身のまわりに題材を見つけることにした。差し当たって、ぼくが住んでいる公団住宅の、それもぼくの住まいがある建物で繰り広げられている人間模様に絞り込んでみるか。さぁ、どうなることやら。
あるがまま、と言えば、先日こんなことがあった。
その日は団地の「いっせい清掃の日」。朝の9時から階段の掃除が始まった。
掃除の担当は、1階から5階までの全10世帯が参加する決まりになっていて、1階にある掲示板にはその告知のビラも貼られていた。だが、掃除に出てくる顔ぶれは毎回同じである。
いつもさぼっている人は九分九厘、これから先も顔を出すことはあるまい。いままでの自分の行動を軌道修正するにはかなりの勇気がいるだろうし、参加した人だって腹は立つものの、閉じられた重いドアをたたいてまで声をかけようとはしない。転入者を好意的に迎え入れる福岡でも近所づきあいはだんだん希薄になり、いよいよ東京のようになってきた。
さて、掃除に出て来たのは、うちのカミさんを含めた女性5人。ひとりは2、3か月前に引っ越してきたばかりで、その場の雰囲気からごく自然に自己紹介が始まったという。
切りだしたのは新顔の女性だった。
「わたし、70歳で仕事を辞めたのを区切りにして、主人とここに引っ越してきたの。公団は敷金も要らないし、家賃も安いし、部屋も改装してきれいだし、わたしたちにはこれで十分ですよ」
「えーっ、70なの? お若いのねぇ」
「若いだなんて、そんな。もう70歳ですよ」
「若いわよ、あなた。わたしは77よ」
「えーっ、あなたも77なの。わたしと同じ歳じゃない」
この77歳のおふたり、ひとりは数年前にご主人に先立たれ、もうひとりは一時期、年下らしき男性と同居していたが、いつの間にか彼はいなくなって、二度と現れなくなった。
どちらとも、口も、脚も達者なもので、とても77歳には見えない。エレベーターがなく、毎日コンクリートの階段をオッチラ、オッチラ登ったり、降りたりしているのがきっと足腰にいいのだろう。
年齢の話に乗ってこなかったのは、こちらも独り身で、腰が曲がっている5階のおばあちゃん。「若いわねぇ」と盛り上がっている様子に気が引けたのだろうか。
「それで、お前はどうしたの?」
「わたしも自分の年齢のことは黙っていたよ」
「なんで?」
「だって、わたしだけ60代だもの。若いから言いにくいじゃない」
「……」
この団地では敬老の日のお祝いとして、高齢者にウナギの弁当が無償で配られる。対象は75歳以上だが、以前はもっと早くからもらえた。原因は高齢者の数が急増中で、予算に余裕がなくなったからという。この点、国の財政の状況とよく似ている。
あるがままの姿を観たら、この公団住宅は年寄りたちの終(つい)の棲家になっていた。
ここまで書いてきて、ぼくの「心を入れ替える」決意はだんだんしぼんできた。
ヨシッ! こうなったら頭を切り替えよう。
現状を受け入れて、それなりにエンジョイしている女性たちの元気な様子を知って、ぼくの胸のなかにほんわりふくらんでくるものがある。それは青春の日々を過ごした下宿の生活とどこかで呼応する。
まったくの白紙だが、予定通り身のまわりのことを観て、次回の散文で書くことにしよう。
■先の秋分の日、カミさんと一緒に延岡市まで墓参りに行ってきた。福岡市から現地まで高速道路を走って、往復560.1km。これを東海道新幹線に置き換えると東京駅から新大阪駅よりも長い。墓の掃除をして、無事に帰り着くと芯からホッとする。
■写真は、室見川沿いの遊歩道。あちらこちらに真っ赤な彼岸花が燃えている。
今度は目に見えて、耳に聞こえてくる、あるがままの姿を観ることにしよう。その文章表現は読み手の意識を素通りするような自動的で、習慣的な言いまわしはしないこと。そして、ぼくの記憶や体験の断片をつなぎ合わせて、ひとつの物語を構成してみたい。
