草とりの手伝いに行く ― 2024年07月01日 09時42分
墨汁をまき散らしたような西の空を何度も見渡して、「よし、行くか」と玄関を出た。カミさんは刃先が鋭くとがった小さな鎌、真新しい軍手、封を切っていない虫よけスプレーを入れた白いビニール袋を提げている。
「かゆみ止めのスプレーも入れたよね」
「いけない。忘れてた」
朝からやけに蒸し暑い。肌にべっとりまとわりつく長ズボンと長袖のシャツを脱ぎ棄てたいが、これも息子家族のためだ。初孫の顔を見に行く今日のじいちゃん、ばあちゃんにはもうひとつの使命があって、それは庭の草とりをすることだった。
こうなったのには伏線がある。
息子たちの部屋は南向きの1階で、テントを張ってキャンプもできそうな広さの庭がついている。ここに転居して、ひと月も経たないある日、ちょうど真上の2階に住んでいる老夫婦からぶつぶつ小言を並べられたという。
簡略に言えば、「あんたたちの庭、草が伸びているよ。ちゃんときれいにしてね」だった。
どうやら、2階の人は自分たちの目の下にある他人の庭を、まるで自分たちの庭でもあるかのようにおもっているらしい。
息子によれば、入居したときから草ぼうぼうだった。最初のクレームは彼らのせいではない。しかも、お嫁さんのお腹には赤ちゃんがいた。
しかし、人生経験の豊かな人にはおわかりだろうが、どんなに筋の通った理屈でも、通用しない人には金輪際、通用しないのである。あえてプーチンやトランプの例を持ちだすまでもないだろう。
また同じことを言われるのが嫌で、息子の友人が草とりの手伝いに来てくれたし、何度も除草剤を撒いたという。だが、いくら取り除いても、草はまたすぐ生えてくる。梅雨に入ると日に日に猛々しく繁っていく。
毎朝、庭をみるたびに、息子夫婦が落ち着かない気持ちなるのは無理もない。本人がそう言っていた。
「そろそろ2階の人がまた何か言って来るっちゃなかろうか……」
1週間前の日曜日、初孫のK君の顔を見に行ったとき、初めてこんな悩みごとを聞いた。
そんなことをわざわざ言いに来る人がいることを、ぼくたち夫婦も、ちょうど息子がハイハイしはじめたころに経験ずみである。
カミさんの決断は早かった。
「仕事を辞めてヒマになるから、私がやってあげる。草とりは好きなのよ。ねっ、お父さんも一緒にやるでしょ」
こうして今日の外出につながったという次第。
カミさんはお気に入りの靴を泥だけにして、密集しているドクダミが放つ強烈な異臭をものともせずに、丸ごと引っこ抜いたりして、しゃがんだ姿勢まま庭のすみずみまで手をつけていた。
花を育てたり、土をさわったり。もともとこういうことが好きなのだ。「庭があったらなぁ」とどれだけもらしたことか。途中から赤ちゃんを寝かしつけたお嫁さんも加わって、3人で取り除いた草は大きなゴミ袋3つになった。
背中にも汗をかいて、久しぶりの達成感を味わった。朝から働いたご褒美は、ぱっちり目が覚めて、元気いっぱいのK君の笑顔である。
それにしても、とおもう。
2階の老夫婦はお会いしたこともないけれど、たぶん同年配だとおもわれる。そのふたりは、ぼくたち夫婦が繁った草と格闘している姿をじっと見下ろしていたに違いない。
いったいどんな気持ちだったのだろうか。
昨日の出来事をこうして書き留めながら、できればこれを機に、あまり口うるさく言わずに、ぼくたちの初孫の成長を温かく見守ってほしいと願っている。
■写真のジャンボサイズの酒瓶は、熊本県人吉地方にある高田酒造場の高田さんから頂戴したもの。容量は2升半の4,500ml。「益々繁盛」と呼ばれている縁起のいい瓶である。その意味は、1升マス(1,800ml)が二つと半升(はんじょう)分が入っているから。
高田酒造場には数年間、毎月1回は通っていた。高品質でも無名だった小さな蔵のブランド力のアップとファンづくりのために、あの手この手を駆使した。高田さんとは蔵の手造り焼酎を、どれだけ飲んだかわからないくらい飲んだ。
「かゆみ止めのスプレーも入れたよね」
「いけない。忘れてた」
朝からやけに蒸し暑い。肌にべっとりまとわりつく長ズボンと長袖のシャツを脱ぎ棄てたいが、これも息子家族のためだ。初孫の顔を見に行く今日のじいちゃん、ばあちゃんにはもうひとつの使命があって、それは庭の草とりをすることだった。
こうなったのには伏線がある。
息子たちの部屋は南向きの1階で、テントを張ってキャンプもできそうな広さの庭がついている。ここに転居して、ひと月も経たないある日、ちょうど真上の2階に住んでいる老夫婦からぶつぶつ小言を並べられたという。
簡略に言えば、「あんたたちの庭、草が伸びているよ。ちゃんときれいにしてね」だった。
どうやら、2階の人は自分たちの目の下にある他人の庭を、まるで自分たちの庭でもあるかのようにおもっているらしい。
息子によれば、入居したときから草ぼうぼうだった。最初のクレームは彼らのせいではない。しかも、お嫁さんのお腹には赤ちゃんがいた。
しかし、人生経験の豊かな人にはおわかりだろうが、どんなに筋の通った理屈でも、通用しない人には金輪際、通用しないのである。あえてプーチンやトランプの例を持ちだすまでもないだろう。
また同じことを言われるのが嫌で、息子の友人が草とりの手伝いに来てくれたし、何度も除草剤を撒いたという。だが、いくら取り除いても、草はまたすぐ生えてくる。梅雨に入ると日に日に猛々しく繁っていく。
毎朝、庭をみるたびに、息子夫婦が落ち着かない気持ちなるのは無理もない。本人がそう言っていた。
「そろそろ2階の人がまた何か言って来るっちゃなかろうか……」
1週間前の日曜日、初孫のK君の顔を見に行ったとき、初めてこんな悩みごとを聞いた。
そんなことをわざわざ言いに来る人がいることを、ぼくたち夫婦も、ちょうど息子がハイハイしはじめたころに経験ずみである。
カミさんの決断は早かった。
「仕事を辞めてヒマになるから、私がやってあげる。草とりは好きなのよ。ねっ、お父さんも一緒にやるでしょ」
こうして今日の外出につながったという次第。
カミさんはお気に入りの靴を泥だけにして、密集しているドクダミが放つ強烈な異臭をものともせずに、丸ごと引っこ抜いたりして、しゃがんだ姿勢まま庭のすみずみまで手をつけていた。
花を育てたり、土をさわったり。もともとこういうことが好きなのだ。「庭があったらなぁ」とどれだけもらしたことか。途中から赤ちゃんを寝かしつけたお嫁さんも加わって、3人で取り除いた草は大きなゴミ袋3つになった。
背中にも汗をかいて、久しぶりの達成感を味わった。朝から働いたご褒美は、ぱっちり目が覚めて、元気いっぱいのK君の笑顔である。
それにしても、とおもう。
2階の老夫婦はお会いしたこともないけれど、たぶん同年配だとおもわれる。そのふたりは、ぼくたち夫婦が繁った草と格闘している姿をじっと見下ろしていたに違いない。
いったいどんな気持ちだったのだろうか。
昨日の出来事をこうして書き留めながら、できればこれを機に、あまり口うるさく言わずに、ぼくたちの初孫の成長を温かく見守ってほしいと願っている。
■写真のジャンボサイズの酒瓶は、熊本県人吉地方にある高田酒造場の高田さんから頂戴したもの。容量は2升半の4,500ml。「益々繁盛」と呼ばれている縁起のいい瓶である。その意味は、1升マス(1,800ml)が二つと半升(はんじょう)分が入っているから。
高田酒造場には数年間、毎月1回は通っていた。高品質でも無名だった小さな蔵のブランド力のアップとファンづくりのために、あの手この手を駆使した。高田さんとは蔵の手造り焼酎を、どれだけ飲んだかわからないくらい飲んだ。
天井裏の浸水にあわてる ― 2024年07月03日 23時43分
前回のブログで、集合住宅の上下階で暮らす家族のトラブルの一端にふれた。困ったものだなぁとおもっていたら、今度は自分たちにその順番がめぐって来た。
「わぁーっ。大変! 水が漏れてる。すごいことになってるよ」
カミさんが叫び声あげたのは今朝の11時ごろ。
ぽたっ、ぽたっ、ぽたたっ、ぽたっ、ぽたたっ、ぽたたっ。
ひっきりなしに玄関の天井から大粒の水滴が落ちている。
「こりゃあ、ひどい。上の階の人かな」
狭い板の間は、あっという間に水びたしになった。
薄茶色の天井に隠れている細い罅(ひび)割れの線がくっきり正体を現して、その断面からしみ出た水がみるみる大きな玉になっていく。そいつらがあちこちから、ぽたっ、ぽたたっ、と途切れなく落ちている。傘を差したくなるほどだった。
