「死の宣告」から脱出までの3日間-② ― 2026年05月22日 16時59分
後ろからカミさんが押してくれる病院の車椅子に乗って緊急治療室へ。白衣や青い仕事着を着用した若い人たちから、薄くて、細くて、狭い黒のベッドの上に載せられる。清潔でひろい空間は照明も冷たくて寒い。目を閉じたまましばらく待つ。
近くで担当の医師の声が聞こえた。よかった、こんな時間でも駆けつけてくれたのだ。彼は患者のためなら、暮れも正月も夜中もない。休みなしで働く外科のエースである。
ところが、彼の呼びかけは予想もしないものだった。
「△△さん、残念なことを言うけどね、もう駄目かもしれないね」
きつくて、きつくてたまらないのに、目も口も開けていられないのに、やっとここまで来たのに、いちばん怖れていた言葉が担当の医者の口から真っ先に飛び出したのだ。
「死の宣告」だった。拒否したくても、ただ静かに聞くしかなかった。
「心臓が止まるかもしない。そのときはマッサージする?」
おおきく首を横にふる。
暖かい手が、ぼくの冷たくなった左の手の指をやさしく包んでいるのがわかった。血の通ったカミさんの手だった。
そのとき、ぼくは時間の記憶があいまいになっていたことを後から知った。
実は、この医者の短い話の席にカミさんはいなかった。外で待っていて、入院手続きの書類などに書き込みをしていたという。そして、そこに担当の医師がやってきた。手には延命治療に関するペーパーが握られていた。サインの欄があった。
「奥さん、いまご主人の了解は得ましたが、延命治療はしないでいいということでした。それでいいですか」
カミさんは突然のことで気が動転した。
「はい。以前からふたりでそう話していましたから、それで結構です。でも、あんなに元気だったのに、こんなことってあるんですか」
声もなく医師は深くうなずいた。
「いつ心臓が止まってもおかしくありません」
「そんな……」
部屋のなかに入って、ぼくの手を握ったのは、このやりとりの後だった。
「△△さん、できる限りのことはやるけどね。それでも限界があるからね。あとは持ちこたえられかどうかだね。よくなって、おうちに帰れるかもしれないからね」
医者は死を迎えようとしている人に、こんなことを言うのかとおもった。閉じたままの目に、先に旅立った親しい人たちの顔が次々に浮かんだ。
そうか、オレはとうとう死ぬのか。ここが死に場所か。そのときはもうすぐ来るのか、1時間後か。それとも今夜が山場か。たぶん、今夜なんだろうな。
カミさんは泣くよな。ごめんな、幸せにしてあげられなかったな。息子たちにも会えないのか。話しておきたいことがいっぱいあるのに。友だちもびっくりするだろうな。
さまざまなおもいがかけめぐる。
その後、目を閉じたまま、血液検査、心臓の検査、CTほかの検査が延々と続いた。治療は始まらない。
こんなときでも、検査、検査。寒くて、寒くてたまらない。
ときどき若い女性の笑い声が聞こえた。たのしそうに働いているのだろう。いったいどれだけの時間が過ぎたのだろうか。それからベッドのまま運ばれて、病室の分厚いベッドの上らしいところに移された。ここはいくらか温かい。
カミさんとはとうとう会えなかった。もう、会えないかもしれないな。こうやって人は独りで死んでいくのだ。父も、母もそうだった。
これも後から知ったことだが、カミさんは同意が必要なさまざまな文書にサインをして、夕方6時半ごろ、ようやくぼくが寝ている病棟の5階まで上がって来た。だが、すでに面会が許される時刻は過ぎていて、断られたという。
帰り道は独りだった。彼女にはすぐにでもやらなくてはいけない使命があった。
もう、夫は家に帰って来ないかもしれない。こうしている間も、いつ心臓が止まるかもしれないのだ。
自宅に戻って、まず長男へ電話した。いつも陽気な次男は沖縄に出張中だった。「お父さんともっと話をしたかった」という涙声の次男の声を聞いて、涙が止まらなくなったという。
それからぼくの姉へ。「まわりの親戚にはまだ黙っていて」という約束で。姉には癌のことはいっさい知らせていなかった。ふたりとも電話の声が涙で詰まったという。このところぼくのことが気になっていたそうだ。
ぼくは眠れなかった。
人はこうやって死ぬのか。あの世に行ったら、懐かしいあの人たちに会えるのかなぁ。会って、みんな元気でにぎやかにお酒を飲みたいな。そうなったらいいな。
でも、まだオレは生きている。こんなことで死んでたまるか。みてろ、絶対に生還してやるからな。こうして考えるのも生きているからだ。今夜は死なんぞ。死ぬ気がせん。生きて、書いてやる。
「死の宣告」から脱出までの3日間-②
追記 : 明日の正午ごろ退院します。無事に家に戻れます。副作用がきつい抗がん剤とサヨナラできたので、うまく行けば頭のふらつきや杖の生活から解放されて、また髪の毛が生えるかもしれません。(笑い)
再来週から新しい抗がん剤治療が始まる予定。きびしい状況に変わりはありませんが、気持ち的にはずいぶん明るくなりました。
