廃品回収車がやってきた2021年10月10日 10時02分

 グォーン! ガシャン! バリバリバリッ!
 朝っぱらから派手にモノをこわす音が聞こえてきた。窓からのぞくと道路の脇に廃品回収車と小型トラックが尻を向けあって停まっていた。ヘルメットをかぶった4人の男たちがトラックの荷台からタンスやテーブルを下ろして、廃品回収車の後部に押し込んでいる。
 投入口では鋼鉄の板がうなり声をあげながら、ひと抱えもあるタンスを力まかせに押しつぶしていく。木の板が悲鳴をあげる。まるで奥歯であめ玉をガリガリガリと噛み砕いているようだ。布団や毛布はひと口で丸呑みである。
 トラックの荷台には自転車が折り重なって積まれている。なかにはまだまだ使えるものだってあるだろうに。
 あの木材や金属類はリサイクルされることもなく、このまま焼却されたり、埋め立て処分されるのだろうか。そうおもったら、廃品回収車が棺桶のように見えてきた。となると、いまでも十分に乗れそうな自転車は生き埋めにされるということか。
 10年ほど前、福岡市大名の賃貸マンションの事務所を閉めたとき、2LDKの部屋に置いてあったものをごっそり捨てた。
 ひとり親方の個人事務所だったが、会議や飲み会でにぎわうことも多かった。大きめのデスクだけでも4つ、椅子は7つ、スチール製の大型の本棚が5つ。洋服ダンス、テーブル、ガスストーブ……。どれもこれも少ない稼ぎのなかで、20数年かけてそろえた財産だった。
 とりわけ3つおそろいで購入した白い樹脂製のデスクには、独立したときの夢がこもっていたから、はなれがたい愛着があった。大手メーカーの定番商品で、安いものではない。目立つような傷もなく、きれいなままだった。できればだれかに使ってほしかった。
 だが、買い取りを当てにしていた事務器専門のリサイクルショップは、電話口であっさり引き取りを断ってきた。どの店も返事は同じだった。市場の商品価値はゼロだったのである。
 福岡市が運営している郊外のゴミ焼却場は、ありとあらゆる品々の墓場だった。大きな口を開けた投入口は、鋼鉄製の滑り台のようになっていて、苦楽を共にしたデスクも、本棚も、ザァーと泣き声をあげて、一直線に滑り落ちて行った。
 助っ人に来てくれた友人とレンタカーの小型トラックを運転して、事務所とゴミ焼却場を往復すること3回。自分が歩いてきた歴史まで捨ててしまったような喪失感は大きかったが、どこかでようやく身軽になったことを歓迎している自分がいた。ゴミ捨て場で手元をはなれた瞬間から、あのデスクは過去のものになったのだ。
 人の心は不思議なものだ。もっと早くそうすればよかった、事務所を維持するカネのやりくりの苦労から、やっと解放されたとおもったのだから。
「要らないものは捨てようね。ねぇ、これ、捨ててもいい?」
「うん、いいよ。とっておいても、この先、使うことはないからな」
 このところ、ぼくたち夫婦はこんな会話が増えてきた。
 そういえば、井伏鱒二の中国・唐代の漢詩の訳文に「ハナニアラシノタトヘモアルゾ、『サヨナラ』ダケガ人生ダ」という一節があった。
 他人ごとではない、せいぜい粗大ゴミ扱いされないよう、今さら手を握り合う仲でもない連れ合いに、「愛しているよ」とでも言ってみるか。

■室見川にかかる橋から下をのぞいたら、落ちアユの群れの近くに3匹の鯉が仲良く泳いでいた。