ぼくたちの住居は公団住宅の3階である。火事の火元ではなくて、漏水の出元は4階か、それとも5階か。5階建ての建物だから、そのどちらしかない。
カミさんと協力して、大慌てで大型の収納ケースの空箱2個とバケツを置いて、雑巾やタオルを床に敷き詰めていたら、ピンポーン!と玄関のチャイムが鳴った。
「水が漏れているんだけど、お宅じゃない?」
2階のUさんだった。ぼくたちの下の階まで迷惑千万な音無しの客は平気でお邪魔していたのだ。
男性のぼくが「あのう、もしかしたら、お宅から水が……」と出て行くと、それだけで相手さんは緊張するだろうから、カミさんに真上の4階と5階のお宅へ走ってもらった。
ついでに、確認のために玄関ドアの外にある水道管の元栓を締めていいかの了解もとりつけた。もちろんURの住まいセンターにも水漏れの一報を入れた。
部屋を見まわったら、水漏れはトイレでも発生していた。北の小部屋の整理棚や畳の上にも小さな水たまりができていた。このままでは押し入れの中までやられてしまう。
大雨の被害で床下浸水はよくあるけれど、こちらは晴れた日の天井裏浸水である。床下と違って、天井だから土嚢を積んで防ぐことも、ポンプで排水することもできない。頭の上からの浸水は、水の出元を止めない限り、打つ手なし、である。
またたく間に、2階から5階のご近所さんたちを巻き込んで、「いったい水が漏れているのはどこですか?」の騒ぎと相成った。
公団住宅は古い建物だから、こんな騒動はいまに始まったことではない。恥ずかしながら、わが家は真下の2階どころか、その下の1階まで水びたしにしてしまった伝説の大水害を引き起こしたこともある。
人は加害者になったり、被害者になったりを繰り返しているうちに、だんだん相手の気持ちもわかってきて、そんな気にしなくてもいいですよと寛容になる。この古い団地に長くいる人は、どちらかといえば短気の人は少なくて、気の長い人が多いようにおもう。それだけいろんなことがあって、いろんなクセのある人と付き合って来たのだろう。
さて、URからの緊急出動の要請を受けた業者の人たちは20数分で駆けつけてくれた。すぐ上階のご家庭に行ってくれて、ほどなく水漏れの原因はわかった。
水の出どころは、やはり4階だった。大量出水の元はトイレで、なんでも洗浄便座の一部が破損して、そこから水が出っぱなしになっていたという。
たまたまこの部屋のご主人は留守だった。奥さんは長患いで寝込んでいる。高齢者夫婦にありがちな危惧する場面が、今回は水漏れとなって露出したわけだ。
感じのいいご夫婦である。だれが攻められようか。
業者の人が駆けつけて、応急処理をしてくれたお陰で、水がにじみ出てくる勢いは徐々に弱くなった。最後の、ぽたっ、ぽたっ、が止まったのは、夕方の6時過ぎだった。
きょうは梅雨の晴れ間で、大雨警報とも無縁の日である。よりにもよって、こんなときに限って、出水騒ぎが起きた。
だが、振り返ってみると、「よりにもよって、こんなときに限って」は、案外、珍しくもないのではとおもう。
■そろそろかな、と樫の木に近づいてみる。やっぱりありました。秋を彩るどんぐりの実がいつの間にか大きくなっている。
「わぁーっ。大変! 水が漏れてる。すごいことになってるよ」
カミさんが叫び声あげたのは今朝の11時ごろ。
ぽたっ、ぽたっ、ぽたたっ、ぽたっ、ぽたたっ、ぽたたっ。
ひっきりなしに玄関の天井から大粒の水滴が落ちている。
「こりゃあ、ひどい。上の階の人かな」
狭い板の間は、あっという間に水びたしになった。
薄茶色の天井に隠れている細い罅(ひび)割れの線がくっきり正体を現して、その断面からしみ出た水がみるみる大きな玉になっていく。そいつらがあちこちから、ぽたっ、ぽたたっ、と途切れなく落ちている。傘を差したくなるほどだった。
ぼくたちの住居は公団住宅の3階である。火事の火元ではなくて、漏水の出元は4階か、それとも5階か。5階建ての建物だから、そのどちらしかない。
カミさんと協力して、大慌てで大型の収納ケースの空箱2個とバケツを置いて、雑巾やタオルを床に敷き詰めていたら、ピンポーン!と玄関のチャイムが鳴った。
「水が漏れているんだけど、お宅じゃない?」
2階のUさんだった。ぼくたちの下の階まで迷惑千万な音無しの客は平気でお邪魔していたのだ。
男性のぼくが「あのう、もしかしたら、お宅から水が……」と出て行くと、それだけで相手さんは緊張するだろうから、カミさんに真上の4階と5階のお宅へ走ってもらった。
ついでに、確認のために玄関ドアの外にある水道管の元栓を締めていいかの了解もとりつけた。もちろんURの住まいセンターにも水漏れの一報を入れた。
部屋を見まわったら、水漏れはトイレでも発生していた。北の小部屋の整理棚や畳の上にも小さな水たまりができていた。このままでは押し入れの中までやられてしまう。
大雨の被害で床下浸水はよくあるけれど、こちらは晴れた日の天井裏浸水である。床下と違って、天井だから土嚢を積んで防ぐことも、ポンプで排水することもできない。頭の上からの浸水は、水の出元を止めない限り、打つ手なし、である。
またたく間に、2階から5階のご近所さんたちを巻き込んで、「いったい水が漏れているのはどこですか?」の騒ぎと相成った。
公団住宅は古い建物だから、こんな騒動はいまに始まったことではない。恥ずかしながら、わが家は真下の2階どころか、その下の1階まで水びたしにしてしまった伝説の大水害を引き起こしたこともある。
人は加害者になったり、被害者になったりを繰り返しているうちに、だんだん相手の気持ちもわかってきて、そんな気にしなくてもいいですよと寛容になる。この古い団地に長くいる人は、どちらかといえば短気の人は少なくて、気の長い人が多いようにおもう。それだけいろんなことがあって、いろんなクセのある人と付き合って来たのだろう。
さて、URからの緊急出動の要請を受けた業者の人たちは20数分で駆けつけてくれた。すぐ上階のご家庭に行ってくれて、ほどなく水漏れの原因はわかった。
水の出どころは、やはり4階だった。大量出水の元はトイレで、なんでも洗浄便座の一部が破損して、そこから水が出っぱなしになっていたという。
たまたまこの部屋のご主人は留守だった。奥さんは長患いで寝込んでいる。高齢者夫婦にありがちな危惧する場面が、今回は水漏れとなって露出したわけだ。
感じのいいご夫婦である。だれが攻められようか。
業者の人が駆けつけて、応急処理をしてくれたお陰で、水がにじみ出てくる勢いは徐々に弱くなった。最後の、ぽたっ、ぽたっ、が止まったのは、夕方の6時過ぎだった。
きょうは梅雨の晴れ間で、大雨警報とも無縁の日である。よりにもよって、こんなときに限って、出水騒ぎが起きた。
だが、振り返ってみると、「よりにもよって、こんなときに限って」は、案外、珍しくもないのではとおもう。
■そろそろかな、と樫の木に近づいてみる。やっぱりありました。秋を彩るどんぐりの実がいつの間にか大きくなっている。
高級車にドアをぶつけた ― 2024年07月06日 17時20分
よかった。いや、悪かったけど、ほっとした。
前回、「人は加害者になったり、被害者になったり」なんて書いたから、そういう事態を招き寄せる羽目になったのか。今度は加害者側になってしまい、午前中までいやーな気持ちを引きずっていた。
コトが起きたのは、昨日の11時半。場所はわが家のベランダから見える、目の前の駐車場である。買い物から帰って、車を停めて、カミさんが助手席のドアを開けたちょうどそのときだった。後方から突風が襲ってきた。
「風が強いぞ。気をつけて!」
間に合わなかった。
「隣の車にドアがぶつかった。ごめん……」
お隣さんの黒い大型車はアウディの新車である。このあたりでは見たこともない、ほれぼれする高級車で、古い団地の青空駐車場に停めておくような車ではない。だから自分の軽自動車を出し入れするときも、万が一こすったりしないように、ゆっくり慎重にアクセルとハンドルの操作をしていたのだ。
ああ、それなのに、気まぐれな風がほんの一瞬でぶち壊してしまった。
運転手側のドアにぶつけた傷は白っぽい縦の線になって、長さは20cmほどもある。傷ひとつない、ぴかぴかの新車のせいか、余計に痛々しくみえる。
「ごめん。もっと気をつければよかった」
「ううん、お前のじゃないよ。風のせいだよ。仕方がないさ」
ぼくもスーパーの駐車場で、同じ失敗をやらかしたことがある。突風にあおられて勢いよく開きかけたドアは、座席に座ったままの恰好で慌てて片手で引き戻そうとしても、風の力になすすべもなく負けてしまうのだ。