■病室から西方の景色。以前にこのあたりはぜんぶ田んぼや畑だった。昆虫や水生動物の生き物たちもいっぱいいたという。
近くで担当の医師の声が聞こえた。よかった、こんな時間でも駆けつけてくれたのだ。彼は患者のためなら、暮れも正月も夜中もない。休みなしで働く外科のエースである。
ところが、彼の呼びかけは予想もしないものだった。
「△△さん、残念なことを言うけどね、もう駄目かもしれないね」
きつくて、きつくてたまらないのに、目も口も開けていられないのに、やっとここまで来たのに、いちばん怖れていた言葉が担当の医者の口から真っ先に飛び出したのだ。
「死の宣告」だった。拒否したくても、ただ静かに聞くしかなかった。
「心臓が止まるかもしない。そのときはマッサージする?」
おおきく首を横にふる。
暖かい手が、ぼくの冷たくなった左の手の指をやさしく包んでいるのがわかった。血の通ったカミさんの手だった。
そのとき、ぼくは時間の記憶があいまいになっていたことを後から知った。
実は、この医者の短い話の席にカミさんはいなかった。外で待っていて、入院手続きの書類などに書き込みをしていたという。そして、そこに担当の医師がやってきた。手には延命治療に関するペーパーが握られていた。サインの欄があった。
「奥さん、いまご主人の了解は得ましたが、延命治療はしないでいいということでした。それでいいですか」
カミさんは突然のことで気が動転した。
「はい。以前からふたりでそう話していましたから、それで結構です。でも、あんなに元気だったのに、こんなことってあるんですか」
声もなく医師は深くうなずいた。
「いつ心臓が止まってもおかしくありません」
「そんな……」
部屋のなかに入って、ぼくの手を握ったのは、このやりとりの後だった。
「△△さん、できる限りのことはやるけどね。それでも限界があるからね。あとは持ちこたえられかどうかだね。よくなって、おうちに帰れるかもしれないからね」
医者は死を迎えようとしている人に、こんなことを言うのかとおもった。閉じたままの目に、先に旅立った親しい人たちの顔が次々に浮かんだ。
そうか、オレはとうとう死ぬのか。ここが死に場所か。そのときはもうすぐ来るのか、1時間後か。それとも今夜が山場か。たぶん、今夜なんだろうな。
カミさんは泣くよな。ごめんな、幸せにしてあげられなかったな。息子たちにも会えないのか。話しておきたいことがいっぱいあるのに。友だちもびっくりするだろうな。
さまざまなおもいがかけめぐる。
その後、目を閉じたまま、血液検査、心臓の検査、CTほかの検査が延々と続いた。治療は始まらない。
こんなときでも、検査、検査。寒くて、寒くてたまらない。
ときどき若い女性の笑い声が聞こえた。たのしそうに働いているのだろう。いったいどれだけの時間が過ぎたのだろうか。それからベッドのまま運ばれて、病室の分厚いベッドの上らしいところに移された。ここはいくらか温かい。
カミさんとはとうとう会えなかった。もう、会えないかもしれないな。こうやって人は独りで死んでいくのだ。父も、母もそうだった。
これも後から知ったことだが、カミさんは同意が必要なさまざまな文書にサインをして、夕方6時半ごろ、ようやくぼくが寝ている病棟の5階まで上がって来た。だが、すでに面会が許される時刻は過ぎていて、断られたという。
帰り道は独りだった。彼女にはすぐにでもやらなくてはいけない使命があった。
もう、夫は家に帰って来ないかもしれない。こうしている間も、いつ心臓が止まるかもしれないのだ。
自宅に戻って、まず長男へ電話した。いつも陽気な次男は沖縄に出張中だった。「お父さんともっと話をしたかった」という涙声の次男の声を聞いて、涙が止まらなくなったという。
それからぼくの姉へ。「まわりの親戚にはまだ黙っていて」という約束で。姉には癌のことはいっさい知らせていなかった。ふたりとも電話の声が涙で詰まったという。このところぼくのことが気になっていたそうだ。
ぼくは眠れなかった。
人はこうやって死ぬのか。あの世に行ったら、懐かしいあの人たちに会えるのかなぁ。会って、みんな元気でにぎやかにお酒を飲みたいな。そうなったらいいな。
でも、まだオレは生きている。こんなことで死んでたまるか。みてろ、絶対に生還してやるからな。こうして考えるのも生きているからだ。今夜は死なんぞ。死ぬ気がせん。生きて、書いてやる。
「死の宣告」から脱出までの3日間-②
追記 : 明日の正午ごろ退院します。無事に家に戻れます。副作用がきつい抗がん剤とサヨナラできたので、うまく行けば頭のふらつきや杖の生活から解放されて、また髪の毛が生えるかもしれません。(笑い)
再来週から新しい抗がん剤治療が始まる予定。きびしい状況に変わりはありませんが、気持ち的にはずいぶん明るくなりました。
■病室から西方の景色。以前にこのあたりはぜんぶ田んぼや畑だった。昆虫や水生動物の生き物たちもいっぱいいたという。
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