打ち明けようか、どうしようか ― 2026年01月20日 16時47分
もっと睡眠時間をとって、体力を消耗しない方がいいのだけれど、今日は4時半起きのカミさんの仕事の日。こちらは5時過ぎに起きて、しばらく付き合い、6時から昨日アップしたブログに少し手を入れた。そして、そのままこの原稿を書いている。(8時前に書き上げた。実際にアップするのは午後から。)
パソコンのキーボードに、2センチ足らずの細い白髪や黒い髪の毛が10本あまり落ちている。目立たないので気がつかなかった。
いよいよ来たか。それでなくても残り少ない貴重な髪の毛である。風呂に入るとき、あまり頭をゴシゴシしないようにしなくっちゃ。
カミさんから「頭を隠す帽子がいるね」と言われるたびに跳ねのけてきた。杖の話が出たときも、いちおう売り場には行ったけれど、まだ要らないよと断った。
いちばんの理由は、そんな姿を近所の人に見られるのが嫌だから。必ず目を引いて、もはや病人であることを誤魔化すわけにはいかなくなって、自分は癌で、しかも、すい臓がんがあちこちに転移していることがわかってしまうからである。あの人たちは、ぼくがこんなブログを書いていることをまったく知らないのだ。
その半面、オープンした方が気持ちは樂になるのでは、ともおもう。同じ歳で、同じすい臓がんと4年あまりも闘って、一昨年の8月、ひと足先に逝ってしまった敬愛する人がそう言っていた。
思いきって、患者さんたちに打ち明けたら、「わたしの△△も癌だったの」と心配して、多くの人たちから励まされて、温かい人情に触れたという。それが力になっています、と言っていた。このブログを読んでくれている友やカミさんの姉妹たちもそうである。ありがたい縁に恵まれている。「死ぬなよ」、「絶対に治るよ」のひとり一人に感謝しかない。
このところ、カミさんからいろいろ「買ってもらう」ことが多い。
「お父さん、生協のこのシャツ、あたたかそうでいいんじゃない。買ったら、着てみる?」
「うん。ありがと」
「病院に行くとき、立ったまま、すっと履ける靴があったらいいよね。買おうか」
「うん」
「ユニクロのヒートテックが安いから、買って来ようか」
「うん。ありがと。頼むわ」
「夜、寒いよね。電気敷き毛布があったらいいんじゃない」
「うん。助かる」
カミさんに頼りっぱなしの日々になってしまった。彼女から「買ってあげようか」の提案がないのは酒だけで、こちらはぼくの専権事項である。医者も止めないし、ささやかな楽しみだし、気分転換にもなるから、点滴を打った昨日もごく軽くやった。夜は電気敷き毛布のお陰で、ふとんのなかに潜り込んだときから、ポッカポカだった。よく眠れた。
こんな電気毛布があることを結婚するまで知らなかった。雪国生まれのカミさんが持っていた。だからこの暖房器具には、雪国・新潟の寒い夜から身を守ってくれるイメージがある。
おカネはなくても、こうして喧嘩もせずに支え合って生きていられる。つまらないことでも、あれこれ書こうという意欲もある。いまがいちばん幸せなのかもしれない。ぼくは、これもおおきな免疫力のひとつだとおもっている。
先日エッセイを書き上げたとき、その必要はなかったけれど、ペンネームを考えた。名字に、ぼくたち夫婦に縁の深い大分県の「南海部郡」と新潟県の「南魚沼郡」から取って、「南」の文字を入れることは決まっている。そして、ひと晩寝たら、ポン!と出てきた。いまの心境がそのまま言葉になっていた。
「南野是式」。「なんのこれしき」と読む。いいかなぁ。固すぎるかなぁ。冴えないかなぁ。
■農産物直売者の「じょうもんさん」。少しだけ近海モノの鮮魚も並んでいる。
パソコンのキーボードに、2センチ足らずの細い白髪や黒い髪の毛が10本あまり落ちている。目立たないので気がつかなかった。
いよいよ来たか。それでなくても残り少ない貴重な髪の毛である。風呂に入るとき、あまり頭をゴシゴシしないようにしなくっちゃ。
カミさんから「頭を隠す帽子がいるね」と言われるたびに跳ねのけてきた。杖の話が出たときも、いちおう売り場には行ったけれど、まだ要らないよと断った。
いちばんの理由は、そんな姿を近所の人に見られるのが嫌だから。必ず目を引いて、もはや病人であることを誤魔化すわけにはいかなくなって、自分は癌で、しかも、すい臓がんがあちこちに転移していることがわかってしまうからである。あの人たちは、ぼくがこんなブログを書いていることをまったく知らないのだ。
その半面、オープンした方が気持ちは樂になるのでは、ともおもう。同じ歳で、同じすい臓がんと4年あまりも闘って、一昨年の8月、ひと足先に逝ってしまった敬愛する人がそう言っていた。
思いきって、患者さんたちに打ち明けたら、「わたしの△△も癌だったの」と心配して、多くの人たちから励まされて、温かい人情に触れたという。それが力になっています、と言っていた。このブログを読んでくれている友やカミさんの姉妹たちもそうである。ありがたい縁に恵まれている。「死ぬなよ」、「絶対に治るよ」のひとり一人に感謝しかない。
このところ、カミさんからいろいろ「買ってもらう」ことが多い。
「お父さん、生協のこのシャツ、あたたかそうでいいんじゃない。買ったら、着てみる?」
「うん。ありがと」
「病院に行くとき、立ったまま、すっと履ける靴があったらいいよね。買おうか」
「うん」
「ユニクロのヒートテックが安いから、買って来ようか」
「うん。ありがと。頼むわ」
「夜、寒いよね。電気敷き毛布があったらいいんじゃない」
「うん。助かる」
カミさんに頼りっぱなしの日々になってしまった。彼女から「買ってあげようか」の提案がないのは酒だけで、こちらはぼくの専権事項である。医者も止めないし、ささやかな楽しみだし、気分転換にもなるから、点滴を打った昨日もごく軽くやった。夜は電気敷き毛布のお陰で、ふとんのなかに潜り込んだときから、ポッカポカだった。よく眠れた。
こんな電気毛布があることを結婚するまで知らなかった。雪国生まれのカミさんが持っていた。だからこの暖房器具には、雪国・新潟の寒い夜から身を守ってくれるイメージがある。
おカネはなくても、こうして喧嘩もせずに支え合って生きていられる。つまらないことでも、あれこれ書こうという意欲もある。いまがいちばん幸せなのかもしれない。ぼくは、これもおおきな免疫力のひとつだとおもっている。
先日エッセイを書き上げたとき、その必要はなかったけれど、ペンネームを考えた。名字に、ぼくたち夫婦に縁の深い大分県の「南海部郡」と新潟県の「南魚沼郡」から取って、「南」の文字を入れることは決まっている。そして、ひと晩寝たら、ポン!と出てきた。いまの心境がそのまま言葉になっていた。
「南野是式」。「なんのこれしき」と読む。いいかなぁ。固すぎるかなぁ。冴えないかなぁ。
■農産物直売者の「じょうもんさん」。少しだけ近海モノの鮮魚も並んでいる。
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