明暗を分ける勝負は一瞬で決まる。カミさんもきっと同じだったとおもう。
車内に置いている手帳の紙を破り取って、お詫びの言葉とこちらの連絡先、氏名を書いて、フロントガラスにワイパーで固定した。持ち主の名前と居場所がわからないから、あとは連絡を待つしかない。
自動車保険の窓口にも電話を入れた。これから先の交渉事は保険屋さんがやってくれる。とにかく、早く相手方に会って、真っ先に頭を下げるのが先決だ。
ところが、肝心のお隣さんは昼を過ぎて、夕方になっても、車のところに来ない。じっとしていられずに、窓から何度も車を見る。はさんでおいた白い紙が風にヒラヒラ揺れている。飛んでしまったら大変だと二度も足を運んで、しっかりワイパーで確実に押さえつけた。
その間の時間がとても長くて、すごく嫌だった。いますぐ謝って、今後のことを話して、了解をもらって、少しでも気持ちが楽になりたいのに、とうとう連絡はなかった。
ご本人が訪ねて来たのは、今日の11時半。苦痛が始まってから24時間経っていた。
結論から言えば、いい人だった。これまでお付き合いのチャンスはなかったけれど、同じ団地の隣の棟にいる70歳の男性で、奥さんとふたり暮らしという。
大事な新車を傷つけられて、おもしろくないはずなのに、怒っていなかった。「風ですからね、仕方がないですよ」と言ってくれた。保険の話もすんなり受け入れてくれて、拍子抜けするほどだった。
聞けば、たいへんな車道楽のようで、以前はポルシェも持っていたという。その愛車がほかの車からぶつけられたとき、事故を起こした相手は運転席で固まってしまい、動けなくなっていたとか。なんでも「ポルシェにぶつけてしまった。えらいことをした。ああ、どうしよう」ということだったらしい。
そういう希少な体験をお持ちの人だった。おまけに30年も付き合っている外車のディーラーのところでアルバイトをしていて、そこには「風でドアが隣の車に……」という事案も珍しくないそうだ。修理もそこでやることに決まって、とんとん拍子で話が決まった。
ぼくたちは、これ以上は望めそうもない、いい人を引き当てたのである。
「よかったね、お父さん。これでやっと安心できるわ」
今週は車検もした。水漏れにも遭った。人さまの大事な車を傷つけた。そのほとんどをクリアしたけれど、なんだか疲れはててしまった。
これから酒を買いに行っても、たぶんカミさんは怒らないだろう。
■たんぼの脇を流れる用水路の草にとまって、赤トンボが休んでいる。邪魔をしないように撮影したら、撮り終わった瞬間に飛んで行ってしまった。
気を利かせて 写真のモデルになってくれたのだろうか。
前回、「人は加害者になったり、被害者になったり」なんて書いたから、そういう事態を招き寄せる羽目になったのか。今度は加害者側になってしまい、午前中までいやーな気持ちを引きずっていた。
コトが起きたのは、昨日の11時半。場所はわが家のベランダから見える、目の前の駐車場である。買い物から帰って、車を停めて、カミさんが助手席のドアを開けたちょうどそのときだった。後方から突風が襲ってきた。
「風が強いぞ。気をつけて!」
間に合わなかった。
「隣の車にドアがぶつかった。ごめん……」
お隣さんの黒い大型車はアウディの新車である。このあたりでは見たこともない、ほれぼれする高級車で、古い団地の青空駐車場に停めておくような車ではない。だから自分の軽自動車を出し入れするときも、万が一こすったりしないように、ゆっくり慎重にアクセルとハンドルの操作をしていたのだ。
ああ、それなのに、気まぐれな風がほんの一瞬でぶち壊してしまった。
運転手側のドアにぶつけた傷は白っぽい縦の線になって、長さは20cmほどもある。傷ひとつない、ぴかぴかの新車のせいか、余計に痛々しくみえる。
「ごめん。もっと気をつければよかった」
「ううん、お前のじゃないよ。風のせいだよ。仕方がないさ」
ぼくもスーパーの駐車場で、同じ失敗をやらかしたことがある。突風にあおられて勢いよく開きかけたドアは、座席に座ったままの恰好で慌てて片手で引き戻そうとしても、風の力になすすべもなく負けてしまうのだ。
明暗を分ける勝負は一瞬で決まる。カミさんもきっと同じだったとおもう。
車内に置いている手帳の紙を破り取って、お詫びの言葉とこちらの連絡先、氏名を書いて、フロントガラスにワイパーで固定した。持ち主の名前と居場所がわからないから、あとは連絡を待つしかない。
自動車保険の窓口にも電話を入れた。これから先の交渉事は保険屋さんがやってくれる。とにかく、早く相手方に会って、真っ先に頭を下げるのが先決だ。
ところが、肝心のお隣さんは昼を過ぎて、夕方になっても、車のところに来ない。じっとしていられずに、窓から何度も車を見る。はさんでおいた白い紙が風にヒラヒラ揺れている。飛んでしまったら大変だと二度も足を運んで、しっかりワイパーで確実に押さえつけた。
その間の時間がとても長くて、すごく嫌だった。いますぐ謝って、今後のことを話して、了解をもらって、少しでも気持ちが楽になりたいのに、とうとう連絡はなかった。
ご本人が訪ねて来たのは、今日の11時半。苦痛が始まってから24時間経っていた。
結論から言えば、いい人だった。これまでお付き合いのチャンスはなかったけれど、同じ団地の隣の棟にいる70歳の男性で、奥さんとふたり暮らしという。
大事な新車を傷つけられて、おもしろくないはずなのに、怒っていなかった。「風ですからね、仕方がないですよ」と言ってくれた。保険の話もすんなり受け入れてくれて、拍子抜けするほどだった。
聞けば、たいへんな車道楽のようで、以前はポルシェも持っていたという。その愛車がほかの車からぶつけられたとき、事故を起こした相手は運転席で固まってしまい、動けなくなっていたとか。なんでも「ポルシェにぶつけてしまった。えらいことをした。ああ、どうしよう」ということだったらしい。
そういう希少な体験をお持ちの人だった。おまけに30年も付き合っている外車のディーラーのところでアルバイトをしていて、そこには「風でドアが隣の車に……」という事案も珍しくないそうだ。修理もそこでやることに決まって、とんとん拍子で話が決まった。
ぼくたちは、これ以上は望めそうもない、いい人を引き当てたのである。
「よかったね、お父さん。これでやっと安心できるわ」
今週は車検もした。水漏れにも遭った。人さまの大事な車を傷つけた。そのほとんどをクリアしたけれど、なんだか疲れはててしまった。
これから酒を買いに行っても、たぶんカミさんは怒らないだろう。
■たんぼの脇を流れる用水路の草にとまって、赤トンボが休んでいる。邪魔をしないように撮影したら、撮り終わった瞬間に飛んで行ってしまった。
気を利かせて 写真のモデルになってくれたのだろうか。
人を知るのはおもしろい ― 2024年07月08日 17時39分
どうやらWさんとは仲良しになれそうだ。Wさんとは、先日突風にあおられて、ぼくの車の助手席のドアをガチン!と当ててしまった新車の持ち主である。
彼がわが家にやってきて、ひと通りのやりとりがあって、「いい人でよかったね」とカミさんと胸のつかえがとれたその日の夕方のこと。ぼくたち夫婦が花壇の花に水をやっていたら、背後から「こんにちは!」と元気な声をかけられた。
白い帽子をかぶって、自転車にまたがった男性がにこにこ笑っている。
Wさんだった。あわてて頭を下げた。
ところが、その彼といったら、まるで「春風や、藤吉郎のいるところ」の風情である。
「本当に申し訳ありませんでした。買われたばかりの大事な車に傷をつけて」
「いいんですよ。どうせ中古になるんですから。もう気にしないでください」
「だって、ピカピカの新車じゃないですか」
「いやいや、じきに中古になりますよ。車なんて、みなそうですから。いいんですよ、もう。そうそう、保険屋から連絡がありました。ぼくも同じ保険に入っているよと言ったら、『はぁ、それはどうもお世話になっています。ありがとうございます』とえらくよろこんでいましたよ」
こんな調子で、屈託なく話しかけてくる。
なんと気さくな人かとおもった。だが、まだまだ序の口だった。
「5年前に家を売って、この団地に引っ越してきたけど、ここに来て大正解でした。家賃は安いし、部屋はきれいだし、夫婦ふたりにはあの部屋の広さで充分ですから。家のなかの補修も、まわりの掃除も公団がぜんぶやってくれるし、こんないいとこないですよ。うちの家内はひどい喘息持ちだったけど、ここは室見川が近いし、空気もきれいだから、すっかりよくなりました。もっと早く引っ越してくればよかったです」
