無投票は、賛成票である2021年10月26日 09時48分

 衆議院選挙は終盤に突入して、報道も熱を帯びてきた。しかし、どこかピンと来ない。
 ぼくの場合、原因は近くにある選挙用の掲示板が如実に物語っている。貼られている候補者のポスターはたった2枚だけ。なんとも静かで、さびしい光景である。弁当のフタをあけたら、おかずは二品だけで、ほかは空っぽ、といった感じがする。こんな選挙は初めてだ。
 安倍、菅の政権下では、政治家だけでなく、官僚も信用できない事例があまりにも多かった。なにしろ法の番人の最高権力者である法務大臣が、それも国会議員の嫁さんと一緒に逮捕されたのだから。前代未聞の事件で、常の世ならば政権が吹っ飛んでもおかしくなかった。
 さて、各陣営の選挙事務所では、いまごろ最終の票読みに余念がないはず。そこで話題になるのが投票率である。これによって当落ラインのおおよその得票数が読めるからだ。
 選挙になると、政治には興味がない。どうせ投票に行っても、何も変わらない。そういう声をよく聞く。
 だが、かつて国政選挙の現場を何度も取材した経験から言えば、現実はそう単純な話ではない。投票日の天気予報に一喜一憂して、台風が来ないかなぁ、とか、いい天気になって、みんな朝から遠くに出かけてくれないかなぁ、とつぶやく選対幹部もいるのだ。もちろん、この逆の投票率アップを切望する陣営もある。
 では、投票率が下がったら、どうなるか。それは全体の投票者数が下がることだから、当然、大雨が降っても、出かける用事があっても、必ず投票に行くという支持者を、それもまとまった数で持っているところが断然有利になる。
 彼らにとって、「投票に行かない人」は大歓迎なのだ。無投票とは、間接的な賛成票というわけである。(対抗陣営からすれば、反対票になる)
 「政治に関心が無い人」も、ちゃんとどこかの政党を援けているのだ。「そんなの嫌だよ」とふくれても始まらない、そういうことなのだから。
 政治体制が動くのは、投票率が上がるときである。よくあるケースは政権への批判票が増えるとき。そうでない場合、もともと支持率の低い野党が政権与党の厚い壁を破るのは容易ではない。先の自民党のトップ交替も、この脈絡でとらえると、狙いがよくわかるだろう。
 今回の選挙では、野党共闘によって自民党に対抗する候補者の一本化が進んだことが大きな変化だった。
 しかしながら、どんな社会にしたいのかという点になると、どの政党も似たり寄ったり。選挙公約を実行する手段も、ほとんどの政党が財源問題には触れずに、巨額の国費のばら撒きである。
 国民の将来に対して、あまりにも無責任ではないか、とあきれるが、本人たちは平然としている。そうなのだ、与野党とも、いまのほとんどの国会議員は議員バッジをつけたときから、赤字国債頼りの予算編成が当たり前の世代なのだ。そして、未来への責任をとる議員は、たぶんだれもいない。
 莫大なツケを払うのは若い世代である。先に待ち構えているのは消費税の大幅な引き上げしか浮かんでこない。各候補者の「生活を守ります」という叫び声が、まわりまわって、「生活を破壊します」の準備工作になりかねない。願わくば、そんなことにならないように。
 投票日は今度の日曜日、31日。福岡の天気予報は曇り。
 さぁ、各選挙区の投票率はどうなることか。気になるので、一筆、書いておく。

 高校、大学時代の友人から、政治を憂える声と共に、こんなメールが届いた。
「国のリーダーには、真面目に働いている国民が今日より明日はきっと良くなると思える国にしてください、ということに尽きる」(トヨタ自動車社長、自民党総裁選に注文)