「死の宣告」から脱出までの3日間-最終編2026年05月23日 14時38分

 目を閉じたまま薄暗い部屋のなかで、強気になったり、弱気になったり。病室のベッドの上に運ばれて、いまは動いている心臓がいつ止まるのか。目の前に迫って来ているはずの死の訪れが頭からはなれない。
 いまは生きている。何か考えよう。考えているあいだは生きていられるのだから。
 自分が死んだ後はどうなるのだろう。
 葬式のことを考えた。坊さんは要らない。何十万円もする戒名も要らん。親がつけてくれた本名がいちばんわかりやすくていい。位牌の後ろには「風のひょう吉」と書いてもらおう。風にようにやってきて、風のようにこの世から消え去るのだ。その方がオレらしくていい。このことはカミさんにも話してある。
 葬式は小人数がいいから、家族葬でやろうと決めていたよな。ということは、カミさん、長男家族、次男の5人か。孫はまだ幼いから、通夜はたったの3人だけか。ちょっと寂しいな。酒があっても盛り上がりに欠けるな。
 そうだ、音を入れよう。それがいい。にぎやかになる。えーと、いまスマホでよく聞いている歌は、上条恒彦の「出発の歌」だろ、都はるみの「千年の古都」だろ、それから北島三郎の「風雪流れ旅」。いいねぇ。
 でも、ちょっと感覚が古いな。そうそう、ベートーヴェンの「田園」があった。モーツァルトもいいかな、題名はわからんけど。それから雰囲気を出すために、葬式らしい読経を流すのもあり、だな。別に宗派はどこでもいい。ぜんぶUチューブでやれる。料金はタダだし。
 そんなことを考えているうちに、葬式の演出家をやっているみたいな気分になって、このまま死んでしまう気がしなくなった。
 医者はあんなことを言っていたけれど、オレは本当に死ぬのだろうか。

■20日(火曜日)

「お食事でーす」
「なにも食べれません」
 横向きに寝たまま、無意識にちいさく返事をした。しばらくして目が覚めた。
 ああ、生きている。
 点滴が目に入った。からだはそんなにきつくない。昨日とは、はっきり違う。ああ、よかった、よかったぁ。
 7時過ぎ、カミさんに万感の思いを込めてメールを打った。
「おはよう。心配かけたね」
 後から聞いたら、やはり、一睡もしていなかった。まだとても信じられない、受け入れられないように感じながら、ずいぶん泣いたという。
 9時近く、担当の医師がやって来た。その顔に緊張感はどこにもなかった。
「どう、調子は」
「大丈夫です。先生があんなことを言うものだから。そんなふうに見えたんですか」
「あのときはね。いままで弱ってきていたのが、何かが炎症を起こしたんだろうね、、」
 どうしても訊いておきたいことがあった。
 癌の人がいっぺんに具合が悪くなって、あっという間に死んでしまうという事例がある。その話が先日タモリの出演していたNHKの癌特集の番組で取り上げられていたのである。あのときのシーンが頭のなかに焼き付いていたのだ。
 それによれば、ある日突然、血液中の癌細胞が急激に増えて、からだの器官が対応できなくなって、2、3日で亡くなってしまうという。今回の症状はまさしくそれだ、それでぼくも急にこんなことになったんだとおもっていたのである。
「昨日のデータの結果はどうだったんですか」
「どれも特別な異常はなかったね」
「そうですか。異常はなかったんですね」
「ただ、目には見えないけれど、癌細胞は肺と肝臓にも転移しているし、全身に散らばっているからね」
「ええっ。肺と肝臓にも? 初めて聞きました」
「肝臓は違ったかな。肺にはあるね」
「初耳です。この前のCT検査でも転移なし、だったでしょ」
「目に見えないちいさな癌細胞だからね」
「そういうことですか。それならわかります」
 この説明は納得できた。もともと癌細胞はだれでも持っている。問題はそれが癌になるかどうかなのだ。いちばん気になっていた血液中の癌細胞は大増殖していなかったのだ。
 昼過ぎ、カミさんと長男が面会にやって来た。夕方ちかくには次男も顔をみせた。みんな眠れなかったという。
「心配かけたな。さて、最初から話そうか」
 次男には、ぼくが死んだ後のこのブログの始末を頼んだ。

「死の宣告」から脱出までの3日間-最終編

■ベランダに置いてある桑の木に黒く熟した実がいっぱいついている。