よし、こいつはいいぞ、とおもった。常々、ぼくたち夫婦が感じていることをぜんぶ代弁してくれた。
ご近所の名物の「草取り婆さん」の話から、子どもを虐待していた家庭にパトカーが来たこと、5階からバリアフリーに改造した1階に移った老夫婦のことなど、ぼくらが舌を巻くほど団地の事情にも通じていた。
カミさんが「仕事を辞めました」と口にしたとたん、どうしたら税金や保険料を合法的に節約できるかについて、役所の窓口での殺し文句やそのしゃべり方、訪問するタイミングまで、懇切丁寧なアドバイスまでしてくれた。
まだ酷暑の陽が照りつけているなか、ずっと自転車にまたがったままである。
Wさんの口ぶりでは、早期退職した元管理職だったようで、好奇心が強い、研究熱心なタイプと見た。足腰が軽くて、人とすぐ仲良くなって、自分の知っていることを惜しげもなく教えるのが好きらしい。あんな人が上司だったら、部下の人たちは仕事も遊びも笑いながら鍛えられたことだろう。
「なんでもそうでしょうが。役所からの説明書も隅っこに小さな文字でちょこちょこっと書いてあるところをよく読まんと。奥さん、うまくやらんと損ですばい」
仕事をリタイアした70歳の男性にも、こんな愉快な人がいる。
人を知るとは、そして、人の出会いとは、なんとおもしろいものかとおもう。
■昨日の午後4時半。まだ日中の暑さが残っているなか、室見川の河口近くはシジミ採りをたのしむ家族連れでにぎわっていた。
このところ団地でのことばかり書いている。結末を書かないと尻切れトンボになるので、きょうは前回の続編になった。
彼がわが家にやってきて、ひと通りのやりとりがあって、「いい人でよかったね」とカミさんと胸のつかえがとれたその日の夕方のこと。ぼくたち夫婦が花壇の花に水をやっていたら、背後から「こんにちは!」と元気な声をかけられた。
白い帽子をかぶって、自転車にまたがった男性がにこにこ笑っている。
Wさんだった。あわてて頭を下げた。
ところが、その彼といったら、まるで「春風や、藤吉郎のいるところ」の風情である。
「本当に申し訳ありませんでした。買われたばかりの大事な車に傷をつけて」
「いいんですよ。どうせ中古になるんですから。もう気にしないでください」
「だって、ピカピカの新車じゃないですか」
「いやいや、じきに中古になりますよ。車なんて、みなそうですから。いいんですよ、もう。そうそう、保険屋から連絡がありました。ぼくも同じ保険に入っているよと言ったら、『はぁ、それはどうもお世話になっています。ありがとうございます』とえらくよろこんでいましたよ」
こんな調子で、屈託なく話しかけてくる。
なんと気さくな人かとおもった。だが、まだまだ序の口だった。
「5年前に家を売って、この団地に引っ越してきたけど、ここに来て大正解でした。家賃は安いし、部屋はきれいだし、夫婦ふたりにはあの部屋の広さで充分ですから。家のなかの補修も、まわりの掃除も公団がぜんぶやってくれるし、こんないいとこないですよ。うちの家内はひどい喘息持ちだったけど、ここは室見川が近いし、空気もきれいだから、すっかりよくなりました。もっと早く引っ越してくればよかったです」
よし、こいつはいいぞ、とおもった。常々、ぼくたち夫婦が感じていることをぜんぶ代弁してくれた。
ご近所の名物の「草取り婆さん」の話から、子どもを虐待していた家庭にパトカーが来たこと、5階からバリアフリーに改造した1階に移った老夫婦のことなど、ぼくらが舌を巻くほど団地の事情にも通じていた。
カミさんが「仕事を辞めました」と口にしたとたん、どうしたら税金や保険料を合法的に節約できるかについて、役所の窓口での殺し文句やそのしゃべり方、訪問するタイミングまで、懇切丁寧なアドバイスまでしてくれた。
まだ酷暑の陽が照りつけているなか、ずっと自転車にまたがったままである。
Wさんの口ぶりでは、早期退職した元管理職だったようで、好奇心が強い、研究熱心なタイプと見た。足腰が軽くて、人とすぐ仲良くなって、自分の知っていることを惜しげもなく教えるのが好きらしい。あんな人が上司だったら、部下の人たちは仕事も遊びも笑いながら鍛えられたことだろう。
「なんでもそうでしょうが。役所からの説明書も隅っこに小さな文字でちょこちょこっと書いてあるところをよく読まんと。奥さん、うまくやらんと損ですばい」
仕事をリタイアした70歳の男性にも、こんな愉快な人がいる。
人を知るとは、そして、人の出会いとは、なんとおもしろいものかとおもう。
■昨日の午後4時半。まだ日中の暑さが残っているなか、室見川の河口近くはシジミ採りをたのしむ家族連れでにぎわっていた。
このところ団地でのことばかり書いている。結末を書かないと尻切れトンボになるので、きょうは前回の続編になった。
生涯現役に、エールを送る ― 2024年07月19日 19時27分
朝、起きたときの気温は30度。青い空にぽっかり白い雲。
梅雨明け宣言は出ていないけれど、まぎれもない真夏がやってきた。セミたちは音量を最高出力まで上げて、気も狂わんばかりに鳴き騒いでいる。
9時過ぎ、カミさんは市の中心部まで出かけて行った。ハローワークで高年齢求職者給付金を受け取る申請をするという。
先月末に会社の都合で退職したので、すぐにでもやらなくてはいけない手続きを持ちきれないほど抱えている。猛暑のなか、68歳の女性が健康保険の変更の登録、4万円の定額減税の申請、顔写真の撮影、区役所や税務署の窓口をあっちやこっちに。
昨日も給付金関係の書類を広げて、いくらもらえるか、カネの計算に余念がなかった。
「あれー、なんでー。えー、これだけー」
大きな声で独りごとを言いながら、ようやく計算が終わって、顔をあげたとたん、まったく別の話を切り出した。どうやら頭の片隅で、給付金のほかにも、まだどこかからカネが入ってくる途(みち)はないものかと探していたらしい。
「白内障の両眼の手術をしたらね、保険で〇〇万円はもらえるとおもうの。それから知り合いの△△さんが言ってたけど、この目蓋(まぶた)の眼瞼下垂(がんけんかすい)手術をしたら、保険金が出るみたいよ。契約した保険の内容にもよるけどね」
「おい、おい。今度は保険のカネが目当てかよ」
「そうよ。からだを切り刻んで、稼ぐのよ」
昼過ぎに帰宅したカミさんは、話したいことが山ほどあるようだった。どこにも出かけない亭主に、世間の動向を教えてあげねからね、そう顔に書いてある。
「ハローワークは人でいっぱいよ。80歳ぐらいで、杖をついて、脚がよたよたしているおじいさんもいたの。腰の曲がったおばあさんもいて、その人、耳が遠いのよ。あんなお年寄りでも働いていて、また次の就職先を探しているみたいだったよ」
「80歳」、「脚がよたよた」、「腰の曲がった」、「耳が遠い」、「次の就職先を探している」。
人混みのなかでのスローモーションの動きが目に浮かぶ。稼ぎのないぼくにはいささか耳の痛い情報だったが、ふたりの胸中を想像したら、だんだん腹が立ってきた。
こつこつと真面目に働いていれば、人並みの生活ができる。日本はそういう国だったのだ。ところが、世界中から賞賛された「一億総中流社会」は跡形もなく消えてしまった。
代わりに出てきたのが、非正規雇用、勝ち組、負け組、格差、貧困、断絶。
著しく人情味に欠けた言葉の向こうに、21世紀の幕開け(2001年)に発足した小泉内閣とその取り巻きの顔ぶれが浮かぶ。
小泉は政治家ではめずらしく人気があった。経済財政の専任大臣に大抜擢された竹中平蔵はマスコミにひっぱりだこだった。小泉政権が打ち上げた「構造改革」はジャーナリズムも拍手で迎えた。
権力者の口から出た言葉をもろ手をあげて持ち上げる、似たような空気感は過去にもあった。
山高ければ、谷深し、という。
彼らが大騒ぎした結果は、先に並べた言葉の通りである。これについては、「日本を駄目にした」の論調で、あちこちに詳しく書かれているから、これ以上はふれないでおく。
「80歳か、80歳でねぇ」と反芻しているうちに、ぼくのまわりにも80歳を過ぎて、元気で働いている人は何人もいることにようやく目が向いた。
そうだった、つい先日のブログにも書いたばかりだった。
生涯現役。
ハローワークのあのおふたりに、このエールを送ろう。
無理のきかないからだになったけれど、俺らしく生涯現役の心意気で行くか!