なんだか、こむずかしいことを書いたが、これは小林秀雄、阿部昭、大江健三郎、小野正嗣の言葉を部分的に拝借したもの。とてもその通りにやれる能力はないが、書いているときに、これでいいかどうかを判断するモノサシがないよりはマシだろう。
ということで、次回の散文は身のまわりに題材を見つけることにした。差し当たって、ぼくが住んでいる公団住宅の、それもぼくの住まいがある建物で繰り広げられている人間模様に絞り込んでみるか。さぁ、どうなることやら。
あるがまま、と言えば、先日こんなことがあった。
その日は団地の「いっせい清掃の日」。朝の9時から階段の掃除が始まった。
掃除の担当は、1階から5階までの全10世帯が参加する決まりになっていて、1階にある掲示板にはその告知のビラも貼られていた。だが、掃除に出てくる顔ぶれは毎回同じである。
いつもさぼっている人は九分九厘、これから先も顔を出すことはあるまい。いままでの自分の行動を軌道修正するにはかなりの勇気がいるだろうし、参加した人だって腹は立つものの、閉じられた重いドアをたたいてまで声をかけようとはしない。転入者を好意的に迎え入れる福岡でも近所づきあいはだんだん希薄になり、いよいよ東京のようになってきた。
さて、掃除に出て来たのは、うちのカミさんを含めた女性5人。ひとりは2、3か月前に引っ越してきたばかりで、その場の雰囲気からごく自然に自己紹介が始まったという。
切りだしたのは新顔の女性だった。
「わたし、70歳で仕事を辞めたのを区切りにして、主人とここに引っ越してきたの。公団は敷金も要らないし、家賃も安いし、部屋も改装してきれいだし、わたしたちにはこれで十分ですよ」
「えーっ、70なの? お若いのねぇ」
「若いだなんて、そんな。もう70歳ですよ」
「若いわよ、あなた。わたしは77よ」
「えーっ、あなたも77なの。わたしと同じ歳じゃない」
この77歳のおふたり、ひとりは数年前にご主人に先立たれ、もうひとりは一時期、年下らしき男性と同居していたが、いつの間にか彼はいなくなって、二度と現れなくなった。
どちらとも、口も、脚も達者なもので、とても77歳には見えない。エレベーターがなく、毎日コンクリートの階段をオッチラ、オッチラ登ったり、降りたりしているのがきっと足腰にいいのだろう。
年齢の話に乗ってこなかったのは、こちらも独り身で、腰が曲がっている5階のおばあちゃん。「若いわねぇ」と盛り上がっている様子に気が引けたのだろうか。
「それで、お前はどうしたの?」
「わたしも自分の年齢のことは黙っていたよ」
「なんで?」
「だって、わたしだけ60代だもの。若いから言いにくいじゃない」
「……」
この団地では敬老の日のお祝いとして、高齢者にウナギの弁当が無償で配られる。対象は75歳以上だが、以前はもっと早くからもらえた。原因は高齢者の数が急増中で、予算に余裕がなくなったからという。この点、国の財政の状況とよく似ている。
あるがままの姿を観たら、この公団住宅は年寄りたちの終(つい)の棲家になっていた。
ここまで書いてきて、ぼくの「心を入れ替える」決意はだんだんしぼんできた。
ヨシッ! こうなったら頭を切り替えよう。
現状を受け入れて、それなりにエンジョイしている女性たちの元気な様子を知って、ぼくの胸のなかにほんわりふくらんでくるものがある。それは青春の日々を過ごした下宿の生活とどこかで呼応する。
まったくの白紙だが、予定通り身のまわりのことを観て、次回の散文で書くことにしよう。
■先の秋分の日、カミさんと一緒に延岡市まで墓参りに行ってきた。福岡市から現地まで高速道路を走って、往復560.1km。これを東海道新幹線に置き換えると東京駅から新大阪駅よりも長い。墓の掃除をして、無事に帰り着くと芯からホッとする。
■写真は、室見川沿いの遊歩道。あちらこちらに真っ赤な彼岸花が燃えている。
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