熊を獲っていたころの話2025年11月07日 12時21分

 北の方の地方では熊の被害が止まらない。カミさんの郷の新潟県南魚沼市はどうだろうか。実家も、親戚たちの周辺にも、熊の目撃情報のマークがたくさんあった。あのへんの山道にはあちこちに「熊に注意」の看板がある。
 九州にはいない。熊のイメージといえば、熊本県のPRマスコットキャラクターの「くまもん」で、いつもは愛嬌をふりまく彼もさすがに肩身の狭い思いをしていることだろう。
 野性の熊から住民の命や生活を守るために、自衛隊の派遣や警察官のライフル銃の使用を認める事態になった。そこには狩猟で生計を立てていた「マタギの文化」はない。熊の毛皮や漢方の生薬・「熊の胆(い)」などは貴重な収入源だった。
 このごろ鉄砲で撃ち殺された熊たちは、どう処理されたのだろうか。
 こうなるとひと昔前の「日本人と熊の関係」が知りたくなる。そこで古い本を引っ張り出した。太平洋戦争がはじまった昭和16年発刊、定価1円60銭の『山村小記』(向山雅重著。山村書院)。何十年ぶりに手に取った。
 そのなかの一節、「熊を獲る」から以下を抜粋する。舞台は長野県・中央アルプスの空木岳(うつぎだけ)山麓である。

 熊が穴に這入るのは初雪の頃で十月一杯ははいらぬが末方になるとぼつぼつ巣へはいる支度をする。(略)
 熊は二間位の深い穴へ這入つてゐるのもある。見えないのは口元で火を焚いて呼び出す。親父が悪谷(わるだに)で獲つた時はシャツ一枚になつてはいつた。二人づれで松明をつけ二間ばかりはいつて見ると堅井戸のやうになつてゐて底にはいつてゐた。松明の光で二射ちに撃つたが六尺位深い所だつたので輪なぐりで引出した程であつた。
 穴にゐるのは口元で火を焚くと顔を出して来る。そこを射つのであるが、場所のいい所なら燻(いぶ)して獲る。朝七時頃から一時頃まで燻せば死ぬ。さうして獲った事があるが、熊が苦しくなつて唸り出すと地響きがして雷鳴(かみなり)と思はれるくらゐな音をさせるから、慣れないものは一寸おそろしくなるのである。一息焚いて火を止めて見てゐると出て来る。そこを射つこともある。
 熊は射ちつけないと中々駄目だ。腹がすわつてゐさえすれば熊が傍へ寄つて来る程いいわけだ。一発できつとどこかへ弾はくすげる。熊に掻きつかれたら怪我はするが死ぬようなことはない。六尺位前に来ると立上がつて来て人を抱く、掻つからかすのと喰ひつくのと両方である。この立上つて来る時が一番射ちいい。熊を射つ弾は本弾(一つ弾)だからなるたけ傍へ寄して射つ方が樂なわけである。
 熊は下りは早くて六尺位なものは飛越え二間位はとび下り瞬きする間に来るが、上りは人みたいに遅くむつくらむつくらとやつて来る。だから上目に居て下から来るのを射つのは射ちいいし、後から射つのもいいわけである。

 このほかにも数日も熊の足跡を追ったり、犬をつかったり、また二十一貫もある熊なら素人に百円先(以上)で売れるといった記述もある。
 だからどうしたと言われれば返答に困るが、昔の猟師は熊のことをよく知っていた。
 知っているか、知らないか。ここが大事なところで、人間を怖がらなくなった熊から問われているような気がする。

■写真の柿の実は、先日、糸島をドライブしたときにちぎって来たもの。熊がいなくてよかった。