■まとまった雨が降った後の室見川の最下流にある堰。時折り、はげしい流れに逆らって、上流に向かう魚が飛び跳ねる。アオサギがチャンスを狙って、じっと見ている。
梅雨明け宣言は出ていないけれど、まぎれもない真夏がやってきた。セミたちは音量を最高出力まで上げて、気も狂わんばかりに鳴き騒いでいる。
9時過ぎ、カミさんは市の中心部まで出かけて行った。ハローワークで高年齢求職者給付金を受け取る申請をするという。
先月末に会社の都合で退職したので、すぐにでもやらなくてはいけない手続きを持ちきれないほど抱えている。猛暑のなか、68歳の女性が健康保険の変更の登録、4万円の定額減税の申請、顔写真の撮影、区役所や税務署の窓口をあっちやこっちに。
昨日も給付金関係の書類を広げて、いくらもらえるか、カネの計算に余念がなかった。
「あれー、なんでー。えー、これだけー」
大きな声で独りごとを言いながら、ようやく計算が終わって、顔をあげたとたん、まったく別の話を切り出した。どうやら頭の片隅で、給付金のほかにも、まだどこかからカネが入ってくる途(みち)はないものかと探していたらしい。
「白内障の両眼の手術をしたらね、保険で〇〇万円はもらえるとおもうの。それから知り合いの△△さんが言ってたけど、この目蓋(まぶた)の眼瞼下垂(がんけんかすい)手術をしたら、保険金が出るみたいよ。契約した保険の内容にもよるけどね」
「おい、おい。今度は保険のカネが目当てかよ」
「そうよ。からだを切り刻んで、稼ぐのよ」
昼過ぎに帰宅したカミさんは、話したいことが山ほどあるようだった。どこにも出かけない亭主に、世間の動向を教えてあげねからね、そう顔に書いてある。
「ハローワークは人でいっぱいよ。80歳ぐらいで、杖をついて、脚がよたよたしているおじいさんもいたの。腰の曲がったおばあさんもいて、その人、耳が遠いのよ。あんなお年寄りでも働いていて、また次の就職先を探しているみたいだったよ」
「80歳」、「脚がよたよた」、「腰の曲がった」、「耳が遠い」、「次の就職先を探している」。
人混みのなかでのスローモーションの動きが目に浮かぶ。稼ぎのないぼくにはいささか耳の痛い情報だったが、ふたりの胸中を想像したら、だんだん腹が立ってきた。
こつこつと真面目に働いていれば、人並みの生活ができる。日本はそういう国だったのだ。ところが、世界中から賞賛された「一億総中流社会」は跡形もなく消えてしまった。
代わりに出てきたのが、非正規雇用、勝ち組、負け組、格差、貧困、断絶。
著しく人情味に欠けた言葉の向こうに、21世紀の幕開け(2001年)に発足した小泉内閣とその取り巻きの顔ぶれが浮かぶ。
小泉は政治家ではめずらしく人気があった。経済財政の専任大臣に大抜擢された竹中平蔵はマスコミにひっぱりだこだった。小泉政権が打ち上げた「構造改革」はジャーナリズムも拍手で迎えた。
権力者の口から出た言葉をもろ手をあげて持ち上げる、似たような空気感は過去にもあった。
山高ければ、谷深し、という。
彼らが大騒ぎした結果は、先に並べた言葉の通りである。これについては、「日本を駄目にした」の論調で、あちこちに詳しく書かれているから、これ以上はふれないでおく。
「80歳か、80歳でねぇ」と反芻しているうちに、ぼくのまわりにも80歳を過ぎて、元気で働いている人は何人もいることにようやく目が向いた。
そうだった、つい先日のブログにも書いたばかりだった。
生涯現役。
ハローワークのあのおふたりに、このエールを送ろう。
無理のきかないからだになったけれど、俺らしく生涯現役の心意気で行くか!
■まとまった雨が降った後の室見川の最下流にある堰。時折り、はげしい流れに逆らって、上流に向かう魚が飛び跳ねる。アオサギがチャンスを狙って、じっと見ている。
手術前夜の走り書き ― 2024年07月20日 17時30分
机のまわりを整理していたら、A4サイズ、100枚の分厚いノートが出てきた。
昨年2月、すい臓がんの手術を受けるために入院したとき、一緒に持ち込んだものである。ぱらぱらめくったら、日付の記入欄に黒の鉛筆で「2 : 20(2月20日)」と記したページが出てきた。そこには手術前夜の心境をつづった走り書きがあった。
いつかこのノートも処分するだろうから、ひとつの記録として、以下に転記しておく。
手術の前夜、20 : 58。
病棟は非常に静かである。人がいるのかと疑うほど静まり返っている。みな息をひそめているのだろうか。それともただ刻の流れに身を任せているのだろうか。
窓際の隣人・山内さんは今日の昼すぎ、手術のために出て行き、数時間後に戻ってきた。「お帰りなさい」の声もかけていないが(声を出すのが辛いかもしれない)、それとなく気配を察するところ、痛みに耐えかねている感じではない。
しかし、本音のところはわからない。口に出さずに我慢している人の方がほとんどだろうと思うからである。病院のなかは、忍耐、我慢、明日の不安との孤独な戦いの青い炎に満ちている。
こういうとき、ぼくに限らず、人は明るい希望の光を求めるものだ。ひとつひとつの事実を表から裏からながめて、自分の都合のいい方に解釈する。解釈したことを信じようとする。そして、信じる。そこに希望の力がわいてくる。
これまで幾度も、幾度も、そうしたプロセスを繰り返してきた。もう、その発想がぼくの特徴にもなっている。これがぼくの強みである。
いま、その強みを最大限に生かすときを迎えている。
夜の7時に、腸内をきれいにする下剤をコップ一杯のんだ。9時に便の通じをよくする下剤をのむことになっている。現21 : 10。
今夜はぐっすり眠りたいので、朝と午後の2回、それぞれ違う看護士に睡眠薬をくれるよう頼んでおいた。
就寝前のインスリンの時刻が近づいているので、(……とここまで書いて、看護士さん来る)
ベッドに寝かされて、手術室に入ったのは翌21日の午前9時だった。
読み返すと、あのときの感情がつい昨日のことのようによみがえってきた。
ああやって、独りで自分を励ましていた。そして、ノートにその瞬間、瞬間の気持ちを同時進行で書き留める作業が生きている証だった。
いろいろ立派な決意をしても、すぐに気持ちがだらけてしまう方だから、ほかのページの走り書きもときどき読み返すことにしよう。
来週の月曜日は2か月ぶりの定期健診。まだまだ医者のチェックは続く。
■このアゲハ蝶、目の前を行ったり来たりして、遠くに飛んで行く気がないみたいだった。ついでにお前さんも記録に残してやろう。
昨年2月、すい臓がんの手術を受けるために入院したとき、一緒に持ち込んだものである。ぱらぱらめくったら、日付の記入欄に黒の鉛筆で「2 : 20(2月20日)」と記したページが出てきた。そこには手術前夜の心境をつづった走り書きがあった。
いつかこのノートも処分するだろうから、ひとつの記録として、以下に転記しておく。
手術の前夜、20 : 58。
病棟は非常に静かである。人がいるのかと疑うほど静まり返っている。みな息をひそめているのだろうか。それともただ刻の流れに身を任せているのだろうか。
窓際の隣人・山内さんは今日の昼すぎ、手術のために出て行き、数時間後に戻ってきた。「お帰りなさい」の声もかけていないが(声を出すのが辛いかもしれない)、それとなく気配を察するところ、痛みに耐えかねている感じではない。
しかし、本音のところはわからない。口に出さずに我慢している人の方がほとんどだろうと思うからである。病院のなかは、忍耐、我慢、明日の不安との孤独な戦いの青い炎に満ちている。
こういうとき、ぼくに限らず、人は明るい希望の光を求めるものだ。ひとつひとつの事実を表から裏からながめて、自分の都合のいい方に解釈する。解釈したことを信じようとする。そして、信じる。そこに希望の力がわいてくる。
