「文章の師」だった東海林さだお ― 2026年04月26日 15時56分
4月も今週で終わり。29日から大型連休が始まるので、いつもなら手製のスケジュール表に予定を書き込むころなのだが、すっぽり空欄のままである。
会いたいと言ってくれる友だちは近くにいる。ひとりはカネの心配もなく、体力もあって、奥さん孝行に海外や全国各地を旅行しているという。
「こんなことを言うと、△△さんと比較しているみたいで言いにくいんですけど、去年から旅行ばっかりしています……」
なにもそんなことまで気を遣う必要はないのに。
もうひとりの友は数か月前にスーパーでばったり会ったとき、どうも様子がおかしかった。子どものころからの秀才で、頭脳明晰な男なのに、ふつうに会話ができなくなっていた。
「いまどうしているの?」
その返事が出て来ない。目の焦点が定まらずに言葉を探している。明らかに変である。こちらの方が気まずくなって、それ以上、追及するのを止めた。
コンピュータ一に強く、一緒にいい仕事をして、センスも抜群で、人柄も申し分なし。結婚を勧める人たちもいたが、40代半ばでパニック障害を発症してから人前に出なくなった。いまは独身の70代になる。両親はすでになく、たったひとりの弟も病死して、親が残してくれたおおきな家に独りで暮らしている。
このまま会えないかもしれないな。ふと、そんな考えが浮かぶ。
こういうことを書き留めているぼくが別に暗くなっているわけではない。いろんな人生模様をある程度、平静に受け入れるようになっただけのこと。戦争、大地震、水害、現代版の特殊な事件など、連日いろんなことが起きるから、たいていのことに慌てなくなった。
先日、漫画家の東海林さだおさん(本名・東海林禎雄。88歳)が心不全で亡くなった。最後まで現役だった。
冒頭で触れた友のように、別に旅行などしなくてもいい。独居老人にはなりたくない。80歳を過ぎても、世のなかの動きやふつうの人々への関心を失わずにペンを持ち続ける。ああなりたいものだとおもう。
このブログにも書いたが、ぼくが週刊誌の記者になったころ、早稲田の先輩でもある東海林さんはむずかしいことをわかりやすい言葉で書く技術のお手本を見せてくれた。読者からカネをもらえる原稿が書けなかったぼくの「文章の師」だった。
そのことを教えてくれたのは、エース記者のTaさん。何度も、何度も書き直す名文家だった。「ぼくは東海林さだおの本を読んでいるよ」と言われて、何冊も読んだ。次男も影響を受けたようで、ひところのわが家の本棚には東海林さだおの本がずらりと並んでいた。
彼は努力の人である。やっぱり、人には見えないところで、彼も文章を書く努力をしていた。東海林さんが手本にしていたのは、短編の名手・中島敦だった。折に触れて、『李陵』、『山月記』などを読み返しては、その短く研ぎ澄まされた文章を書き写していたという。
今日も独り言を書いた。今、ぼくはある宿題を自分に課している。それは、テーマはなんでもいいから、毎日、400字詰めの原稿用紙で最低5枚は書くこと。このブログはだいたい4枚分になる。ピアノと同じで、文章書きも練習が大事なのだ。
からだがきついときは、それすらできない。椅子から転がり落ちるようにして、しばらくゴロンと横になってしまう。昨日がそうだった。
同じすい臓癌で、16年前に旅立った友だちのノンフィクション作家・黒岩比佐子さん(享年52歳)、そして、あの安藤忠雄さんの決意と実行力にはとうてい及ばない。それでも癌患者のおふたりはぼくのいい目標になっている。
このブログは休むことが多いのに、今月はアサブロのアクセスランキングで、これまでの最高100位から一気に72位を記録した。79位、91位の日もあった。びっくり仰天だった。こんな雑文でも、どこかで読んでくれる人がいる。週刊誌や新聞と同じだ。それとも同じ病気の人が読んでいるのかな。
三日連続でここまで書いた。400字詰めに換算して4.6枚分。今日は「合格」としておこう。
■横浜組のA君が持って来てくれたコーヒーを淹れて、パソコンに向かう。シアワセである。至福のときの始まりだ。
こちらもいただいた『環境と文明』(認定NPO法人 環境文明21会報)は鋭い視点が冴えていて、読み応えがある。仲のいい後輩夫婦から「喝!」を入れられているような気持ちになる。(これでちょうど400字詰め5枚分)
