データマンの仕事2021年03月03日 12時40分

 長い間、はなれていた「書く習慣を取り戻す」ために始めたブログだが、まだまだかつてのようにはいかない。
 駆け出しのころ、ぼくが記者として育ててもらったS誌でのスタートは、事件のデータマンだった。先輩記者に付いて取材のイロハを学ぶのだが、原稿を書くのは先輩で、ぼくは彼から指示されたターゲットを取材して、その情報をささい漏らさず、原稿に書いて渡すのが与えられた役目だった。10行詰めの原稿用紙で何十枚も、百枚以上もザラだった。
 編集部では大きな事件が発生すると、瞬時に取材チームを編成する。そこでは取材力ナンバーワン記者を筆頭に、何人もの腕利きがデータマンになる。そして、締め切りぎりぎりまで提出されるデータ原稿の山の中から、これという数行の原稿を選んで、全体の構成を組み立てて、記事を書く人をアンカーマンという。テレビのキャスターがそうである。
 ぼくはしばらくして尊敬するエース記者のTさんとコンビを組んで、やさしく、厳しく育ててもらった。本当に恵まれていたとおもう。
 新聞の取材は「筋」を追う。いわゆる5W1Hで、Who(だれが)、When(いつ)、Wher(どこで)、What(何を)、Why(なぜ)、How(どのように)の組み立てが基本になる。
 しかし、雑誌は新聞が書かない事実を読者に提供しなければ、お金を払っていただく価値がない。
 わかりやすい例をあげると、ぼくらのころは「父親は事件の前に、酒を飲んでいた」という書き方では、ボツだった。そういう書き方の記事は、ほとんど警察発表のままに過ぎない。取材はその先にある。
 父親はどこの店で、その店の中はどんな雰囲気で、そのときはどんな服装で、背広の色は、ネクタイの色は、カバンは持っていたか、どんな様子だったか、何時から何時まで、酒はどんな種類を、どれだけの量を、ツマミは何を、そのときだれと、どんな話をしていたか、帰りの様子は。
 というふうに、そのときの状況が目に浮かぶように書くのである。同じ取材でも、締め切り時間がすぐやってくるテレビや新聞よりも、通常は時間に余裕のある雑誌の方がより細かくなる。
 そのため材料を集める取材は体力と精神力が不可欠で、ここで踏ん張る力は記者魂しかない。それでも、うまく行かないことの方が圧倒的に多かった。特に、人間の心の闇にふれる事件の取材がそうだった。
 取材は始めると、そこでつかんだ情報から、もっと確認したい情報が連鎖反応のように出てくる。追いかけるスピードはどちらが速いか、どちらが正確か、大きな事件では競合各社との取材合戦がものすごい勢いで激化していく。そして、編集部全体が「負けるな」という熱い空気に包まれる。地方にいると、なかなかできない体験が、東京ではふつうのことだった。
 地方赴任からデビューする若手記者が、政治部なら自民党の平河クラブ、国会記者クラブ、そして官邸クラブを目指す気持ちはよくわかる。
もちろん、権力上昇志向からではなく、日本の中枢を取材したいという欲求はあって当然だとおもう。
 ぼくも初めて官邸に足を踏み入れたときや、警視庁の取り調べ室で、眼光鋭い捜査一課の刑事に取材したときには、「俺は記者になったぞ」を実感したものだ。
 筋を追う新聞と違って、雑誌の原稿では「読ませるところは、肉をつけて」書く。記事の中に、関係するいろんな人物が登場するし、載せるコメントの数も新聞の比ではない。
 ちなみに新聞のトップ原稿の行数を数えてみればわかることだが、1行が12,3字で100行もない。長尺モノでも、週刊誌の特集記事の方がもっと原稿の量は多い。(なんだか、初心者相手の講師のようになってきた)
 「オイ、男がかけていたメガネは、どんなメガネなんだ」と原稿に赤字を入れながら、デスクから質問が飛んで来る。メガネひとつでも、カネ持ちなのか、ブランド好みなのか、それとも安物なのか、人物像がガラリと変わるから、油断はできないのである。
 ある大きな疑獄事件で、ぼくは、焦点の男性が5,000円のパンツをはいていた、という情報をつかんだ。その奥さんが高給取りの夫の自慢話として吹聴していたのである。
 近所の家を一軒一軒歩いて、何か1行でも書ける情報はないかと粘り強く取材したから、出てきた話だった。その週号の発売日、電車の吊り広告に、「五千円のパンツをはいた男」というタイトルがデカデカと出たこともあった。
 このようにデータマンは、取材のデータ原稿の質、量が求められる。取材先で聞いたことは、相手が話した通りの言葉遣いで書かなければならない。なぜかというと、それはそのまま、アンカーマンがコメントして使うかも知れないからだ。ぼくも、こうして鍛えられた。
 こんな入門書的なことは、新聞、雑誌に限らず、記者ならだれでもやっていることである。記事になるのは、取材した量のほんのわずかしかない。書かない情報の方がはるかに多い。
 だが、こうした話は、まず、しない。聞かれても、個人情報に関わることで、傷つけてはいけない人もいるし、面倒くさいから、当たり障りのないことしか答えたくない。
 仕事とはそういうものだとおもう。テレビのワイドショーで、取材前線の情報を持たずに、人の痛みも知らずに、ペラペラしゃべっている人を見ると、強烈な違和感を覚える。
 データマンの仕事について聞かれることがあったら、もう廃版になっているかもしれないが、立花隆さんの著作「農協」(朝日文庫)のあとがきを一読することをおすすめする。一緒に取材したことがあるI先輩のていねいな文章が載っている。
 東京をはなれるとき、ケジメをつけたいとおもって、それまでの取材メモは全部捨てた。だが、どうしてもジャーナリストのしっぽは、まだ残ったままの自分がいる。
 たぶん、風のひょう吉は、あの編集部の熱気が忘れられずに、これからもいろんなエピソードを書くだろうという気がしている。

■写真は、記者時代に使っていたメモ帖の表紙裏。初心忘れずで、中には何も書いていないが、これだけは手元に残している。