これまで幾度も、幾度も、そうしたプロセスを繰り返してきた。もう、その発想がぼくの特徴にもなっている。これがぼくの強みである。
いま、その強みを最大限に生かすときを迎えている。
夜の7時に、腸内をきれいにする下剤をコップ一杯のんだ。9時に便の通じをよくする下剤をのむことになっている。現21 : 10。
今夜はぐっすり眠りたいので、朝と午後の2回、それぞれ違う看護士に睡眠薬をくれるよう頼んでおいた。
就寝前のインスリンの時刻が近づいているので、(……とここまで書いて、看護士さん来る)
ベッドに寝かされて、手術室に入ったのは翌21日の午前9時だった。
読み返すと、あのときの感情がつい昨日のことのようによみがえってきた。
ああやって、独りで自分を励ましていた。そして、ノートにその瞬間、瞬間の気持ちを同時進行で書き留める作業が生きている証だった。
いろいろ立派な決意をしても、すぐに気持ちがだらけてしまう方だから、ほかのページの走り書きもときどき読み返すことにしよう。
来週の月曜日は2か月ぶりの定期健診。まだまだ医者のチェックは続く。
■このアゲハ蝶、目の前を行ったり来たりして、遠くに飛んで行く気がないみたいだった。ついでにお前さんも記録に残してやろう。
草取りばあさんに敬礼! ― 2024年07月21日 15時51分
陽の光にほのかなオレンジ色が溶け込んで、夕暮れの気配が漂いはじめたころ、あの「草取りばあさん」がしゃがんで、せっせと両腕を動かしていた。この団地の草色のなかに人がいるのはそこだけである。
断っておくが、「草取りばあさん」のニックネームはご本人がつけた。それには欠かせない枕言葉がセットになっていて、「有名な草取りばあさん」と呼ぶのが正式名称らしい。
カミさんと買い物に出かけた帰り路、ふと目が合って、こんな立ち話をした。
「ほら、草の茎がベターッと地面にくっついて広がっているコイツはね、急に増えてきた草なのよ。これまで見かけなかったから、外来種なのかなぁ。わたしは勝手にヘビグサと呼んでいるんだけどね。これが生えると野生のスミレの花もみんなやられてしまうの。スミレの花はかわいいから、大事にしたいじゃない。この木も栄養を奪われて、かわいそうでね。だから、憎ったらしいヘビグサを見つけたら、こうして手で力いっぱい引き抜くの」
ヘビグサは浦島草の別名である。ヘビが鎌首を上げているようなマムシグサの同類だから、彼女の認識は間違っているのだが、そう呼びたい気持ちはなんとなくわかる。
「さっき、ちょっと外に出たら、伸びた草が目に入ってね。そしたら、もう気になって、この木がかわいそうで、ついつい草取りをしてしまうのよ」
この木とは、ひと昔前によくみかけたカイヅカイブキのこと。少々の草に包囲されても負けてしまうようなヤワな木ではないが、このあたりのカイヅカイブキの根本にはちょろちょろとしか草が生えていない。地面はほとんどむき出しになっている。
「草取りばあさん」が爪先を土で真っ黒にして、草どもを根こそぎ引き抜いた戦果の跡である。夜の11時ごろまで、真っ暗な闇のなかで草の大群の征伐に夢中になっていて、「怪しいヤツがいる」と110番通報されたこともあった。
定期的に専門の業者が草刈りをしてくれるから、あんなことしなくてもいいのに。せっかく植えてある芝生まで台無しになるじゃないの。そんな声もちらほら耳に入ってくる。
だが、少し腰が曲がり気味で、よかれと思って草取りを生きがいにしている、あのひたむきな姿を見たら、だれだって面と向かってとてもそんなことは言えないのだ。
やさしくて働き者だった田舎の祖母を思い出す。
「あなた、公団から頼まれてやっているの? とよく訊かれるけど、公団がそんなこと言うわけがないじゃない。ボランティアよ」
「えらいなぁ。でも、熱中症にはくれぐれも気をつけてくださいね」
「そうね。こう暑くちゃ、無理はできないね。ボランティアのご褒美はね、やぶ蚊に顔をあちこち刺されること。ほら、ここも、ここも刺された。あっ、はっ、はっ、馬鹿みたいでしょ。あなたたちも花壇のお花の手入れ、ありがとうね」
歳のころは80歳ぐらいだろうか、彼女も独り暮らしの身。草取りをしている小さな姿を目にするとぼくたちご近所さんはハラハラしつつも、ひと安心するのである。
■原稿書きのカンを取り戻すために、また身近なことを長々と書いた。3日連続のブログはもしかしたら新記録達成かな。
燃え上がるような暑さのなか、すぐ近くのわずかに残っているたんぼの畔で、オスのカモが休んでいた。独りぽっちで、連れの姿はどこにも見当たらない。痩せて、寂しげで、力が出ない様子だった。大丈夫かなぁ。
断っておくが、「草取りばあさん」のニックネームはご本人がつけた。それには欠かせない枕言葉がセットになっていて、「有名な草取りばあさん」と呼ぶのが正式名称らしい。
カミさんと買い物に出かけた帰り路、ふと目が合って、こんな立ち話をした。
「ほら、草の茎がベターッと地面にくっついて広がっているコイツはね、急に増えてきた草なのよ。これまで見かけなかったから、外来種なのかなぁ。わたしは勝手にヘビグサと呼んでいるんだけどね。これが生えると野生のスミレの花もみんなやられてしまうの。スミレの花はかわいいから、大事にしたいじゃない。この木も栄養を奪われて、かわいそうでね。だから、憎ったらしいヘビグサを見つけたら、こうして手で力いっぱい引き抜くの」
ヘビグサは浦島草の別名である。ヘビが鎌首を上げているようなマムシグサの同類だから、彼女の認識は間違っているのだが、そう呼びたい気持ちはなんとなくわかる。
「さっき、ちょっと外に出たら、伸びた草が目に入ってね。そしたら、もう気になって、この木がかわいそうで、ついつい草取りをしてしまうのよ」
この木とは、ひと昔前によくみかけたカイヅカイブキのこと。少々の草に包囲されても負けてしまうようなヤワな木ではないが、このあたりのカイヅカイブキの根本にはちょろちょろとしか草が生えていない。地面はほとんどむき出しになっている。
「草取りばあさん」が爪先を土で真っ黒にして、草どもを根こそぎ引き抜いた戦果の跡である。夜の11時ごろまで、真っ暗な闇のなかで草の大群の征伐に夢中になっていて、「怪しいヤツがいる」と110番通報されたこともあった。
定期的に専門の業者が草刈りをしてくれるから、あんなことしなくてもいいのに。せっかく植えてある芝生まで台無しになるじゃないの。そんな声もちらほら耳に入ってくる。
だが、少し腰が曲がり気味で、よかれと思って草取りを生きがいにしている、あのひたむきな姿を見たら、だれだって面と向かってとてもそんなことは言えないのだ。
やさしくて働き者だった田舎の祖母を思い出す。
「あなた、公団から頼まれてやっているの? とよく訊かれるけど、公団がそんなこと言うわけがないじゃない。ボランティアよ」
「えらいなぁ。でも、熱中症にはくれぐれも気をつけてくださいね」
「そうね。こう暑くちゃ、無理はできないね。ボランティアのご褒美はね、やぶ蚊に顔をあちこち刺されること。ほら、ここも、ここも刺された。あっ、はっ、はっ、馬鹿みたいでしょ。あなたたちも花壇のお花の手入れ、ありがとうね」
歳のころは80歳ぐらいだろうか、彼女も独り暮らしの身。草取りをしている小さな姿を目にするとぼくたちご近所さんはハラハラしつつも、ひと安心するのである。
■原稿書きのカンを取り戻すために、また身近なことを長々と書いた。3日連続のブログはもしかしたら新記録達成かな。