会いたいと言ってくれる友だちは近くにいる。ひとりはカネの心配もなく、体力もあって、奥さん孝行に海外や全国各地を旅行しているという。
「こんなことを言うと、△△さんと比較しているみたいで言いにくいんですけど、去年から旅行ばっかりしています……」
なにもそんなことまで気を遣う必要はないのに。
もうひとりの友は数か月前にスーパーでばったり会ったとき、どうも様子がおかしかった。子どものころからの秀才で、頭脳明晰な男なのに、ふつうに会話ができなくなっていた。
「いまどうしているの?」
その返事が出て来ない。目の焦点が定まらずに言葉を探している。明らかに変である。こちらの方が気まずくなって、それ以上、追及するのを止めた。
コンピュータ一に強く、一緒にいい仕事をして、センスも抜群で、人柄も申し分なし。結婚を勧める人たちもいたが、40代半ばでパニック障害を発症してから人前に出なくなった。いまは独身の70代になる。両親はすでになく、たったひとりの弟も病死して、親が残してくれたおおきな家に独りで暮らしている。
このまま会えないかもしれないな。ふと、そんな考えが浮かぶ。
こういうことを書き留めているぼくが別に暗くなっているわけではない。いろんな人生模様をある程度、平静に受け入れるようになっただけのこと。戦争、大地震、水害、現代版の特殊な事件など、連日いろんなことが起きるから、たいていのことに慌てなくなった。
先日、漫画家の東海林さだおさん(本名・東海林禎雄。88歳)が心不全で亡くなった。最後まで現役だった。
冒頭で触れた友のように、別に旅行などしなくてもいい。独居老人にはなりたくない。80歳を過ぎても、世のなかの動きやふつうの人々への関心を失わずにペンを持ち続ける。ああなりたいものだとおもう。
このブログにも書いたが、ぼくが週刊誌の記者になったころ、早稲田の先輩でもある東海林さんはむずかしいことをわかりやすい言葉で書く技術のお手本を見せてくれた。読者からカネをもらえる原稿が書けなかったぼくの「文章の師」だった。
そのことを教えてくれたのは、エース記者のTaさん。何度も、何度も書き直す名文家だった。「ぼくは東海林さだおの本を読んでいるよ」と言われて、何冊も読んだ。次男も影響を受けたようで、ひところのわが家の本棚には東海林さだおの本がずらりと並んでいた。
彼は努力の人である。やっぱり、人には見えないところで、彼も文章を書く努力をしていた。東海林さんが手本にしていたのは、短編の名手・中島敦だった。折に触れて、『李陵』、『山月記』などを読み返しては、その短く研ぎ澄まされた文章を書き写していたという。
今日も独り言を書いた。今、ぼくはある宿題を自分に課している。それは、テーマはなんでもいいから、毎日、400字詰めの原稿用紙で最低5枚は書くこと。このブログはだいたい4枚分になる。ピアノと同じで、文章書きも練習が大事なのだ。
からだがきついときは、それすらできない。椅子から転がり落ちるようにして、しばらくゴロンと横になってしまう。昨日がそうだった。
同じすい臓癌で、16年前に旅立った友だちのノンフィクション作家・黒岩比佐子さん(享年52歳)、そして、あの安藤忠雄さんの決意と実行力にはとうてい及ばない。それでも癌患者のおふたりはぼくのいい目標になっている。
このブログは休むことが多いのに、今月はアサブロのアクセスランキングで、これまでの最高100位から一気に72位を記録した。79位、91位の日もあった。びっくり仰天だった。こんな雑文でも、どこかで読んでくれる人がいる。週刊誌や新聞と同じだ。それとも同じ病気の人が読んでいるのかな。
三日連続でここまで書いた。400字詰めに換算して4.6枚分。今日は「合格」としておこう。
■横浜組のA君が持って来てくれたコーヒーを淹れて、パソコンに向かう。シアワセである。至福のときの始まりだ。
こちらもいただいた『環境と文明』(認定NPO法人 環境文明21会報)は鋭い視点が冴えていて、読み応えがある。仲のいい後輩夫婦から「喝!」を入れられているような気持ちになる。(これでちょうど400字詰め5枚分)
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