エッセイを書く前に ― 2026年05月29日 15時37分
右目の視力が落ちて、よく見えない。新聞の文字もぼわーっとして、こうしてパソコンに打ち込んでいる文字も読みとるのにひと苦労している。今日か、明日のうちにはエッセイ3枚の原稿を書かねばならないが、こんなことでブレーキがかかるとは思わなかった。
エッセイはこのブログに載せたものを転用する予定だった。だが、主催者に確認の電話を入れたところ、全面書き直しならOKと言われた。それはそれで別にどうってことはない。ただ、この右の目がなぁ。
今日は朝からさわやかな天気。カミさんのパート先も平穏だったようで、このぶんなら、どうやら「波瀾の5月」を乗り切れそうである。
死の入口まで行ったから、一日一日の過ごし方がこれまでよりもずっと重く感じる。そのとき思ったことをメモする機会が多くなった。そして、その紙片をあちこちに留めている。すべて自分への励ましのメッセージである。
午前中は、玄関、ふだん使用していない北の部屋、リビングに置いている絵を取り替えた。「絵」といっても何年の前からの使い終えたカレンダーの水彩画やイラストで、どの作品にも四季がある。
信州の山々の風景画や暖色系の草原のイラストは新緑の季節のものへ、コーヒーカップなどを赤や緑の強烈な原色で描いたイラストは、涼しげな海のクジラのそれに差し替えた。ほんのちょっとしたことで、狭い団地の部屋はぼく好みのちいさなミュージアムになる。
机の上にある紅葉(もみじ)やイチョウの落ち葉、どんぐりの実、男の子の宝ものだった小刀の肥後守、そして、波当津の浜から持ち帰って来た平べったくて、黒っぽい小石。こんな小物たちもときどき触りたくなる。
カミさんは季節に合わせて、いつもの花壇の花を入れ替えてくれた。応援しくれるオバサンからいただいたチューリップの球根はだれかにごっそり掘り盗られてしまった。
仕方のないことだ。こういう手合いは人のモノを自分勝ってに盗るのが好きなのだ。快楽犯というやつ。またやるに違いないから、質(たち)が悪い。ぼくも採るのは好きだが、一緒にされたくない。
カミさんは数種類の花のタネを肥料と共に仕込んだシートも移植した。新潟の姉が送ってくれたもので、4、5本の芽が伸びている。お隣さんは「いただきものですが……」と断りながら、マリーゴールドのタネをくれた。ある人は花ではなく、インゲンマメの苗を3本と幾粒かのタネくれた。捨てるわけにもいかず、カミさんはわざわざそれ用のプランターを買って、ベランダ栽培を始める始末。
面倒くさく感じるときもある。でも、それでいいとおもう。前町内会長のUさんは、「次はハチク(筍)を持って来るから」と言っていたが、ハチクの季節はもう終わってしまった。
こんな取り止めもないことが、わが家のその日、その日の物語になっている。
つい先ほど、近くの整形外科医に行っていたカミさんが帰ってきた。頼んでいたことがあった。帰り道にブックオフに立ち寄って、ネットで注文していた大江健三郎の本を取って来て、というお願いごとである。
本は場所をとるので、買うのはいつも文庫本にしている。だが、文庫でもけっこうな値段のものもある。むしろ中古品でも、実際は新品の売れ残り品にかなり安い本が多い。今回の『イン・レイト・スタイル』の単行本は定価1,800円(税別)が、わずか220円(税込み)だった。活字文化の価値観というか、需要と供給で決まる市場価格はここまで変わってしまった。
この本は、大江が福島の原発事故に出会って、急遽書いたという本である。ともかく尊敬する作家が心を込めて書いた220円の真新しい本が手元にある。
もう何度も触っている。エッセイを書く前に、いますぐ読みたい欲望と戦わざるを得ない羽目に陥った。
エッセイはこのブログに載せたものを転用する予定だった。だが、主催者に確認の電話を入れたところ、全面書き直しならOKと言われた。それはそれで別にどうってことはない。ただ、この右の目がなぁ。
今日は朝からさわやかな天気。カミさんのパート先も平穏だったようで、このぶんなら、どうやら「波瀾の5月」を乗り切れそうである。
死の入口まで行ったから、一日一日の過ごし方がこれまでよりもずっと重く感じる。そのとき思ったことをメモする機会が多くなった。そして、その紙片をあちこちに留めている。すべて自分への励ましのメッセージである。
午前中は、玄関、ふだん使用していない北の部屋、リビングに置いている絵を取り替えた。「絵」といっても何年の前からの使い終えたカレンダーの水彩画やイラストで、どの作品にも四季がある。
信州の山々の風景画や暖色系の草原のイラストは新緑の季節のものへ、コーヒーカップなどを赤や緑の強烈な原色で描いたイラストは、涼しげな海のクジラのそれに差し替えた。ほんのちょっとしたことで、狭い団地の部屋はぼく好みのちいさなミュージアムになる。
机の上にある紅葉(もみじ)やイチョウの落ち葉、どんぐりの実、男の子の宝ものだった小刀の肥後守、そして、波当津の浜から持ち帰って来た平べったくて、黒っぽい小石。こんな小物たちもときどき触りたくなる。
カミさんは季節に合わせて、いつもの花壇の花を入れ替えてくれた。応援しくれるオバサンからいただいたチューリップの球根はだれかにごっそり掘り盗られてしまった。
仕方のないことだ。こういう手合いは人のモノを自分勝ってに盗るのが好きなのだ。快楽犯というやつ。またやるに違いないから、質(たち)が悪い。ぼくも採るのは好きだが、一緒にされたくない。
カミさんは数種類の花のタネを肥料と共に仕込んだシートも移植した。新潟の姉が送ってくれたもので、4、5本の芽が伸びている。お隣さんは「いただきものですが……」と断りながら、マリーゴールドのタネをくれた。ある人は花ではなく、インゲンマメの苗を3本と幾粒かのタネくれた。捨てるわけにもいかず、カミさんはわざわざそれ用のプランターを買って、ベランダ栽培を始める始末。
面倒くさく感じるときもある。でも、それでいいとおもう。前町内会長のUさんは、「次はハチク(筍)を持って来るから」と言っていたが、ハチクの季節はもう終わってしまった。
こんな取り止めもないことが、わが家のその日、その日の物語になっている。
つい先ほど、近くの整形外科医に行っていたカミさんが帰ってきた。頼んでいたことがあった。帰り道にブックオフに立ち寄って、ネットで注文していた大江健三郎の本を取って来て、というお願いごとである。
本は場所をとるので、買うのはいつも文庫本にしている。だが、文庫でもけっこうな値段のものもある。むしろ中古品でも、実際は新品の売れ残り品にかなり安い本が多い。今回の『イン・レイト・スタイル』の単行本は定価1,800円(税別)が、わずか220円(税込み)だった。活字文化の価値観というか、需要と供給で決まる市場価格はここまで変わってしまった。
この本は、大江が福島の原発事故に出会って、急遽書いたという本である。ともかく尊敬する作家が心を込めて書いた220円の真新しい本が手元にある。
もう何度も触っている。エッセイを書く前に、いますぐ読みたい欲望と戦わざるを得ない羽目に陥った。
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