燃え上がるような暑さのなか、すぐ近くのわずかに残っているたんぼの畔で、オスのカモが休んでいた。独りぽっちで、連れの姿はどこにも見当たらない。痩せて、寂しげで、力が出ない様子だった。大丈夫かなぁ。
あと1年、生かしてもらえたら ― 2024年07月25日 09時40分
先の月曜日は定期検診の日だった。待たされること1時間、所定の30席ほどの椅子にようやく空席が目立つようになったころ、担当の外科医の部屋に呼ばれた。
「やぁ、しばらくでした。お待たせしてすみません。えーと、今回も血液検査のデータに問題はないですね。うん、いいですね。じゃあ、次は7週間後にCT検査の予約を入れておきましょう」
裁判の判決で言えば、最初の主文のみ。それでもぼくにとって医者の説明がごく短く終わるのはいいことなのである。
よかった、今度も関門をパスできた。しばらくはこのまま生きていられそうだ。
すい臓がんからたまたま助かったぼくは、「よく助かったなぁ」と言われることがある。返す言葉はだいたい決まっていて、「運がよかったんだ。早期発見で、手術ができたからね」。
完璧な受け答えだとおもう。でも、それでは相手が求めている本当の答えになっていない。たぶんもっと人間くさい話を聞きたいのだ。
「運」と「がんとの闘い」のドラマについては、ぼくよりもわかりやすく説明できる人がいる。眼科クリニックを経営しているK院長がその人で、以前、このブログでも少しだけ触れた。
Kさんはぼくよりも3年ほど早く、すい臓がんが見つかった。手術ができないステージ4だった。がん細胞は肝臓にも転移していて、確か余命宣告もされていたはずだ。
振り返れば、ここからKさんは運のいいコースを進んだことになる。
彼が迷わずに相談したのは、大学時代の医学部の同級生だった。友人は「お前を絶対に死なせないからな」と言って、がん治療の権威として名が通っている現役の医者を紹介した。
その医者は同じ大学卒で、系列の国立大学病院の要職に就いている。彼はすぐに病院にいる教え子たちと選抜チームを結成したという。こうしてぼくのように開腹手術をしないで、すい臓がんを治してみせるというプロジェクトがスタートした。年の瀬も押し詰まった12月31日のことだった。
先進医療に関する知見はさすがで、最新の医療を組み合わせて、肝臓のがん細胞はきれいに消えた。残りはすい臓がんだけ。新しい抗がん剤をあれこれ試して、そのたびにKさんははげしい副作用に耐えた。
彼はクリニックでの診察だけではなく、学会の役職も兼務しているので、とても忙しい身である。東京までの2往復の日帰り出張も、むずかしい眼の手術もこなしている。
いまでも抗がん剤の副作用で起きあがれない日もあるそうだが、ぼくはご本人の戦う気持ちと彼を支えるチームの結束力なら、きっとがんに打ち勝てると信じている。
先日、眼の診察に出かけたカミさんに、Kさんはこんな話をしたという。
「がんと宣告されたとき、あと1年生かしてもらえたら、いろんなことができるなぁと思いました。死ぬのは怖くなかったですね。自分でもよかったとおもうのは、いい医者とのご縁があって、ぼくも一緒にがんを克服しようというチームの一員になって、最先端の治療を受けていることです。抗がん剤もいい薬が出ているし、医学の進歩はすごいですよ。仕事が忙しいのもあれこれ考えて、落ち込む暇がなくて、逆によかったみたいです。
すい臓がんのことも、こうしてオープンに話すようにしたら気が軽くなりました。身内にがんになった人がいる患者さんは大勢いますね。先生、がんばってくださいって、よく励まされます。こんなふうになれたのも、やっぱり運でしょうね。そういう運があるかどうかだと思いますね」
Kさんの話の一つひとつが幸運につながっている。ぼくの体験と照らし合わせても、まったくその通りだとおもう。
カミさんは「あと1年生かしてもらえたら、いろんなことができるのになぁ。死ぬのは怖くなかった」という言葉が強く印象に残っているという。
すい臓がんの手術から抗がん剤治療を経て、なにごともなく1年5か月が過ぎた。Kさんは丸4年を経過中だ。
Kさんは応援せずにはいられない人で、ぼくたち夫婦に勇気を与えてくれる目標にもなっている。
■室見川の西区側に渡って、遊歩道を上流へ歩く。途中、目立って大きな木がある。日陰の涼しさにひかれて立ち止まり、葉の繁った枝先を見たら、ちいさな赤い点が目に入った。
びっくりした。桑の木だった。いままで気がつかなかった。こんな大きな桑の木は見たことがない。赤い点は甘くておいしい桑の実である。春になったら、いったいどれだけたくさんの実をつけるだろうか。
以前、団地のすぐ近くにはヤマモモの大きな木もあった。いい香りがするジューシーな赤い実をいっぱいつけていたが、無残にも伐り倒されてしまった。
いつまでも、この桑の木が無事であることを願う。
「やぁ、しばらくでした。お待たせしてすみません。えーと、今回も血液検査のデータに問題はないですね。うん、いいですね。じゃあ、次は7週間後にCT検査の予約を入れておきましょう」
裁判の判決で言えば、最初の主文のみ。それでもぼくにとって医者の説明がごく短く終わるのはいいことなのである。
よかった、今度も関門をパスできた。しばらくはこのまま生きていられそうだ。
すい臓がんからたまたま助かったぼくは、「よく助かったなぁ」と言われることがある。返す言葉はだいたい決まっていて、「運がよかったんだ。早期発見で、手術ができたからね」。
完璧な受け答えだとおもう。でも、それでは相手が求めている本当の答えになっていない。たぶんもっと人間くさい話を聞きたいのだ。
「運」と「がんとの闘い」のドラマについては、ぼくよりもわかりやすく説明できる人がいる。眼科クリニックを経営しているK院長がその人で、以前、このブログでも少しだけ触れた。
Kさんはぼくよりも3年ほど早く、すい臓がんが見つかった。手術ができないステージ4だった。がん細胞は肝臓にも転移していて、確か余命宣告もされていたはずだ。
振り返れば、ここからKさんは運のいいコースを進んだことになる。
彼が迷わずに相談したのは、大学時代の医学部の同級生だった。友人は「お前を絶対に死なせないからな」と言って、がん治療の権威として名が通っている現役の医者を紹介した。
その医者は同じ大学卒で、系列の国立大学病院の要職に就いている。彼はすぐに病院にいる教え子たちと選抜チームを結成したという。こうしてぼくのように開腹手術をしないで、すい臓がんを治してみせるというプロジェクトがスタートした。年の瀬も押し詰まった12月31日のことだった。
先進医療に関する知見はさすがで、最新の医療を組み合わせて、肝臓のがん細胞はきれいに消えた。残りはすい臓がんだけ。新しい抗がん剤をあれこれ試して、そのたびにKさんははげしい副作用に耐えた。
彼はクリニックでの診察だけではなく、学会の役職も兼務しているので、とても忙しい身である。東京までの2往復の日帰り出張も、むずかしい眼の手術もこなしている。
いまでも抗がん剤の副作用で起きあがれない日もあるそうだが、ぼくはご本人の戦う気持ちと彼を支えるチームの結束力なら、きっとがんに打ち勝てると信じている。
先日、眼の診察に出かけたカミさんに、Kさんはこんな話をしたという。
「がんと宣告されたとき、あと1年生かしてもらえたら、いろんなことができるなぁと思いました。死ぬのは怖くなかったですね。自分でもよかったとおもうのは、いい医者とのご縁があって、ぼくも一緒にがんを克服しようというチームの一員になって、最先端の治療を受けていることです。抗がん剤もいい薬が出ているし、医学の進歩はすごいですよ。仕事が忙しいのもあれこれ考えて、落ち込む暇がなくて、逆によかったみたいです。
すい臓がんのことも、こうしてオープンに話すようにしたら気が軽くなりました。身内にがんになった人がいる患者さんは大勢いますね。先生、がんばってくださいって、よく励まされます。こんなふうになれたのも、やっぱり運でしょうね。そういう運があるかどうかだと思いますね」
Kさんの話の一つひとつが幸運につながっている。ぼくの体験と照らし合わせても、まったくその通りだとおもう。
カミさんは「あと1年生かしてもらえたら、いろんなことができるのになぁ。死ぬのは怖くなかった」という言葉が強く印象に残っているという。
すい臓がんの手術から抗がん剤治療を経て、なにごともなく1年5か月が過ぎた。Kさんは丸4年を経過中だ。
Kさんは応援せずにはいられない人で、ぼくたち夫婦に勇気を与えてくれる目標にもなっている。
■室見川の西区側に渡って、遊歩道を上流へ歩く。途中、目立って大きな木がある。日陰の涼しさにひかれて立ち止まり、葉の繁った枝先を見たら、ちいさな赤い点が目に入った。
びっくりした。桑の木だった。いままで気がつかなかった。こんな大きな桑の木は見たことがない。赤い点は甘くておいしい桑の実である。春になったら、いったいどれだけたくさんの実をつけるだろうか。
以前、団地のすぐ近くにはヤマモモの大きな木もあった。いい香りがするジューシーな赤い実をいっぱいつけていたが、無残にも伐り倒されてしまった。
いつまでも、この桑の木が無事であることを願う。
同期会への苦渋の決断 ― 2024年07月30日 06時43分
迷いを振り切って、返信用のはがきの「欠席」の文字に、黒のボールペンでしっかり丸印をつけた。9月はじめに小倉で開かれる高校の同期会には、これまでと同様に出席しないことにした。
参加者はだんだん少なくなって、今回は5年ぶりの開催という。連絡役の友からは「今度が最後になる」と聞いていた。
この伏せられた幹事会の情報を70歳過ぎの学友たちはそれとなく察知したのか、予想をおおきく上まわる50人以上も集まりそうだという。
いつ、だれが先に逝っても不思議ではない年齢になった。みんなもそう感じているとおもう。小倉をはなれた人も多い。こんなときでないと会えない人もいる。話したいことも、訊きたいことも終わりがないほどあって、この特別な時間ではとても足りなくなって、「また会おうや!」の大合唱がかならず湧きあがるとおもう。
高校時代には話をしたことがなくても、付き合いが切れたようでも、いつまでもつながっている仲間たちなのだ。幹事会に集まる顔ぶれも、もともとこういうことが好きでやっている連中だから、たぶん、「よし、またやりましょう!」になるだろう。
と、まぁ、こんなふうに想像したら、まだ70歳ちょっとじゃないか、またチャンスはあるなと目の前が開けて、ずいぶん気が楽になった。
このブログを読んでいる同期生も2、3人ほどいるようなので、ぼくが欠席する理由も、もっともらしく書いておこう。以下に事実を並べる。
すい臓は半分しか残っていない。脾臓はぜんぶない。自動車の組み立てではないが、からだを構成していた重要なパーツがなくなってしまった。医者もまだ慎重に様子を見ている段階である。
すい臓のインスリンをつくる機能もほとんど失われた。糖尿病が悪化しないようにインスリンは1日4回、忘れずに打たなくてはならない。食事療法も大切だから、宴会のご馳走も食物繊維を優先、カロリー控えめ、炭水化物や糖分の取り過ぎ要注意の制限がある。
まだある。福岡市内の自宅と小倉の会場までの往復時間は4、5時間もかかる。
今年の2月半ば過ぎに小倉でやったO君を送る会は、自分が言いだした責任があるから、気合いで行った。
いまの心情を時代劇風につづればこうなるだろうか。
渡世の義理と人情に背くようだが、独り静かに世情をはなれた庵(いおり)にこもって、つれづれにもの書きなどして暮らすのがよかろうとおもふ。
悩んでいたのはぼくだけではなくて、小倉にいる同級生から電話がかかってきた。
「お前が行かないのなら、オレもそうするよ」
いい歳をして、まるっきり主体性のない話になって、彼も欠席組に入った。だが、これだけで終わるようなぼくたちではない。気を立て直して、今度はすぐ決めた。
「博多でゆっくり飲もうや」
やはり、持つべきものは友である。これでまた気持ちがぐんと楽になった。
■ドアをぶつけてしまった高級車は、先日3週間ぶりに修理から戻ってきた。お菓子とビールを提げて、カミさんと改めてWさんのところへお詫びに行った。笑顔で迎えてくれた。
ふぅ。やっと終わった。
■イチョウの木にアブラゼミがとまって、ジリジリジリと鳴いている。(写真中央の左)。右の方にはセミの抜けがらが二つ。団地のなかで、この夏もたくさん見つけた。
参加者はだんだん少なくなって、今回は5年ぶりの開催という。連絡役の友からは「今度が最後になる」と聞いていた。
この伏せられた幹事会の情報を70歳過ぎの学友たちはそれとなく察知したのか、予想をおおきく上まわる50人以上も集まりそうだという。
いつ、だれが先に逝っても不思議ではない年齢になった。みんなもそう感じているとおもう。小倉をはなれた人も多い。こんなときでないと会えない人もいる。話したいことも、訊きたいことも終わりがないほどあって、この特別な時間ではとても足りなくなって、「また会おうや!」の大合唱がかならず湧きあがるとおもう。
高校時代には話をしたことがなくても、付き合いが切れたようでも、いつまでもつながっている仲間たちなのだ。幹事会に集まる顔ぶれも、もともとこういうことが好きでやっている連中だから、たぶん、「よし、またやりましょう!」になるだろう。
と、まぁ、こんなふうに想像したら、まだ70歳ちょっとじゃないか、またチャンスはあるなと目の前が開けて、ずいぶん気が楽になった。
このブログを読んでいる同期生も2、3人ほどいるようなので、ぼくが欠席する理由も、もっともらしく書いておこう。以下に事実を並べる。
すい臓は半分しか残っていない。脾臓はぜんぶない。自動車の組み立てではないが、からだを構成していた重要なパーツがなくなってしまった。医者もまだ慎重に様子を見ている段階である。
すい臓のインスリンをつくる機能もほとんど失われた。糖尿病が悪化しないようにインスリンは1日4回、忘れずに打たなくてはならない。食事療法も大切だから、宴会のご馳走も食物繊維を優先、カロリー控えめ、炭水化物や糖分の取り過ぎ要注意の制限がある。
まだある。福岡市内の自宅と小倉の会場までの往復時間は4、5時間もかかる。
今年の2月半ば過ぎに小倉でやったO君を送る会は、自分が言いだした責任があるから、気合いで行った。
いまの心情を時代劇風につづればこうなるだろうか。
渡世の義理と人情に背くようだが、独り静かに世情をはなれた庵(いおり)にこもって、つれづれにもの書きなどして暮らすのがよかろうとおもふ。
悩んでいたのはぼくだけではなくて、小倉にいる同級生から電話がかかってきた。
「お前が行かないのなら、オレもそうするよ」
いい歳をして、まるっきり主体性のない話になって、彼も欠席組に入った。だが、これだけで終わるようなぼくたちではない。気を立て直して、今度はすぐ決めた。
「博多でゆっくり飲もうや」
やはり、持つべきものは友である。これでまた気持ちがぐんと楽になった。
■ドアをぶつけてしまった高級車は、先日3週間ぶりに修理から戻ってきた。お菓子とビールを提げて、カミさんと改めてWさんのところへお詫びに行った。笑顔で迎えてくれた。
ふぅ。やっと終わった。
■イチョウの木にアブラゼミがとまって、ジリジリジリと鳴いている。(写真中央の左)。右の方にはセミの抜けがらが二つ。団地のなかで、この夏もたくさん見つけた。
最近のコメント